能「三山(みつやま)」に見る面(おもて)の劇的効果
今日は三月の金沢定例能を見に県立能楽堂へ出かけました。能「三山(みつやま)」が素晴らしかったです。「三山」とは、香久山、畝傍山、耳無山の大和三山のことで、畝傍山に住む桜子という女性と耳無山に住む桂子という女性が香久山に住む男を巡って争い、やがて男の心がその名の如き花やかな桜子に傾いたため、失意の桂子は耳無の池に身を投げるという、万葉集に歌われた恋の伝説を題材にした物語です。
能では、前場でシテの桂子の霊がその謂われをワキの良忍聖(ひじり)に語りますが、
「男うつろふ花心 かの桜子に靡(なび)き移りて 耳無の里へは来ざりけり」
と語るところで微かにうつむく所作から、女のあふれる悲しみの思いが伝わってきました。
また、シテが、前場の美しい女を表象する増(ぞう)の面(おもて)から、後場の髪乱れ憂いを含んだ女を表象する女増髪(おんなますかみ)の面に付け替える効果は恐ろしいばかりです。と言うのは、前場で自分の名を良忍聖の融通念仏の名帳に記してもらい、聖と一緒に念仏を和して心癒されたかに見えた桂子が、業消えやらず、後場で再び現れ、嫉妬のあまり桜子を罵り桂の枝で打ち据えようとしますが、その変容のすさまじさが、面が替わることで恐ろしいほどリアルに私たちに伝わって来るのです。でも、最後は、妄執を吐き出すことで感情が浄化(カタルシス)され、桂子は桜子と一緒に成仏します。
シテの桂子は我が師匠である薮俊彦師が、ツレの桜子はご子息の薮克徳さんが演じられました。まだ二十歳代の克徳さんの謡や所作からは、若さの抗し難い魅力が発散して眩いばかりです。桂子の妄執の嵐に吹き寄せられて登場する軽やかな足取りからも、少し急ぎすぎかとも思えましたが高い声の美しい謡からも、桜子の美少女ぶりが目に見えるようでした。
平成一六(二〇〇四)年三月七日(日)