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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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福田恆存全集読書メモ(二〇〇五年)

 

 

自己とは過去の堆積なり

 

 私たちが歴史に向き合う心構えを、或いは私たちが「自分とは何か」と問う時の心構えを、次の一文ほど適切に述べている文章は無かろう。玩味熟読すべきである。曰く、

 

「歴史は書割ではない。無限直線上の一点、ないしは一線分ではない。現在といふ一瞬間の中には、同時に過ぎ去った過去が陰翳として存在してゐる。それは全歴史を背景に持つひとつの立体像なのだ。(中略)過去は過ぎ去りはしない。過去の意識は消滅しはしない。今もなほ生きてゐる。過去は消滅するものだといふ観念家たちは、それゆゑ常に報復されてゐるではないか―歴史に、過去に、そして現在も未来も自分のうちに眠り続け生き続ける無意識の自己のために。」(全集第二巻「告白といふこと」より)

 

平成一七(二〇〇五)年五月一五日

 

 

狭量な潔癖性からの脱却

 

 福田がしばしば述べる「近代人たるを徹底すること」とは、理想と現実の二元性をありのまま受け入れて二元性をまたに架けて生きようとする自覚を持つことである。イギリス的生き方とでも言うべきこの自覚を私たち日本人が持つことはなかなか難しい。日本では、またに架けるのではなく、理想家と現実家とに分裂しがちである。福田はこう述べる。

 

「いはゆる理想家のとらはれやすい固定観念は、現実が日に日に理想に近づき、現実の悪はやがて除去せらるべきであると考えることだ。つまり彼らは理想と現実の一致せる状態を理想として、その実現を目指すはなはだ潔癖な現実家であるといふことになる。一方、いはゆる現実家は、その見えすぎる眼のおかげで、現実化せられない理想に向かって呪詛の言葉を投げつけ、それが実現化されぬ以上、不要なものと見なす。彼もまた、理想の現実への一致といふ状態を理想とするはなはだ潔癖な理想家である。

 いづれも、理想と現実との対立分離をそのまま認めようとせず、その両者の間に振幅を続ける自己を楽しむことを知らない。彼らは自己の運動の場を狭め、自己を抹殺しようとしてゐるのだ。個性とは、理想と現実との間に、善と悪との間に身を処することによって、はじめて存在し得る。」(全集第二巻「自己劇化と告白」より)

 

イギリス的近代人になるには狭量な潔癖性からの脱却が求められるのである。

 

 言葉に対する態度についても、日本人はたやすく言葉を額面どおりに受け取って疑うことの無い人と、言葉の真実性を疑うあまり、沈黙こそ誠実と考えてしまう人とに分裂する。前者はあまりにも無邪気な善人でありすぎる。後者は、一見潔い立派な態度のようであるが、実は自分を恃むところ過大となる恐れがある。福田はこう述べる。

 

「汚い弁明は聞き苦しいが、聞きよい弁明をなし得るといふことは、実に立派なことであり、沈黙によって至誠を天に通ぜしめようとする態度とは較べものにならぬ誠実さを必要とする。なぜなら、誠実とは、他人の意のままに自己を育てることでもなく、また自分の意のままにならぬ他人を突き放してしまふことでもなく、何とかして他人と自分との間に通路をこしらへあげようと努力することだからです。」(全集第二巻「ことばの二重性」より)

 

平成一七(二〇〇五)年五月一七日

 

 

「エゴイズム」対「自我意識」、「才能」対「個性」

 

「エゴイズム」は自然な生命力の発露であり、「才能」もまた自然な生命の無償の活動である。エゴイズムを否定すべきではなく、才能を大切にすべきだ。エゴイズムの生命力の無い者に隣人への愛などあり得ない。才能は自らをひけらかしはせず、しかもおのずから目に立つ存在である。エゴイズムと似て非なるものとして「自我意識」がある。自我意識は、近代に特有の、福田の言葉を借りるとこんな存在である。曰く、

