象徴劇の感動―世阿弥の「錦木」を観る
七月六日、県立能楽堂にて金沢定例能を鑑賞。世阿弥の晩年の作と言われる「錦木(にしきぎ)」が素晴らしかった。シテ(里男のち男の亡霊)は佐野由於氏、ワキ(旅の僧)は殿田謙吉氏ほかの出演。「錦木」の荒筋は以下の通り。
【 諸国一見の旅の僧が陸奥の狭布(きょうお)の里まで来ると、鳥の羽で織った細布と美しく彩り飾った錦木を持つ夫婦に出会う。僧から細布と錦木のいわれを語るように求められた夫婦は、『細布は機張り狭く胸に合い難き故、逢い難き恋のたとえであり、また錦木は男が女の家の門に立てる求愛のしるしで、女は男を気に入れば錦木を取り込み、その気にならないうちは取り込まない。かつて三年千本の錦木を立て続けた男がいて、その哀れな男を千本の錦木といっしょに築き込めたのが錦塚である』と語って、僧をその錦塚に案内し、二人ともその塚に入って消え失せてしまう。(ここまでが前半)
僧が哀れなことに思い、夜もすがら読経をしていると、塚の主なる男女の亡霊が現われ、錦木を立てた昔を再現する。男は門に錦木を立てること三年に及び、女は家の中で機を織り続けて応じなかったが、ついに錦木が千本になった夜に、女が錦木を取り込んだのだ。男の亡霊は、往時の恋の妄執を恥じつつも、喜びの舞を舞うが、やがて夜明けと共に二人の姿は消え、そこにはだた松風に吹かれる野塚のみが寂しく残っていた。】
この曲は象徴劇としての能の典型である。そもそもこの男女はいかなる人たちなのか、狭布の里の里人というだけで、氏素性も何の説明も無い。全く具象性を欠いた人物たちによって、ただひたすらに錦木に媒介された恋の物語が語られる。しかしその具象性の無さが、かえって恋の苦しみを私たちに強く印象づける。
たとえば、男の妄執は、次の地謡を背景にした、シテ(男の亡霊)の象徴的な所作の中に巧みに表現される。
さる程に 思ひの数も 積もり来て
錦木は 色朽ちて
さながら 苔に埋もれ木の
・・・(中略)・・・
徒らに 我も門辺に立ちをり
錦木と 共に朽ちぬべき
袖の涙の たまさかにも
などや 見(ま)みえ給はぬぞ…
このように謡われている間にシテは錦木を取り落とす。この錦木を取り落とすという所作に、男の恋への妄念、燃えたぎる思い、口惜しさといった感情の一切が凝縮されて表現されている。シテの集中力もこの間の地謡の盛り上げも素晴らしく、僕は、この象徴劇の世界に強く引き込まれた。ここでは、私たちは役者の個性など意識してはいけない。役者の所作、舞、謡を通して、ひたすら人の恋の性(さが)に思いをはせるべきなのだ。言い換えれば、私たちを曲の主題に引き込むような、劇中人物と一体化した役者の演技こそが素晴らしいのだ。
世阿弥は、また、恋の妄執の激しさと人間の性(さが)の悲しさとを、千本の錦木の積もった錦塚に象徴させている。錦塚はこんなふうに謡われる寂寥たる風景の中にある。
嵐 木枯し 村時雨
露とけかねて 足引きの
山の常陰(とかげ)も 物さび
松桂に鳴く 梟(ふくろう)
蘭菊の 花に隠るなる
狐住むなる 塚の草
もみぢ葉染めて 錦塚は…
この風景は恋のはかなさの象徴である。男の恋は成就するが、その喜びも夜明けと共に消え行く夢幻と世阿弥は描いているのである。
平成一五(二〇〇三)年七月六日