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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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至福のベルリン・フィル

 

 敬愛する大先輩からチケットをいただき、石川県立音楽堂へベルリン・フィルの演奏会に行って来ました。ハイドンの第八六番交響曲、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」、ブラームスの第二交響曲というプログラムでした。最初のハイドンは、強弱やフレーズにかなりきつくアクセントをつけた「オリジナル楽器風」の演奏で、カラヤンの頃のベルリン・フィルは決してこういう演奏はしなかったものと思われます。現指揮者のサイモン・ラトルが根付かせた演奏手法なのでしょう。このニ長調の交響曲は執拗な連打音が特徴なので、こうしたメリハリをつけた演奏がふさわしい曲と言えます。ハイドンの作曲職人としてのクラフトマン・シップは相変わらず見事です。第三楽章メヌエットの中間部でファゴットのソロの優雅なこと、第四楽章のスピード感あふれ旋廻するようなハイドン独特の乗りの良さ等々、私たちを音楽の愉悦の世界へ導いてくれます。

 次のワグナーは小生の苦手な音楽家で、ファンの方には申し訳ないのですが、今日の「トリスタン…」も小生には「大袈裟な映画音楽」にしか聞こえませんでした。

 小生が今日一番感激したのは最後のブラームスの二番でした。まず、この曲はホルンのソロがけっこう出てきますが、とにかくそのホルンがうまい!! 森の彼方から響いてくるような柔らかでしかも力強い音です。もちろんオーボエやクラリネットも超一流で、ソロの部分ではその妙なる音色に聞き惚れ「もっと続けて!!」と叫びたくなります。それから、小生の大好きな第一楽章の第二主題では、チェロが素晴らしいのはもちろん、ヴィオラの音がまたよく聞こえてきたのに驚きました。ほかにもこの曲では随所に中低弦のソロがふんだんに出てきて、ブラームスの中低音嗜好があからさまなのですが、ベルリン・フィルの弦のアンサンブルの緻密さは喩(たと)えようもありません。至福のブラームスでした。

 最後にこの日のサイモン・ラトルの指揮について一言。ラトルはハイドンではきびきび古楽器風、ブラームスでは叙情たっぷり濃厚なロマン派風で、曲作りが必ずしも一貫してはいませんでした。ブラームスも、例えばノリントンやマッケラスのように、当時のスタイルに忠実に、よりきびきびした演奏の仕方もあるのですが、ラトルのブラームスはややゆっくりめのテンポの「往年の巨匠」風でした。何がラトルの個性なのか、ベルリン・フィルという器で何を表現したいのか、今一つはっきりしない印象を否めませんでした。

平成一六(二〇〇四)年一一月六日