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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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文楽鑑賞記

 

 金沢に文楽(人形浄瑠璃)の公演が来たので、県立音楽堂の邦楽ホールに鑑賞に出かけました。見たのは、「桂川連理柵(かつらがわ・れんりのしがらみ)」から帯屋の段と「日高川入相花王(ひだかがわ・いりあいざくら)」から渡し場の段です。文楽をこうした舞台で見るのは初めての経験でした。

 文楽は、もともと人形浄瑠璃と言い、浄瑠璃語り、三味線弾き、人形遣いの三者で成り立ち、人形は一体につき三人掛かりで操ります。人形浄瑠璃は江戸中期に大変盛んになり、特に、語りの天才・竹本義太夫が現れ、大阪道頓堀に「竹本座」を興し、戯曲作者・近松門左衛門を座附作者に抱えて「曾根崎心中」など多くの名作を生み出した頃がその頂点を成しています。以後、上方では、竹本義太夫の創り出した「義太夫節」を浄瑠璃語りと同義語として扱います。義太夫節は、大まかに、@詞(ことば)=三味線なしの会話の部分(歌劇のレティタチーフの如きもの)、A地合(じあい)=三味線を伴う筋書きと情景描写の部分、B節(ふし)=三味線と共に歌うアリアの部分、から成り立ちますが、各部分は、判然と分れているわけではなく、非常に入り組んでいます。太夫は、詞を言い放ったあと地合や節に戻ったりして、混然一体となって筋書きを物語り、すべての登場人物を一人で語り分けます。つまり太夫は、オペラ歌手のようでもあり、落語の噺家のようでもある存在なのです。ちなみに義太夫節は上方で生まれ育っただけに濃厚な関西弁で語られます。小生は、初めて舞台で見た(聞いた?)太夫の登場人物の語り分けの見事さやアリアの独特な美しさに感じ入りました。

 さて、金沢公演における演目ですが、始めの「桂川連理柵」は、中年男性と少女の心中事件を扱ったものです。帯屋の段は、主人公の、誠実で優しい帯屋の跡取りである「長右衛門」が、家庭内や世俗のあれこれに追い立てられる苦悩を描き、やがて不倫の相手である少女「お半」が死を覚悟していることを知り、自分も後を追うことを決意する場面です。この場面では、長右衛門の弟・儀兵衛に洟垂れの丁稚・長吉が絡んで、一種の漫才が演じられるのも見所です。ここは誰も上方落語を聞くように笑えます。儀兵衛が腹をよじらせて笑う姿など、人形の豊かな表現力に驚かされます。また、お半が辺りを見ながらそっと長右衛門の部屋に入って来るあたりから、長右衛門がお半の書き置きを読み、道行きを決意して飛び出して行く最後まで、太夫の語りに三味線が激しく絡み合って、緊張感、興奮が高まるのは見事でした。それとともに、小生は、お半の美しいいでたちがとても好きになりました。


   華麗な「お半」の人形

 さて、一方の「日高川入相花王」は、有名な安珍・清姫の道成寺伝説を素材にした物語。恋しい安珍が他の女と逃げたと思い、後を追う清姫。つれない恋人への嘆きは、やがて嫉妬と憎悪に変わり、大蛇と変じて日高川を渡ります。この時、黒紋付きの清姫の旅姿が口裂け角生えた鬼に一瞬にして変じる、「瞬間芸」が見物になっています。また、日高川を渡り終えた清姫が元の姿に戻り、美しい桜の風景に浮かび上がる、というラストの仕掛けも、初めて見た小生には驚きでした。それにしても、瞬間芸や仕掛けの見事さもさることながら、小生には、清姫の首(かしら)の何とも清純な表情が特に印象的でした。

平成一七(二〇〇五)年三月二六日