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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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自然児ドヴォルザークを愛す

 

 さる五月一七日に、石川県立音楽堂へ、ハンブルグ北ドイツ放送交響楽団(NDR)の演奏会に行きました。プログラムはブラームスの第四交響曲とドヴォルザークの第九交響曲(所謂「新世界交響曲」)でした。予想以上に感動しました。特にドヴォルザークです。手垢の付ききった「新世界交響曲」も、熟達したオーケストラが気合いを入れて演奏すると、こんなにも新鮮に聞こえるのか、と、驚き感動しました。エッシェンバッハの指揮も、きびきびしてかっこいいものでした。

 このNDRは、何年か前にもギュンター・ヴァントが率いて来日しており、熱狂的なファンが多いオケです。その一例として、クラシック音楽ファンのある友人から届いたメールにこんな一節があります…

「 NDR、私も行きますよぉー。前回NDRを聴いた時はギュンター・ヴァントの指揮でした。最高でした。NDRの弦は独特な音です。CDではわからなかったのですが、生で聴くとおそらくわかると思います(ヴァントのマジックでなければ)… 」

 NDRの今回の来日は、この日の石川県立音楽堂が皮切りの演奏会で、これから彼らは日本各地を様々なプログラムで演奏して回ります。上記の友をはじめ演奏会に行かれる予定の方は期待していいのではないでしょうか。

*    *    *

 それにしても、自然児ドヴォルザークの音楽の、何と自由で野趣に富んでいることでしょう! この交響曲からは、美しい旋律が次から次へと万華鏡を見るように立ち現れて来ます。あふれ出て来るメロディは、僕の頭にさまざまな光景を喚起します。…高原の夜明け、木々にそよぐ風の優しさ、村祭りでの恋人たちの逢い引き、物売りの声、苦力たちの舟唄、突然の嵐に揺れる森の木々、教会での敬虔な祈り、軍隊の行進、戦いの叫びと凱歌……。そうです、この曲は、ボヘミアの人と自然を描いた音の絵巻物なのです(この曲を「新世界」などと言う人は一体何を聞いているのでしょう。ここに描かれているのは、ドヴォルザークの故郷ボヘミアへの愛惜を込めた心象風景以外ではあり得ません)。

 僕は、第二楽章のあまりに有名なイングリッシュホルンのソロを聞いても絶対に涙を流すまいと決意していましたが、このメロディが再現部で繰り返されると、僕の脆弱な涙腺はたちまち破綻してしまいました。

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 この曲は標題音楽ではありません。何の想像力も喚起せず、決まりきった映像を聞き手に押しつけようとする標題音楽とは全く異質の音楽です。惹起されるさまざまなイメージは、作曲家の心象風景に昇華されており、聞き手の自由な想像力によってはじめて展開されるのです。こうした聞き手の自由な想像力に訴える音楽とは逆に、ベートーヴェンの「田園交響曲」は陳腐な標題音楽の典型ともいうべき駄作です。また、ベルリオーズの「幻想交響曲」も幻想を押し売りする愚作です。

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 さて、僕は自然児ドヴォルザークの音楽の大ファンなのですが、初期の交響曲はドイツロマン派の影響で少し力みがあるような気がします。ドヴォルザークが本当に彼らしい個性を顕わしたのは第五交響曲からだと思います。この第五交響曲の冒頭の歌うような飛び跳ねるようなドヴォルザーク特有の旋律は何と美しいことでしょう。まさに夜明けの瞬間のようです。

 彼のただ一曲のピアノ協奏曲もいいですよ。特に第二楽章の冒頭など、「おや、新世界交響曲の第二楽章かな」と、思わず体を乗り出してしまいそうな、ロマンティックな楽章です。でもこのピアノ協奏曲はあまり演奏されません。何故こんな佳曲をピアニストたちは放っておくのでしょうか。

平成一五(二〇〇三)年五月二五日

 

(追加)上記の、自身もトロンボーンを吹くクラシック音楽ファンの友人から、NDRの東京公演に行った感想が届きました。

「 NDR行ってきましたよ!マーラーの第五交響曲です。もうはじめから感激でした!最高でした!ヴァントのマジックではなく、本当にうまいです!あのホルンのすごさは今まで生で聴いた中では一番です(ロシアものを除いて)。ホルンは本当にこんなに鳴るんだ、と、さらにさらに感激。あのスーパーホルン軍団にお客さんもフィーバーしていました。第五楽章後半あたりからは、曲が終わるのが悲しくて、でもすごく良くて、ちょっと泣けてしまいました。 」