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「古典派からのメッセージ・2003年〜2004年」目次へ戻る
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「女郎花」の悲劇と風雅

 

 金沢定例能で「女郎花(おみなめし)」を鑑賞しました。この曲は次のような物語を背景にしています。

「契りあった男に裏切られたと誤解した女が絶望して男山の懐の放生川に身を投げ、駆けつけた男が泣く泣く遺骸を葬ると、その塚から女郎花が美しく咲き出す。男が花に触れようとすると花は恨めし気に靡き退(の)いてしまい、それを見て男も咎を感じ川に身を投じて死んでしまう。」

 能では、男女の亡霊が登場してこの悲恋を物語り、男が死後も邪淫の業で苦しめられていることを、出会った旅僧に訴え、成仏させてほしいと頼むところで終わります。確かに、男の霊が、「道もさがしき剣の山の 上に恋しき人は見えたり嬉しとて…」という謡に合わせて女の方を仰ぎ見る型をする様などは、面の表情まで恋の妄執に取り憑かれているように見え、すぐ後、剣に身を貫かれ巨石に骨を砕かれる型をして地獄の苦しみを訴える様などは、凄惨な場面です。

 しかし曲全体としては陰惨な印象は無く、むしろ前場で旅僧と男の化身である老翁とが男山にある石清水八幡宮を参詣するのどやかな秋の景色の方が強く印象に残りました。女郎花を手折って仏に手向けようとする旅僧を、古歌を引用してたしなめる老翁。やがて二人は互いに風雅の士であることを認め合い、謡を和唄し、老翁は僧を石清水八幡宮へ案内します。二人が能舞台をゆっくりと巡ると、そこには紅葉が照り映え、苔むした道が彷彿としてきます。「三千世界もよそならず」と謡われると、眼前に八幡宮が光り輝いて出現します。シテ(老翁)の薮俊彦師とワキ(旅僧)の平木豊男さんの演ずるこの道行きは、得も言われぬ風雅さで、秋の山道の美しい映像が私たちの前に映し出されたのです。この曲の本筋からは外れるかも知れませんが、小生には前場の素晴らしさが強烈に印象に残りました。

平成一六(二〇〇四)年一一月七日