私の能楽メモ(二〇〇四年)
正月の「翁」
今日は今年最初の金沢定例能に出かけました。「翁」、「弓八幡」、「小鍛冶(白頭)」に狂言「末ひろがり」と、正月にふさわしい番組が演じられ、心から堪能しました。特に、演劇というより天下泰平や五穀豊穣を祈る神聖な儀式とも言うべき「翁」に強く惹かれました。囃子方、地謡方の皆さんが、常の能と違い、烏帽子姿の華やかな装束で登場します。翁は、舞台の上で面をつけ舞い終わると舞台の上で面を外しますが、これはまさに人間に神が憑いて舞っているのだと実感させます。翁の面の上機嫌な笑顔は、人間たちに、こういう顔ができるような生き方をせよ、と呼びかけているかのようです。千歳の爽快な舞、三番叟の豪快な舞は、洗練された型の中にも人間の原初のエネルギーを感じさせます。毎年正月には「翁」を見られるといいなと思った次第です。
平成一六(二〇〇四)年一月四日(日)
ふたりの鼓打ち
最近、たまたま大鼓(おおつづみ)の演奏家をお二人知る機会がありました。ひとりは大倉正之助氏で、金沢のロータリークラブの新年会でその独演を見せていただきました。大倉氏は大鼓独奏というユニークな分野を切り開き、世界中の様々なジャンルの音楽家たちと共演しています。金沢での演奏の際も、前日までヨルダンで公演をしていたとおっしゃっていました。お話からは、名門に生まれたことにやや屈折した感情を抱いた時期を経て、今では伝統を敬愛しつつ前衛的な試みをされているようにお見受けしました。
もうひとりは亀井広忠氏。たまたまテレビの「情熱大陸」という番組で特集されているのを見たものです。亀井氏は、むしろ名門に生まれた宿命を素直に甘受し、師匠でもある父親を畏敬し目標として、右手のひらの壮絶な血豆が絶えること無いほどハードなスケジュールをこなしておられます。この人の演奏は掛け声に大変張りがあり素晴らしいと感じました。お二人とも古くからの大鼓方の名門の家に生まれていますが、その生き方は対照的です。まだ若い方たちゆえ、これからどのように「真の花」を咲かせていかれるのか、楽しみです。
平成一六(二〇〇四)年一月一七日(土)
「巴」と「雲林院」を観る
さる日曜日に、石川県立能楽堂へ金沢定例能を見に行きました。能「巴」では、義仲の遺骸が太刀と小袖とで象徴されたのが何とも哀れを誘い、また、巴御前が合戦の幻想から覚めて旅姿に身をやつして去って行く最後の場面に哀しみと無念の余情を強く感じました。この日の巴御前は女流のシテ方が務めておられましたが、謡がやや力強さを欠いていたように感じたほかは違和感無く楽しめました。能は、歌舞伎と違い、女性もシテ方や囃子方として数多くの方が活躍されています。
もう一曲の能「雲林院」は、桜が盛りの都は紫野の雲林院を舞台に、在原業平の霊が伊勢物語の秘話を語り古を偲んで舞を舞う物語です。副題をつけるとしたら「桜…伊勢物語幻想曲」とでもなるでしょうか。前場で業平の化身の老人が姿を現すところから既に幻想的な雰囲気です。後場は、桜咲く春霞の中、優雅な殿上人姿の業平の霊がゆったりと序の舞を舞います。言葉と歌と舞いとが醸し出す、まさに春霞に包まれたようなこういう幻想的な美感は、能という芸能に特有のものです。その余情は頭の中にいつまでも残り続けるから不思議です。
平成一六(二〇〇四)年二月七日(土)
能の音楽
能の音楽(節付け)にはある種のパターンがあり、一曲一曲がものすごく個性的というわけではない。むしろ類型的である。あまり音楽が自己主張することはない。音楽はあくまで言葉に寄り添い、言葉の表す意味を引き立てる役割に徹しているように思われる。言葉が穏やかな意味であれば音楽も穏やかであり、言葉が興奮していれば音楽も興奮する。例えば、「小袖曾我」で、母の冷たさに落胆して曾我兄弟が立ち去ろうとするその刹那、本当は息子たちへの愛情がはちきれんとしていた母が、耐え切れずに兄弟を呼びとめ、「不孝をも勘当をも、許すぞ、許すぞ、時致(ときむね)」と叫ぶ場面があるが、ここでの「ときぃむね」の「きぃ」の音が母の興奮ぶりを表すように最高音まで跳ね上がるのである。
一方、能の音楽には独特の癒し効果がある。謡曲にしろ、お囃子にしろ、BGMとして流しているとけっこうゆったりした気分になれる。これは、能の音楽が、心を鎮める効果抜群の仏教の声明から発していることに関係があるのではないだろうか。
平成一六(二〇〇四)年二月一五日
