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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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源氏物語読書メモ(二〇〇五年)

 

六条御息所の悲しみ


「葵」の巻は、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が「生き霊」となって葵上に取り付き葵上が病で死ぬ場面を頂点にしている。しかし六条御息所の描き方は、嫉妬と怨恨に狂った女などという単純なものではなく、まるで近代心理小説のように複雑なのである。紫式部の手腕は驚嘆すべきだ。


そもそも六条御息所は大臣の娘として内親王を産んだ立派な身分であり、教養も機知も思いやりもあり、しかも大変に奥ゆかしい女性なのである。彼女は、源氏との恋が噂に上っていることや自分が源氏より七歳も年上であることを羞じ、いっそ娘の内親王と一緒に伊勢に下り源氏から身を引こうとも思っている。しかし源氏への思いは断ちがたく、懊悩する気持ちをせめて一時でも晴らそうと源氏の華やかなパレードが出る葵祭りに出かけるが、そこで葵上の車に押しのけられ自分の車を壊されるという屈辱に遭う。それ以来、彼女自身もどうしようもない魂の分離が起こる。六条御息所は意識の上では嫉妬や憤怒に狂ってはいない。あるのはただ悲しみと嘆きである。が、無意識の世界では、嫉妬と怒りがとぐろを巻き、それが彼女の体から抜け出して葵上を責め立てに行く。原文をたどるとこういう具合である。


「身一つの憂き身を嘆きよりほかに、人を悪しかれなど思ふ心も無けれども、もの思ふに、あくがるるなる魂は、さもやあらんと思し知らるることもあり。(中略)少しうちまどろみ給ふ夢には、かの姫と思しき人のいと清らにてある所に行きて、とかく引きまさぐり、現にも似ず猛く厳きひたぶる心の出来てうちかなぐるなど、見給ふこと、度重なりにけり。(=六条御息所は、わが身一つの憂き嘆きより他に、他人の身の上を悪しかれなどと願う心は無いのですけれど、ものを思うと知らぬ間に魂があくがれ出ることもあるというから、或いはそうでもあろうかと思い当たる節もあります。(中略)御息所は、ちょっとでもうたた寝をなさいますと、その夢の中で、あの姫君と思しき人の美しい姿をしているあたりへ出かけていって、あちらこちらと引っ張りまわしたり、うつつの時には似ぬ、猛々しい、激しい、ひたぶるの心が起こって、打ちのめしたりするところをご覧になることが幾たびもあったのでした。)」


紫式部が描くのはこういう深層心理劇なのである。


さて、源氏物語「葵」の巻に基づいた能に「葵上」がある。能「葵上」は、源氏物語に依拠しながらも、物語の焦点を魂の浄化(カタルシス)ということに絞っているように思われる。これは典型的なカタルシス劇であり、カウンセリング劇である。ツレの照日の巫女は、あたかもカウンセラーのように、六条御息所の嘆きや悲しみ、そして無意識の世界に渦巻く怒りや嫉妬を観衆の前に表出させる。後場でシテの六条御息所は般若の面(おもて)を着けて現れるが、般若の表情も実は「怒り」というより「悲しみ」なのであり、内向的なものなのだ。般若と化した御息所と横川聖の対決は、御息所の心理の葛藤を表象している。恨むか許すか、怒りに任せるか自重するか・・・。能は観衆とともに浄化されることを好むが、ここでも悪霊は横川聖に調伏され成仏して物語が終わる。源氏物語原文のような悲劇では終わらせないのである。


紫式部も能の作者も、人間は意識の下層に無意識ないし深層心理というものを蔵していることをよくわかっていた。ただ無意識とか深層心理とかいう言葉が無かっただけである。

 

平成一七(二〇〇五)年六月二五日

 


紫の上の初夜


「葵」の巻の最後に、源氏が養育してきた紫の上が大人の体になり、源氏と初めて大人の契りを結ぶ場面が出てくる。ここには、源氏の急いた気持ちと紫の上の可愛い憤りが実に微笑ましく描かれている。結ばれたくてしかたない源氏は、それとなく紫の上を誘うのだが、無邪気な紫の上は一向に気づかない。「ただ、さる方のらうたさのみはありつれ、しのび難くなりて、心ぐるしけれど。(=源氏は、ひとえにあどけない者よとばかりお感じになっていらっしゃいましたが、今はもうこらえ難くなって、紫の上には心苦しくお思いになりつつも。)」と、ついに二人は結ばれるのであるが、なかなかキワドい表現である。肝心の部分が省略されているのも好い。紫式部がうち笑みながら書いている様子が目に浮かぶような気がする。江戸時代の堅物儒学者たちが源氏物語を嫌ったのも、こういうところなのだろう。しかし今となっては何と健全で微笑ましい情感だろう。

平成一七(二〇〇五)年六月二五日



和歌の重層性


賢木(さかき)の巻で、伊勢に下る六条御息所に光源氏が送る歌、

    乙女子が あたりと思えば 榊葉の 香を懐かしみ とめてこそ折れ

は、拾遺集に収められた二つの歌を踏まえて作られている。背景となった二つの歌が持つ意味を重ね合わせることにより、この歌は幾重にも意味の重なった奥深い情感を秘めたものとなっている。言葉の重層性が、情感とイマジネーションの無限の多様さと奥深さを誘発しているのである。言葉に神の力が宿ることを実感させられる和歌の奥深さよ!