 

「自己のエゴイズムを正当化しようとする時、自分のエゴイズムに気づきたくない時、人は自分以外の何ものかを借りてくる―そしてエゴイズムは地下にもぐり、自我意識となる。」(全集第二巻「白く塗りたる墓」より)

 

「エゴイズムには豊かな重量感がある。美しい。が、硬さだけは無い。硬さは生命感とは反対のものだ。生きるといふことは限りなく柔軟になること。そして死とはその柔軟性の極限において無のうちに溶け去ること。

 自我意識は、しかし、生の流れをせき止める。そればかりではない。溶けるやうに素直に死ぬことさへ不可能にさせる。僕たちは自我意識にとらはれて死ぬことを拒み、また、自我意識にとらはれて自ら命を絶つ。」(同上)

 

また、「才能」と似て非なるものに「個性」がある。個性も、近代に特有の一種の強迫観念である。私たちはすべからく個性的でなければならない。これは、他人に打ち勝って目立たなくてはならない、というメッセージであり、マスコミや文学がこうけしかけて来るのが現代社会である。特徴とか特色と言えばいいのに、個性と呼ぶと何か特別の価値があるように錯覚させるのが現代社会である。それぞれの人間が持つ特徴や特色のことを個性と言うなら、そんなものは出そうと意識しなくてもいやおうなく立ち現れるものだ。僕の習っている能の仕舞でも、「個性」を殺して美しい型に嵌めるのにどれほどの鍛練が要ることか。個性という言葉には、単に特徴とか特色という中立的な意味ではない、自我意識がもたらす優越意識が潜入している。もし特徴や特色が素晴らしいものなら、それは「才能」と呼ばれるべきである。福田はこう言う、

 

「個性とは、自己の才能を信じきれぬディレッタント的インテリゲンツィアの描いた空中楼閣にすぎない。才能は生命の無償の運動であり、個性は自我意識の成心に満ちた地下作業である。」(同上)

 

平成一七(二〇〇五)年五月二四日

 

 

歴史への洞察

 

第二巻で比較的大きなスペースを占めている二編、「近代の宿命」と「芸術とは何か」で、福田氏は歴史家としての深い素養を示している。すなわち、「近代の宿命」では、ヨーロッパの淵源に遡ってキリスト教の首尾一貫する西欧世界を観察し、「芸術とは何か」では、呪術を通じて古代人の意識構造への深い洞察を示している。僕はこれらを読んでいて、やはり優れた歴史感覚を持っていた會田雄二やホイジンガやレヴィ=ストロースの著作を何度も想起させられた。

 

平成一七(二〇〇五)年五月二四日

 

 

真の現実主義者は理想を捨てない

 

 福田の著作は、常に、彼の人生への責任感に裏打ちされている。口先だけの文章は見当たらない。どの文章も腹がしっかり据わっている。彼は自身を現実主義者だと位置づけるが、「リアリストとは理想を持たない人だ」と見るのは皮相な人生観である。福田は峻厳なリアリストであるがゆえに、「理想」と「人間への信頼」を捨てない。むしろ現実と向き合いつつそうした信仰を磨き続ける。次の文章の腹の据わりはどうだろう。これほど逆説に満ちていながらしかも率直な人間信頼の文章はめったに見当たらないのではないだろうか。

 

「ぼくは生まれつき楽天主義者のせゐか、第三次世界大戦が起らうと、西欧のヒューマニズムとその文明が滅びようと、いや、自分自身が消えてなくならうと、それでもなほ何かを信じてをります。(中略)そんなことは、あなたの眼には、とはうも無い理想主義と映じるかもしれません。が、ぼくはけっこう現実主義者であります。といふのは、ひとはリアリストであればあるほど、リアリズムだけではどうにもならぬことを悟るであらうといふことです。思ふに、人間といふものは、リアリズムに徹底し得るほど凄味のある存在でもなければ、またリアリズムを手ぎはよく駆使しうるほど理想的ではないのでせう。自分にその能力ありと思ひこむのは、何よりリアリストでない証拠のやうにぼくには思はれます。(中略)理想主義とは人間への信頼であって、悲壮趣味では断じてありません。」(全集第二巻「文学者の文学的責任」より)