「羽衣」と「鵜飼」を観る
今日は県立能楽堂へ金沢定例能を見に行きました。はじめに演じられた能「羽衣」は、三保の松原を舞台にした羽衣伝説を題材にした人気曲ですが、こうして通して見ると、大変すっきりした味わいの曲だと感じました。筋立てに無理が無く、自然に流れて行きます。潮の香りまで立ち上ってくるようなうららかな春の海を感じさせてくれます。この曲では、シテが面を替えないのに天女の表情が変化して見え、またしても仮面劇の効果に驚かされました。羽衣を返してもらえない悲しみに打ちひしがれる前半では、その表情は蒼ざめたように萎れて見えますが、真紅の佳麗な羽衣をまとって舞う後半では、表情が生き生きと明るくなり、国土安寧を祝する天人の神々しささえ感じさせるのです。それにしても「羽衣」も美しい詞章ですね。最後に舞い終えた天女が空に消えて行くキリの部分など、地謡と囃子の拍子が合い、独特のリズムに乗って本当に美しい詞章が謡われます。いつかこの曲の謡も覚えたいものだと思いました。
最後に演じられた能「鵜飼」は既に小生が謡を習った曲です。実際に演じられるのを見ると、前場から後場へと雰囲気が変わってゆくのだということがよくわかりました。前場は、鵜飼の亡霊が簀巻きにされて水底に沈められた自分の過去を語る陰惨な場面から鵜使いの所作を披露する場面になると一瞬華やぎますが、概して静的な雰囲気であるのに対し、後場は、猛烈に速い囃子のビートに乗って、かの鵜飼が旅僧に宿を貸した徳によって極楽へ送られたことを閻魔が語り、法華経礼賛で賑やかに終わります。見終わった後は爽快感が残るようにできているのです。
この曲を観ると、能の鑑賞には「語りを聞かせる」という要素があることがわかります。この曲の前場では鵜飼の亡霊のオドロオドロしい独白がポイントになっており、語りの最後の方など、囃子まで入って語りを盛り上げるのです。
平成一六(二〇〇四)年五月二日
室町期の人々の霊性
能を観ると、大部分の曲で信仰による魂の救済が描かれており、室町期の人々がいかに深く仏教に信頼を寄せていたかが感じられる。禅を世界に広めた偉大な仏教哲学者、鈴木大拙は、鎌倉期こそ日本人の霊性が広範に喚起された画期的な時代であると述べているが、能を通じて、鎌倉、室町期の日本人の宗教的情熱の偉大さを僕も感じる。
平成一六(二〇〇四)年五月一二日
開かれた参加型芸術、能
能は、立ち役(シテ、ワキ、狂言方等)、囃子方(笛、大鼓、小鼓、太鼓)、地謡によって構成される、音楽と舞踊を伴った演劇である。興味深いのは、能は、音楽や舞踊の諸要素に分解した上でそれらをさまざまに組み合わせることで、素人も参加して楽しめることだ。組み合わせ方は実に自在である。
例えば、舞台で演じなくても、台詞だけを取り出して「謡う」ことができる。この「謡」は、シテやワキや地謡の台詞を何人かで分担して謡うこともできるし(連吟)、全てをひとりで通して謡うこともできる(独吟)。また謡に囃子が一部または全部加わることもある。例えば、謡に笛だけが加わることもあれば、小鼓だけが加わることもできる。また、むしろ器楽が主体の演奏もある。例えば、三人の大鼓の合奏(連調)を聞かせるために謡が二人だけで参加するような形式もある。これらは能の「音楽」としての楽しみ方であるが、能から「舞踊」だけを切り出して「舞う」楽しみもある。舞は普通、謡に合わせて舞われるが(仕舞)、さらに囃子が加わることもある(舞囃子)。
このように、私たちは、音楽としての、あるいは舞踊としての能を、自ら謡い舞う楽しみを持つことができる。能は、近代演劇、オペラ、歌舞伎、文楽など他の舞台芸術と比べて、非常に開かれた性格を持っており、ただ「鑑賞する」だけではなく、自身で「やってみる」ことで、その楽しみが何倍かに膨れ上がる参加型の芸術である。小生の拙い謡と仕舞の経験からも間違いなくそう言える。
平成一六(二〇〇四)年五月二一日
偽善的ヒューマニズムを許さぬ厳しさと気高さ
NHK教育テレビで、秘曲とされる能「関寺小町」を観た。けっこう残酷だと感じた。というのは、老いを嘲笑していると感じられるところがあったからだ。百歳になんなんとする小野小町が立ち上がった姿を醜く描写し「あさまし」と謡う謡や、若い稚児と姿を対比させるところなどで特にそう感じた。人間の弱さに対する辛辣さは、能「弱法師」などでも感じられる。室町時代の人たちは現代人より残酷だったのか?