平成一七(二〇〇五)年一〇月二三日



光源氏の狂乱


賢木の巻で、光源氏は、最愛の藤壺への思慕が募ってついにその部屋に忍んでゆく。そこに描かれているのは、報われない禁断の恋に狂乱する源氏の姿である。原文と現代語訳でその場面の一部をみてみよう。時に源氏は二十五歳くらいである。

「『様殊に、いみじう、ねびまさり給ひにけるかな』と、たぐひなくおぼえ給ふに、心惑ひして、やをら、御帳(みちゃう)の内にかかづらひ入りて、御衣(おんぞ)のつまを、ひき鳴らし給ふ。けはひ、しるく、さと匂ひたるに、あさましう、むくつけう思しなされて、やがて、ひれ伏し給へり。『見るだに向き給へかし』と、心やましう、つらうて、引き寄せ給へるに、御衣をすべし置きて、ゐざり退き給ふに、心にもあらず、御髪(みぐし)の、とり添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど思し知られて、『いみじ』と思したり。男も、ここら、世をもてしづめ給ふ御心、みな乱れて、現様(うつしざま)にもあらず、よろづのことを、泣く泣く恨み聞え給へど、『まことに心づき無し』と思して、いらへも聞え給わず。ただ、『心地のいと悩ましきを。かかる折もあらば、聞こえてん。』と、のたまへど、尽きせぬ御心地の程を、言ひ続け給ふ。」

[現代語訳(谷崎潤一郎による訳に主語を補完)=源氏は、「今では藤壺の方がずっと女ざかりになっていることよ」と、世に類無くお感じになりますと、ついふらふらとお迷いになって、やおら御帳台の内を伝ってお入りになって、藤壺の御衣の褄(つま)をひき動かされます。気配もしるく、さっと源氏の薫物の香が匂いましたので、藤壺は浅ましくも恐ろしくお思いになられて、そのまま俯(うつぶ)てしまわれました。「せめてこちらを向いてください」と、源氏は辛く情けなく思われ、お引き寄せになりますと、御衣をするりと脱ぎ捨てておいて、いざりながらお逃げになりましたが、思いもよらず御髪が御衣にまつわり付いて源氏の手に取られましたので、何とも心憂く、宿世の程が思い知られて、たまらなくお感じになります。男も、長い年月の間、こらえ鎮めていらっしゃったお心がすっかり乱れて、我が身が我が身とお分かりにもならず、何やかやと泣く泣く恨み言を仰せられるのですが、藤壺は「何といういやらしいことを」とお思いになられ、おん答(いら)えもなさいません。ただ、「たいそう気分がすぐれませんものを。こんなでない折もありましたら、その時にして」とおっしゃるのですけれども、源氏は、お胸のうちの尽きせぬことどもを言い続け給うのです。]

 これはもはや上品な宮廷恋愛劇ではない。僕は、源氏物語にこんなに生々しく激しい恋の情念のほとばしりを見出そうとは想像もしなかった。ここには、求めても求め得ぬ愛の激しさのために、日頃のスマートさをかなぐり捨て去らざるを得なくなったひとりの男の姿がリアルに描かれている。

平成一七(二〇〇五)年一〇月二九日


海の開放感


「須磨」「明石」の巻で、物語は舞台を初めて都から移す。光源氏が右大臣家に疎まれて自ら須磨やがては明石に隠棲したのである。今まで自分に近寄ってきた人々も急に手のひらを返してそっけなくなり、源氏にとっては「世は憂きものなり、と、思し知ら」される経験であった。しかし一方で、物語は、都の小路や室内の調度品の世界から、潮の香りと波の音と松吹く風の世界へと移ることで、それまでに無い開放的な雰囲気を感じさせる。紫式部は、結婚前、父・藤原為時の任地であった越前の国府(現在の福井県武生市)で一年半ほど生活した経験があり、こうした地方での暮らしが須磨や明石の風景描写に生きているのかも知れない。次の一節など、須磨の浦の物寂しくも美しい風景と源氏の寂寞とした心象風景とが巧みに重ねられた名文である。

 「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の『関吹き越ゆる』と言ひけむ浦波、夜々は、げにいと近う聞こえて、また無くあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、ひとり目を覚まして、枕をそばだてて、四方(よも)の嵐を聞き給ふに、波ただここもとに立ち来る心地して、涙落つとも覚えぬに、枕浮くばかりになりにけり。(=須磨ではひとしお(歌に詠まれた)『心づくしの』秋風が吹き始め、海はやや遠いのですけれども、行平の中納言の『関吹き越ゆる』と詠んだ浦波が、なるほど夜はいつもたいそう近く聞えて、またとなくあはれなものはこういう土地の秋なのでした。お前に侍(さぶろ)う人もいよいよ少なく、誰も眠ってしまいましたのに、(源氏は)独り目を覚まして、枕を欹(そばだ)てて四方の嵐を聞いておいでになりますと、波がひたひたと寄せて来るような心地がして、涙がいつ落ちたともわからないうちに、枕も浮くばかりになるのでした。)」

 須磨、明石の巻では、ほかに、源氏が去ることを知り、ひた隠しにしていた源氏への慕情を募らせる藤壺の心理を描くきめ細かな描写や、なかなか心を開かない明石の姫が、琴の遊びや歌のやりとりを通じてようやく源氏と睦むに至る、微妙で艶やかな表現が印象的だった。

平成一七(二〇〇五)年一二月二四日