歌舞伎印象記
金沢に、二代目中村魁春(かいしゅん)襲名披露の歌舞伎が来たので、県立音楽堂の邦楽ホールに見に行ってみました。歌舞伎を見るのは、二〇年振りくらいです。東京の国立劇場かどこかで妻と一緒に見たときの記憶はほとんど残っていませんが、観客が皆浮き浮きして華やいだ雰囲気だったことが印象的でした。今回の公演も座席は一杯に埋まっており、見せ場で発せられる「播磨屋!」とか「加賀屋!」といった呼び声が華やかな雰囲気を盛り立てていました。金沢の邦楽ホールはとてもしゃれた作りで僕は好きです。今回、義経千本桜から「吉野山」と「与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなのよこぐし)」からの二場(木更津海岸見染めの場と源氏店の場)を拝見しましたが、一口に歌舞伎といっても、「吉野山」は歌や踊りが中心なのに対し、「与話情浮名横櫛」は純粋に芝居であり、ずいぶんヴァリエーションがあるのだと知りました。
まず、義経千本桜から「吉野山」が演じられました。この「吉野山」は、台詞によってストーリーが展開する芝居の部分と歌や踊りや曲芸を楽しませる部分とがあります。舞台の背景に満開の桜にあふれた吉野山が匂うがごとくに描かれ、器楽も三味線のほか鼓、太鼓、笛などが賑やかに加わり、とにかく華やかです。観客を魅せ、酔わせ、笑わせ、泣かせます。そして無常をも感じさせ、「面白うて やがて哀しき 宴かな」を実感させます。江戸期の人たちが歌舞伎に熱狂した理由がよくわかりました。ただ物語自体は、義経記の静御前や佐藤忠信とはほとんど無関係の一種のおとぎ話であり、壮大な古典のパロディといった印象でした。
次に、二代目中村魁春襲名の「口上」がありました。口上というのは、この日登場する中村吉右衛門、中村魁春、中村梅玉など主な役者たちが、化粧をし紋付に裃(かみしも)姿でずらりと並んで、それぞれ観客に独特の言い回しで口上を述べる(挨拶をする)ことです。単に挨拶といえば挨拶なのですが、僕など歌舞伎役者のことを何も知らない者でも、何となくわくわくするのだから不思議です。それぞれの役者の言葉の端々からは、その家の伝統の重さが感じられたり、役者の個人的な思い入れが発露されたりして聞いていて飽きません。挨拶が芸になるとはすごいことです。
なお、今回襲名披露した二代目中村魁春の屋号は「加賀屋」ですが、実はこの家系は金沢に深い因縁があるのです。魁春の父、六代目中村歌右衛門は希代の名女形だったそうですが、その祖である初代中村歌右衛門(正徳四(一七一四)年〜寛政三(一七九一)年)は金沢の医師の息子だったのです。その初代歌右衛門は芝居が大好きで、医師を継がず一七歳で役者としてデビューし、以来大阪を本拠地に京都や江戸でも活躍し、その時代きっての大役者になった人です。初代歌右衛門は、実子の三代目歌右衛門(安永七(一七七八)年〜天保九(一八三八)年)を役者にしたくなくて、金沢へ帰して医師にする修行をさせようとしましたが、役者の子は役者というべきか、三代目歌右衛門は頑として聞かず、父が亡くなったすぐ後に役者になってしまい、これまたその時代の花形役者になりました。今回襲名披露した中村魁春さんは、舞台に先立って、金沢市東山の真成寺にある初代中村歌右衛門の供養塔を訪れ襲名を報告したそうです。
さて、最後に演じられた「与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなのよこぐし)」は、踊りや歌は無く、純粋な芝居、それも江戸時代当時を舞台にした「現代劇」です。これは、今のヨン様ブームに至るまで連綿と続く、日本人の(特に女性の)好きな色恋劇ないしメロドラマの原点のようなお話です(ちなみにヨン様など現代韓国恋愛劇はすべて日本の一九八〇年代の恋愛ドラマの忠実なコピーです)。正直、僕はこのメロドラマにはあまり心動かされませんでした。
平成一七(二〇〇五)年七月二三日