いや、そうではあるまい。自分たち人間は、老いや盲目といった弱さを嘲笑する残酷さを持っていることを素直に認めていただけだ。「弱者を労ろう」といったスローガンを唱えていれば自分は差別も弱者いじめもしないヒューマニストになったかのような思い込みをさせるのが現代の歪んだ偽善的ヒューマニズムである。「関寺小町」は、こうした偽善的ヒューマニズムの正体を暴露する。それは人間の悪への率直かつ深遠な直覚である。これまさに見るべきなり。嘲弄された小野小町は悠々と舞い続ける。その舞い姿は次第に高貴なものに変容してゆく。この驚くべき効果に私たちは粛然とさせられる。死と向き合った老いの限りない気高さに気づかされ、それまで「何と残酷な能だ」などとヒューマニストを気取っていた自分も実は老いを嘲笑していたことに気づかされるのだ。この深い教訓を帯びた能に比べると、現代のうわっぺらな「弱者を労ろう」というスローガンなど、人間を増長させ偽善者にするだけだ。ヒューマニズムのベールによって自分の内に必ず存在するエゴや悪を覆い隠そうとする無意識の自己防衛、自己弁護こそ最も悪しき人間の業である。
平成一六(二〇〇四)年六月一八日
爽やかな「養老」
夏の間、毎週土曜日の夜に石川県立能楽堂で催される「観能の夕べ」が、先週から始まりました。初日に演じられた能「養老」は、美濃国に出現した若返りの効能ある霊泉(いわゆる「養老の滝」)に事寄せて泰平の世を祝福する祝賀的な曲です。「袖ひちて掬(むす)ぶ手の 影さへ見ゆる山の井の げにも薬と思ふより 老いの姿も若水と見ゆるこそ嬉しけれ」という謡に合わせて、前シテの老翁が滝を見上げ霊水に自分の姿を映す型をしますが、それが何とも美しかったです。後場では、養老の山神が現れて颯爽たる神舞を舞います。「観能の夕べ」の幕開けにふさわしい爽やかで晴れやかな能でした。シテは渡邊荀之助師が演じられました。
平成一六(二〇〇四)年七月一〇日
世阿弥と元雅
きょうは金沢能楽会の別会能を県立能楽堂へ見に行った。地元金沢の能楽師に東京の名手が加わって三曲の能が演じられた。このうち「松風」と「頼政」はいずれも世阿弥の作である。この二曲もそうだが、僕は、世阿弥の詞章は平易にして均衡が取れた美しさが特徴であると感じる。また演劇としては「静的」であり、その本当の深い味わいを出すのは至難の技だと思われる。世阿弥とは対照的に、息子の観世元雅は劇的効果に才を発揮した。「弱法師」「隅田川」など、いずれも鮮烈な悲劇としてよく出来ている。「隅田川」で念仏に子どもの声が混じる効果などは実に印象深い。
さて、最初に演じられたのは「頼政」である。修羅能は文武に秀でた武人を主人公にせねばならず制約の多いジャンルであるが、歌詠みの風雅人であり、かつ、老境に至って平氏の横暴に反逆した悲劇の武将でもある源頼政は修羅能の好個の題材だったろう。老将ながら、後半はダイナミックな動きも多く、地元の高橋右任師が気迫を込めて舞い切っておられた。また地元の若き狂言師、野村扇丞さんの間狂言の語りも迫力ある見事なものだった。「松風」ではワキの人間国宝、宝生閑師がこの曲の「あはれ」を巧みに表現していた。最後に演じられた「昭君」では、大鼓の亀井広忠師の掛け声が素晴らしく、その気迫が見所までびんびん伝わってきた。
平成一六(二〇〇四)年九月五日
乱拍子の表象するものは?
