都市空間での夜能の楽しみ
妻と日比谷シティの夜能に出かけました。この夜能、今年で二十四回目だということですから、もうすっかりこの季節の行事として定着しているのでしょう。野外の能は、郊外の公園のようなところで薪を焚いて「薪能」のかたちで催されるのが一般的ですが、日比谷シティなどといいう都心のビルの谷間で催されるのは珍しいのではないでしょうか。この広場、能楽堂の何倍もの広さがありそうですが、ほぼ満席の盛況でした。当然マイクを使っての演能です。演目も狂言「仏師」に能「小鍛冶」と、遠目にもわかりやすい派手目のものが選ばれていました。
能「小鍛冶」は次のようなお話です。一条帝から剣を打つよう命じられた名工、三条小鍛冶宗近(むねちか)が、帝の命にふさわしい剣を打つための優れた力量を持つ相槌(あいづち:一緒に剣を打つ相方)が居ないことに困り果て、稲荷明神に加護を願おうとすると、どこからともなく現われた童子(実は稲荷明神の化身)が助力を誓います(ここまでが前半)。鍛冶場を清めて待つ宗近のところへ、稲荷明神が神体となって出現し、自ら相槌をつとめ、見事な名剣・小狐丸が出来上がります(稲荷明神は狐の化身といわれますので剣にこの名前が付けられました)。この間に、古事記に記された日本武尊の草薙の剣の話など剣にまつわる古今の目出度い物語が語られて宗近をインスパイアーします。幽玄とか優美といった趣の曲ではなく、きびきびした運びでさわやかな印象の曲です。
しかもこの日の「小鍛冶」は、観世流独特の「黒頭別習(くろがしら・べつならい)」という小書で演じられました。金沢で宝生流の通常の「小鍛冶」は拝見したことがありますが、それと比べると、後シテの稲荷明神が黒い髪で上着を着ないモギドウ姿で登場する(下右の写真をご覧ください)ばかりでなく、囃子もかなり高揚した調子の音楽となり、後シテの型も「石橋」の獅子のように頭(かしら)を振ったり足を宙に振り挙げたりする派手さが目を惹きます。巨大な空間を意識した派手目の特殊演出が選ばれたのでしょう。
能楽につきものの松鏡すらない、都市空間で演じられたこの祝祭性の高い能、僕は違和感無く大いに楽しめました。これがもう少しリアルなお芝居だったら、背景がビル街というのはかなり違和感を生ずるかもしれません。しかしリアリズムに依拠しない能は、その抽象性、象徴性ゆえに自在に都市空間にも溶け込めるのだと感じました。じつに後味さわやかに会場を後にしました。「小鍛冶」のシテ(稲荷明神)は梅若六郎さん。復元能や新作能なども大胆に取り上げる、近代的な「演劇人」の印象が強い方ですが、こうした古典もきっちりこなしておられるようです。僕は正直もう少し年取った方かと思っていましたが、昭和二十三年のお生まれですからまだ五十歳代なのですね。謡も型も力強く若々しかったです。その他のキャストでは、大鼓の亀井広忠さんやワキ(小鍛冶宗近)の宝生閑さんの顔に現われた蒸気の出そうな気迫が印象的でした。地謡もしっかりして聴きやすかったです。ひとつ残念だったのは、狂言「仏師」における野村萬斎さんの演技がやや精彩を欠いていたように思われたことです。マルチタレントとして活躍しておられる萬斎さんですが、この日は???。僕は「仏師」を金沢で拝見したことがあり、後半のテンポが上がってゆくスピード感がとても楽しかったのですが、この日はそのテンポの妙があまり感じられませんでした。
平成一七(二〇〇五)年一〇月一三日