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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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「敦盛」の悲しみと浄化

 

 今日は、金沢港にほど近い大野湊神社の春季例祭に出かけました。この例祭では、江戸時代初期から四百年に亘って「神事能」が奉納されています。今日も能二番のほか、狂言、仕舞、素謡などが演じられました。

 この大野湊神社での演能で、何と言っても圧巻は、我が師匠の藪俊彦師がシテを務められた能「敦盛」でした。「敦盛」は、世阿弥作の名品で、平家物語の続編のような物語に作られています。即ち、一の谷の合戦で平家の若き公達、平敦盛を討った熊谷直実が、武将であることのはかなさを感じて出家し蓮生と名乗る僧となり、敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れ、そこで敦盛の亡霊と巡り合います。後場で武者姿となって現れた敦盛の霊は、平家の盛衰の哀れさを語り、笛を吹き今様を歌った合戦前夜の宴を懐かしんで舞を舞い、さらに討死の様子を見せ、重ねての回向を蓮生に頼んで消え去ります。言わば、敦盛が生前の思いの丈を全て蓮生に吐き出すことで救済されるカタルシス(浄化)劇として作られています。

 いつもながら感嘆するのは、薮師の舞いや所作における「型の美しさ」です。少年公達にふさわしい「十六」という面を着けて舞われる「中の舞」の優美さ、柔らかさも素晴らしいのですが、その後の所作の尋常ならざる決まり方には息を呑みました。

 平家一門が一の谷から逃れんとして船に乗り敦盛ひとり海辺に取り残される場での、「一門皆々我も我もと船に浮めば乗り遅れじと 汀に打ち寄れば御座船も兵船も遥かに延び給ふ」という切迫した謡に伴われた、呆然と船を見送る型。敦盛の深い絶望が所作からにじみ出てきます。その後、後ろから追ってきた熊谷直実との取っ組み合いの緊張した所作、そして、「引っ組んで波打ち際に落ち重なって 終に 討たれて失せし身の…」という謡で、扇を後ろに投げ捨てる型。まさに首打ち落とされた瞬間の、少年敦盛の覚悟と悲しさが深く象徴されています。小生は不覚にも涙が溢れそうになりました。そして、一度は眼前の蓮生に敵討ちせんとするものの、今や自分を弔う蓮生に「終には共に生まるべき同じ蓮(はちす)の蓮生法師 敵にてはなかりけり」と気づいて、刀を取り落とす型。ここには、全てを受け入れてくれる祈りを敦盛の魂が深く許し、浄化されてゆく様が象徴されています。

 いずれも見事に演じられた象徴的な所作は、戦の有り様と敦盛の心象を、恐ろしいほどに現実の姿として照らし出していました。その時、喧騒の祭りの中で、まるで能舞台だけが切り離された異次元空間のように感じられました。

平成一六(二〇〇四)年五月一五日