 

平成一七(二〇〇五)年五月二六日

 

 

「平和論にたいする疑問」の衝撃

 

全集第三巻の冒頭に置かれた「平和論にたいする疑問」(昭和二九(一九五四)年)は、当時マスコミ世論を支配していた反米親共産の進歩派文化人の「平和絶対主義」に対して投げかけられた最初の本格的な反駁である。この頃から、福田は文学の枠を越えて政治社会全般に対して発言してゆくが、中央公論に掲載された「平和論にたいする疑問」は、進歩派文化人から激しい批判を浴び、福田は「保守反動」のレッテルを貼られ、論壇から村八分にされることになる。

 

第三巻の冒頭には、これら進歩派からの批判への福田の反論も載せられている。ここに登場する進歩派は、久野収、大島康正、三好十郎、平野義太郎、南博、清水幾太郎、中島健蔵、佐々木基一といった顔ぶれである。また、東京新聞、毎日新聞、読売新聞なども匿名コラムで辛辣に福田を攻撃していたことが紹介されている。今改めてこれら進歩派の論調と福田の反論を読み比べると、人間観の浅深の差に驚愕せざるを得ない。進歩派の述べるところは、単なる状況への追従ないし風見鶏的コメントである。確固たる人間観を持たない擬似インテリのマスコミ世論への迎合である。先に挙げた人物たちが今日ほとんど忘れられつつあるのも当然である。確固たる自己が無いため、彼らは「変節」の名人であることも多い。平野義太郎は、大東亜戦争中は戦争を支持し合理化しておきながら、戦後は手のひらを返して平和論の旗手になった人物である。清水幾太郎は、安保闘争の指導者として、東大闘争の際に突撃指令を出し、それに従った学生に死者も出たが、その責任には一言も触れず、自分は安楽椅子で評論を続けた。その後時流の変化に応じて保守論調に変じ、最後は「日本よ、核武装せよ」と叫んで亡くなった。

 

福田の発言は状況への風見鶏的なコメントではない。彼は常に、自分自身の生い立ちの基盤を信頼し、真正直に自分の人間観、歴史観を開陳しながら、それに基づいて状況についての判断を述べている。福田の著作が古典たり得るのは、政治事象についての個別具体的な判断が正鵠を得ているためというよりも、それを支える人間観、歴史観が何度でも繰り返し読むに値するからである。第三巻冒頭からそのいくつかを紹介しよう。

 

                                     

 

 まず、「帝国主義の旧日本軍や日本政府には恨みがあるが、日本の民衆に敵意は無い」とソ連や中国で言われてほっとする清水幾太郎に対して、福田曰く、

 

「私は、政府、或いはその帝国主義軍隊を、この自分とは別物だなどと言はれて、『おお、さうだった』と安心する気はありません。(中略)もちろん、私は私なりに、今度の負け戦さはやりきれなかった。個人としてできるだけ軍閥政治に利用されたくないと思ってゐました。が、今になって、日本の軍隊は悪いが、お前は許してやると言はれれば、やっぱり不愉快です。(中略)あれほど嫌ってゐたけれども、あの日本の軍隊はやはり自分のものだったといふ気持ちがあるからです。」(「ふたたび平和論者に送る」より)

 

これは当時の責任ある人々の正直な感想であろう。臆病者の清水氏は、政府と民衆は別だと共産国で言われてほっとしているが、そこには責任感のかけらも無い。この論法は今でも共産中国が日本の世論を分断しようとして使う甘言である。私たちは、甘言に引っかかって戦前を自分と何のかかわりも無い全否定されるべき過去と見做すような愚を犯さないように、福田の言葉を心にしっかりと留めるべきである。戦争は私たちの父祖が現に戦ったのである。

