能「橋弁慶」に見る武士の規範の見事さ
先週の金沢定例能のもうひとつの演目は「橋弁慶」でした。「橋弁慶」は、言うまでもなく、京の五條大橋での牛若丸と弁慶の出会いを描いたお話です。十二、三歳の少年牛若が、名にし負う剛の者、弁慶を散々に打ち破り、降参した弁慶は牛若と主従の契約を結びます。これ以降、弁慶は、平泉で主君を守るために仁王立ちして果てる最期まで、牛若(のち源義経)と生死を共にすることになるわけです。「橋弁慶」の謡は初心者向けの教材としてよく使われるもので、小生も習っていましたから、実際に舞台でどのように演じられるのか、興味津々で見に行きました。
そこで感じたのは武士的規範の見事さということでした。例えば、切り合いの場面における役者たちの動きの優美さ。弁慶の長刀(なぎなた)と牛若の太刀(たち)とが切り結び、牛若は弁慶の繰り出す長刀を上へ下へとかわしつつ、ついに弁慶を追いつめますが、切り合いといっても映画や近代劇のような大袈裟な活劇ではなく、シテ(弁慶)も子方(牛若)も、その所作は実に滑らかで優美なのです。また、役者たちが向きを変えるために体を半回転させる時の、静かさと美しさはどうでしょう!まるで精密制御されているような隙の無い動きです。さらに、笛をはじめとするお囃子の人たちの舞台への入りや舞台からの出の時に見せる、背筋の伸びた、手を腰に当てた正しい姿勢、粛々とした所作も大変美しいものです。
能は、室町期から江戸期にかけての武士たちの娯楽であり嗜(たしな)みでしたので、当然彼らの美学が色濃く反映されています。つまり、能には、武士たちが作り上げた所作、身の処し方、居住まいに求られる、美しさ、簡素さ、重厚さ、自然に構えた油断の無さといった美学が反映されているのです。小生は、その美学の背景にある克己心や合理主義といった武士の思想、哲学をも強く感じました。武士たちは、統治責任者として、リーダーたる人間が備えるべき態度、物腰とはいかなるものかをよく考えていたのです。現代の各界リーダーたちにもその覚悟を問いたいところです。
平成一五(二〇〇三)年七月一三日