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「古典派からメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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初めてのお茶会

 

 小生の仕舞と謡の師匠である薮俊彦先生は、茶道もなされ、「宗俊」と号しておられます。今日は、先生のご自宅で催されたお茶会にお招きを受け、厚かましくも出席させていただきました。小生、茶道の心得など全く無く、玄関に入るところから、蹲踞(つくばい)での所作から、要は最初から最後まで、無作法の極みの「とんでも客」でした。しかし親切なご連客の皆さんのおかげで、何とか初体験をさせていただきました。ありがとうございました。

 小生などは、濃茶や薄茶の体に染み渡るような滋味をただ堪能させていただいただけで、道具類や掛け軸の良さなど全く鑑識眼も無いのですが、今日強く感じたのは、茶道も一種の人間修養の場だということです。茶を点てる亭主は合理的で優美な所作を身につけ、かつ、全体を滞りなく進める良きプロデューサーでなければなりませんし、正客には相応の教養と場の雰囲気作りとが求められます。出席者それぞれの人間性も露わになります。高雅であってしかも寛いだ一時を作り出すには、出席者ひとりひとりが、感謝やいたわりの気持ちが自然ににじみ出るような所作を身につけなければなりません。こうした心構えは、恐らく、普段の生活で身につけなければならず、お茶会だからといって急に身につくものではないでしょう。小生にとってこのお茶会は、普段の自分の生活態度を振り返らせてくれる契機になりました。

平成一五(二〇〇三)年一二月一四日