 

 次に、平和、平和と唱えていれば平和が実現するかのような、思考停止した平和論への痛烈な反駁。曰く、

 

「私はこの人間社会から戦争はなくならないと信じてをります。ある雑誌でさう答へましたら、あまりにショッキングであり反動的だといふ理由で没になりました。(中略)これは戦争といふ言葉への恐怖症です。戦争は永遠になくならないぞ、と言っただけで、ぞっとする人種がゐるらしい。彼らは現実を見ようとしないのです。『臭いものには蓋(ふた)をしろ』主義で生きてゐるわけですが、さういふひ弱な人たちが、平和を得たからといって何ができませう。いや、現に平和の今日、彼らのできることといへば、戦争を恐れること、その恐怖感をそのまま誠実と思ひこむこと、それだけではありますまいか。」(「戦争と平和と」より)

 

「力の政治は力によってしか抑(おさ)へられません。原水爆を抑へ得るのは、おそらく署名運動ではありますまい。(中略)『カイゼルのものはカイゼルへ』と言ったイエスは、さういふ文明のアイロニー(=皮肉)を的確に感じてゐたのです。」(同上)

 

さすがに今日能天気な平和論はもう流行らないが、政治の現実を見る冷徹な眼と自分の身は自分で守るという気概はまだまだ私たち日本人に欠けていると思われる。福田の言葉を玩味熟読すべきである。

 

 最後に、個人の生命を絶対視する浅薄な人生観への福田のコメントを聞こう。

 

「個人の持ってゐる最低の、そして最高の財産が生命だといふ考へには、私はついていけません。(中略)個人の生命より大事なものは無いといふ考へ方は、大変な危険思想であって、それは裏がへしにすれば、任意に他人の命を奪ってもいいといふことになるのです。(中略)そして、遺憾なことに、日本以外には、ほとんどどこの国にも通じない思想であります。昔から各国では祖国のためには死ぬことを辞さなかったのです。祖国といふと昔の国粋主義の臭ひがしていやですが、国や民族の生き方を守らうといふ気持ちは是認できます。個人の生命より全体の生命を大事にするのが当然でせう。」(同上)

 

「平和といふ華やかな言葉には倫理の陰翳が少しも無い。ただ命が大事だといふだけです。こっちの命が大事なら、向こうの命も大事です。(中略)個人の生命より大事なものは無いといふ生き方は、窮極には自他のエゴイズムを容認することになる。個人が死ぬに足るものが無くては、個人の生の喜びすら無いのです。」(「個人と社会」より)

 

生命は、何か自分を超えた尊いものに捧げたいという衝動を満たしてやらなければ充実しないのである。高みを、理想を、尊いものを追う人間の姿こそが倫理の根拠なのである。

 

平成一七(二〇〇五)年七月一二日


金田一京助や桑原武夫の愚かさ

 全集第三巻の「U」には、戦後の所謂「国語改良」の問題をめぐるいくつかの論争が収められている。戦後、米国の圧力もあってか、それまでの仮名遣いがより表音的に改定されるとともに、多くの漢字が大幅に簡略化された。それは法律の改定によらず文部省の通達一本で実施された。現在我々が使っている「新仮名新漢字」の誕生である。この「国語改良」の趣旨は、それまでの「旧仮名旧漢字」は読み書きが難しく、覚えるのに労力を要するので、簡略化すべきである、というものであった。

 しかし福田の指摘の通り、この「改良」は、一部表音主義を取り入れたかと思えば、一部は語義に立ち返る旧仮名の原則も維持するなど、とにかく簡略化することを急いだ無原則な便宜主義の産物であった。国語の改良という国民の生活や文化の一大事を、ほんの数年の文部省とその取り巻きの進歩派の議論だけで通達一本で決してしまったことは戦後史の痛恨事のひとつである。まさに、国民が生活に追われていた戦後のどさくさまぎれに、泥縄で拵えられたものである。その意味では現行憲法の成り立ちと似ている。

