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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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仏像とウルトラマン

 

 銀行の業界紙「ニッキン」四月三〇日号に、名古屋銀行協会の専務理事をしておられる大熊義之さんが、「仏像とウルトラマン」と題して、大変面白いエッセイを書いておられた。大熊さんがご子息夫妻と房総をドライブし、いくつかのお寺を一緒にめぐった時のこと。まだ年若いご子息夫妻が何と仏像鑑賞に結構はまっていると聞いて、氏は驚くが、その鑑賞方法を聞いてさらに驚く。以下氏の文章を引かせて頂く。

「…『鑑賞』とはいっても、冬でもサーフィンに明け暮れているような輩(やから)の発想は何ともユニークだ。…(中略)…彼らに言わせると、仏像を眺めるのは『ウルトラマンのフィギュア(人形)で遊んでいるのとほとんど変わらない』らしい。

 曰く、仏サンにも、癒し系(菩薩など)、懲らしめ系(閻魔大王など)、悪と闘う戦闘軍団(帝釈天など)等々、いろいろな役回りのグループがあり、寺に然るべく配置されたこれらのフィギュアは、一体となって人間救済のドラマを演じている。これは、あたかもウルトラマン・ファミリーが、地球をバルタン星人だか何たら星人の攻撃から守るべく戦っているのと同じ構造なのだそうだ。それぞれの寺の本尊や脇侍が異なる以上、それぞれの寺で異なるドラマが展開されている。仏像の出来不出来に関係なく、そういったドラマを読み解くことが結構面白いらしい。…」

 大熊さんは、若い人たちが、仏像をただ高尚な重要文化財として敬して見るのではなく、身の丈にあった、自らが理解可能な視線で鑑賞しているという新鮮な発見をされているが、僕も、若い人たちの仏像に対するユニークな感じ方に驚きを禁じ得なかった。そして、もうひとつ、別の想像もした。ひょっとしたら、円谷プロダクションの人たちは、無意識のうちに、曼荼羅画や仏画に描かれている仏たちの世界を模してウルトラマン・ワールドを作ったのではないか、と。怪獣と宇宙人が繰り広げるドラマの創造の源泉は、意外にも、菩薩や地蔵や羅漢たちが繰り広げる仏教説話の世界にあるのかもしれない。

平成一六(二〇〇四)年五月五日