NHK教育テレビで能「道成寺」を観た。何といっても、当時の白拍子の舞を抽象化したものだという「乱拍子」の舞が印象的だった。「乱拍子」は、シテと小鼓が独特の間合いでかなり長い時間掛け合いを見せる舞だが、僕には、近世・近代の舞踊を突き抜けた超現実主義の現代舞踊のように見えた。不思議な舞だ。写実を捨て象徴主義を身上とする能でも、これほど抽象化された表現は少ないのではないだろうか。この舞は、自分を裏切って道成寺の鐘に逃げ込んだ男を蛇と化して鐘ごと焼き殺した少女の、いかなる心象風景を表現しているのだろうか。非常に深い深層の想像力を刺激する舞である。
平成一六(二〇〇四)年九月二二日
夢は叶えるもの
我が師匠、藪俊彦先生は、「茶能一如」を唱えられて茶道もよくされるが、今般、ご自宅に新たに「篁庵」と号するお茶室を設えられた。このお茶室は先生の永年の夢だったそうで、会報に「夢は見るものではなく叶えるもの」と書いておられた。この言葉、僕の胸に深く沁みた。僕にも夢はあるのだが、それを「見果てぬ夢」と諦めてしまってはいないか。夢は見るだけで本当にいいのか。そう自身に問うもう一人の自分がいる。
平成一六(二〇〇四)年九月二三日
「経政」と「猩々」
今日は県立能楽堂で今年最後の定例能を鑑賞しました。先週末、藪先生の「能の会」で来た時、薄緑から黄色から濃い朱色まで錦の色彩を見せていた紅葉の木がすっかり葉を落としていました。今日の雨嵐のせいでしょうか。この日の能の演目は、いま小生がクセの部分の仕舞を習っている「経政」と、先週藪先生が演じられた「猩々乱(みだれ)」の原曲である「猩々」でした。「経政」は、修羅能でありながら、琵琶の名手である平家の公達を主人公にしていることから、戦の血生臭さや修羅道からの救済よりも、琵琶を奏する平経政の風雅の方が印象に残りました。「猩々」は先週に続いてですが、二週続けてこの曲の地謡をされる小生の大先輩に当たる藪先生のお弟子さんにロビーでお目にかかった時、この先輩が「年末でおめでたいさけ、この曲が続くんやね。」とおっしゃったのをお聞きして、なるほど年の瀬の酒宴を彩る曲なのだなと、「猩々」の季節感に思い至りました。
平成一六(二〇〇四)年一二月五日
慈善能に学ぶ
今日は県立能楽堂へ「慈善能」を見に行きました。金沢能楽界の能楽師が総出の年末チャリティ能です。演目は、神様を主人公にした祭祀性の強い「養老」の舞囃子から始まって、源氏物語「夕顔」から題材を採った、最も能らしいしっとりした能「半蔀」を真ん中に置き、最後は長刀を持ったシテが激しいパフォーマンスを見せる「熊坂」の舞囃子で締めくくられるという、演能の定石に従ったもので、これらの他にも数多くの舞囃子や仕舞や連吟や狂言が演じられ、大いに楽しめました。多くの舞いを見ていて、「いいな!」と感激させられる舞いには、共通項があると思いました。まずは、歩の運びが柔らかくしなやかでしかも力強いことです。歩の運びが良くないと他がどんなに優れていても良い舞いには見えません。また、「ゆとり」というか「間」というか、ただがむしゃらに型を作っているのではない「余裕」があると、見ていて安定感があります。さらに、序破急のメリハリです。乗りの良いメリハリの利いた舞いには、自ずから舞台に惹きつけられます。謡と仕舞を多少とも習いかじっている小生にとっては、お手本の数々を見せていただき、良いイメージトレーニングにもなりました。
平成一六(二〇〇四)年一二月一九日