 さて、ここでの福田の主な論争相手は、有名な国語学者の金田一京助と評論家の桑原武夫である。ふたりとも当時、新仮名新漢字の推進論者であった。僕は、福田と彼らの論争を読んで、金田一や桑原の、とても責任ある言論とは言い難い便宜主義に驚き呆れた。金田一などはアイヌ語の研究でも有名な大家だと思っていただけに、その言論の硬直的で権威主義的なのには呆れ果てた。私たちはこの程度の見識の持ち主の議論で今の国語を押し付けられたのだ。桑原武夫も、戦後の新京都学派にあってルソーの共同研究などで名を馳せていただけに、無責任な便宜主義の主張にはがっかりした。桑原など、所詮はつまらぬ進歩派文化人のひとりだったのだろう。彼らの主張に共通するのは、とにかく国民の国語を身に着ける負担、苦労を減らしてやりたい、という「親心」である。しかし一見大衆の苦労を思いやる優しさに思えるその発言の底にあるのは、「所詮は大衆などに難しい古典文学や歴史などわかりはしないし、教える必要もない」という冷たい大衆軽蔑である。

 金田一や桑原は、福田や小泉信三といった旧仮名旧漢字の擁護論者を、高踏的な文化主義者と決めつけ、この論争を「文化主義ないし復古主義」対「近代合理主義」と位置づけたがる。しかし、この両派の対立の実相は「国語の原則に忠実な合理主義」対「とにかく簡略にとその場を繕う便宜主義」であったのだ。新仮名新漢字は、ある時は表音主義、ある時は語源主義といった具合で原理原則が無く、これは近代合理主義などではない。平安時代の藤原定家のかな文字整理、江戸時代の契沖や賀茂真淵や本居宣長の国語原則の発見・整理の業績を受けて、明治時代に策定された旧仮名旧漢字の方が、よほど歴史や理論を踏まえて原理原則に忠実な「近代的」なものだったのだ。新仮名新漢字が一般的になったのは、マスコミも教育界もずるずるとこれに引きずられただけで、福田が言う通り、悪貨が良貨を駆逐したに過ぎない。

 問題なのは、金田一や桑原の大衆に対する態度である。とにかく大衆には簡単な文化を与えて楽をさせるのが正しいと信じているのが彼ら似非インテリである。福田は違う。福田は、大衆を決して高度な文化から切り離すべきではなく、彼らにこそ先祖の文化的営みと直接結びついている「難しい」仮名遣いや「難しい」漢字を教えるべきである、と主張する。これぞ真のヒューマニズムではないか。福田の声を聞こう。

「・・・難しさにお付き合ひするやうに国民を導くのが教育の本義だと思ひます。そのお付き合ひの能力によって、専門家からずぶの素人までに、いろいろな階層ができ、文化の統一体が形づくられるのです。(新仮名新漢字のやうな)専門家と素人一般との間に、あへて一線を画するやうな考へ、それにもとづく教育観は、素人に媚びるもので、素人はその甘言に喜ぶでせうが、後になって後悔すること必定です。『(国民に、より深く難しい知識教養を)持つな持つな』と言はず、『持て持て』と言ふのが本当(の教育)ではありますまいか。」(カッコ内は生方の補い。福田全集第三巻の「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」より)

 最近ようやくその弊害が指摘されている「ゆとり教育」なども、新仮名新漢字と同じく、子どもに勉強で苦労させたくない、楽をさせたい、という発想である。それは、「優しく親切だが、本心は無関心で冷たい」似非ヒューマニズムである。福田のような「厳しく怖いが真に関心を持ち暖かい」父の愛を戦後日本は喪失してしまった。

平成一七(二〇〇五)年一〇月三〇日