能「八島」について
さる五月五日、小松市公会堂で能「八島」を鑑賞しました。前シテ(老漁夫)佐野由於氏、後シテ(源義経の霊)薮俊彦氏ほかの皆さんの出演でした。
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都の僧が、西国行脚の途中、讃岐の国(香川県)屋島の浦へやって来ます。老漁夫と若い漁夫が釣りから帰って来たのを見かけ、僧が宿を求めると、老漁夫は、一度は「粗末なので」と断りますが、僧が都の人と聞いて懐かしがり、中へ招じ入れます。そして漁夫たちは、僧の求めに応じて、屋島での源平合戦の模様を物語ります。その内容があまりに詳しいので、僧が不審に思い名を尋ねると、老漁夫は、掛詞(「よし常の」と「義経の」の掛詞)で自分が源義経の霊であることをほのめかして消え失せます(ここまでが前半)。その夜、僧の夢の中に、甲冑姿も凛々しい義経の霊が現れ、自分は生前戦に執着した心の迷いゆえに成仏できず、まだこの地に妄執が残って闘争の場を演じては自らを苦しめるのだ、と訴えます。そして、屋島の合戦で、波に流された弓を敵に取られまいと一命を賭して弓を拾い上げた「弓流し」の有り様を語り、さらに絶え間ない戦いぶりを見せようとする、その瞬間に夜は明け、義経の姿も消え果てていました。
】この能「八島」(正確には「屋島」なのでしょうが、なぜか能のタイトルでは「八島」になっています)の文学としての充実ぶりは圧倒的です。縁語や掛詞が駆使された名調子は完成度が高く、その言葉の力によって、私たちは屋島の源平合戦の場にぐいぐい引き込まれます。シテは前半も後半も床几に腰掛けて物語り、合戦物ではありますが意外に舞や所作は少ないのです。むしろ、じっくりと語りを聞かせ味わわせることがこの曲の眼目だったのでしょう。
世阿弥の台本は、平家物語を下敷きにしつつも、平家物語のたたみかけるようなリアリズムを後方に遠ざけて、見事に幻想劇に改変しています。たとえば、
「舟よりは鬨(とき)の声、陸(くが)には波の盾」
とか、
「月に白むは剣の光、潮に映るは兜(かぶと)の星の影」
といった幻想的な対句が、シテと地謡の受け応えで謡われる場面や、
「春の夜の波より明けて、敵(かたき)と見えしは群れ居る鴎(かもめ)、鬨(とき)の声と聞こえしは、浦風なりけり高松の、浦風なりけり高松の、朝嵐とぞなりにける」
と謡われる最後の場面など、世阿弥の天才がいかんなく発揮された名文句です。
また、この曲は、妄執の浄化劇ないしカウンセリング劇でもある、と、小生は感じました。妄執が屋島に残って成仏できない義経の霊は、そのことを僧に訴え、僧の夢の中で妄執のすべてをさらけ出すことで、癒され浄化されて、ようやく夜明けとともに去って行くのです。これはカウンセリングそのものです。
「今日の修羅の敵(かたき)は誰(た)そ、何、能登の守教経とや云々」
といったセリフなどは、まさに戦の妄執にさいなまれる霊の叫びと小生には感じられました。世阿弥ら中世の人たちは、カウンセリングなどという概念は知らなかったでしょうが、人間の魂がその叫びを聞いてもらうことで癒されるものだというカウンセリングの本質はよくわかっていたのです。
平成一五(二〇〇三)年五月一一日