次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

巨匠・北斎を堪能

 

 

 上野の国立博物館で開かれている葛飾北斎展を見に行った。江戸期の画家の絵画や版画は欧米に流出してしまった品も多いが、今回の北斎展では、そうした流出品も数多く世界各地から集められ、国内にあるものも含めて五百点にのぼる北斎の作品が一堂に会して展示されたものである。

 

 北斎といえば、富嶽三十六景くらいしかイメージの無かった僕は、九十歳近くで亡くなるまで約七十年に亘って創作された北斎の作品の多様性に圧倒された。まず絵の技法が驚くほど多様、多彩である。伝統的な水墨画や大和絵に忠実な画風から、西洋の遠近法を取り入れたリアルな写実絵まで、その幅は実に広い。比較的写実的な絵における北斎の写生技術は極めて精巧であり、鶏の足の模様の精緻な書きぶりなど、思わず息を呑むほどだ。読本の挿画では、緻密な筆致とダイナミックな構図が印象的で、これぞ現代日本の劇画の祖だと誰もが感じることだろう。それらの絵の人物から、劇画の噴出し「エイッ」とか「ムムム・・・」とか言うような擬態語が発せられていても何の違和感も無いだろう。一方で、抽象化したりデフォルメ(変形)したりした象徴的な技法も見事である。池を泳ぐ亀や鯉の絵に用いられる放射状の線や方向性の妙はその例である。僕が北斎の絵を眺めていて特に素晴しいと感じたのは、人物の背筋を伸ばしたり曲げたりした姿の、その体の曲線の得も言われぬ均衡感、バランスの美しさである。その美しい均衡感は、画面いっぱいに描かれた美人の姿にだけでなく、風景画の片隅に小さく描かれた、歩いたり作業をしたりしている人物にさえ見出されるのである。

 

北斎の描く対象の多彩さにも驚かされた。彼は、美人画、役者絵、武者絵、風景画、花鳥風月画、静物画等々と、まことに多岐に亘るジャンルの絵を描いており、彼自身の時代の人物や風物から、和漢の古典文学や歴史まで、素材も実に幅広い。「北斎漫画」と呼ばれる絵の手本集の前に立つと、人間や動物たちの生態の百相に思わずにやりとさせられ、美人画の前に立つと、金沢の麗人の着物姿が思い出され切なくさせられる、という具合に、僕は、絵の前で何度も笑ったり泣いたりした。これほど人の感情や感性を立ち上がらせ豊かにする絵はそうあるまい。疲れる間も無いあっという間の二時間だった。

 

平成一七(二〇〇五)年一一月二七日