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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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江戸時代へ還れ

 

 

資源を無制限に使うことができ、地球に無限のフロンティアが存在することを前提にした、近代以来の「経済成長至上主義」と、パイの拡大を前提にした弱肉強食の「競争主義」は、限界に近づいている。人間は、有限な地球環境を慈しみ倹約し分け合わなければならない。有限な環境を前提に、人間は、原子化した個人と個人が競争して適者が生き残るのではなく、小は家族から大は国家までの様々な共同体の中で共棲してゆかなければならない。

 

この「有限な環境の中での共棲」という生き方は、実は、江戸時代の日本が既に実践したことなのである。江戸時代が「身分制度と鎖国に象徴される暗黒時代だった」という誤った認識は、徳川幕府を倒した明治政府の宣伝文句であり、戦後左翼思想のレッテル貼りでそれが増幅されたイメージであるにすぎない。近年の実証的な歴史研究を踏まえた江戸時代の真実の姿は、まさに、有限の環境における人々の共棲が実に合理的かつ平和に行われた世界だったのである。

 

今年出た本で、松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」(原本ドイツ語、翻訳=田中敏)(文藝春秋)は、そうした江戸時代見直し論のひとつであり、大変読みやすく、江戸期の日本の共同体的あり方を彷彿とさせる好著である。松原さんは、ドイツで日欧文化比較を専門にしておられ、この本も、もともと、日本に対する偏見と無知に反駁するためにドイツ語で書かれドイツで出版され、かの地で大きな話題になったものである。松原さんの江戸時代見直し論は、返す刀で、正反対の「成長と競争」の価値観で近代を築いてきた西洋の暴力的な性向を糾弾し、それを模倣した明治日本をも批判的に把握し直そうとする。こうした観点は非常に重要であり、私たち日本人もこの本から学ぶことは多い。一読をお勧めしたい。

 

 また、平成一一(一九九九)年初版の中野雄「丸山真男 音楽の対話」(文春新書)を読むと、進歩派と言われた丸山真男の感受性の柔軟さに驚かされる。戦後の進歩派は江戸時代を「後れた封建時代」という色眼鏡でしか見ることができなかったが、この本に見られる丸山は、そうしたステレオタイプの見方を否定している。彼は保守思想の意義を知り尽くしており、江戸時代の「独創性」への確かな視点を持っていたのだ。

 

                                                                          

 

昭和五四(一九七四)年初版の山本七平「日本資本主義の精神」(光文社カッパビジネス)も、江戸時代見直しを説いた本である。山本氏はこの著の中で、江戸時代をめぐる二つの誤解に冷静に反駁する。二つの誤解とは、江戸時代は「停滞の時代」であったという決め付けと、江戸期も日本人は模倣の民であったという偏見である。まず第一点、徳川三百年は本当に停滞していたであろうか? 氏はこう述べる:

 

「欧米に比べて日本は、本当にそんなに遅れていたであろうか。冷静に見れば、徳川時代は少しも停滞していない。否、むしろ進歩発展しているのである。

 もちろん、その方向は欧米と同じではない。だが、教育水準ひとつを例にとっても、当時の日本は少しも欧米に劣ってはいない。また、鈴木正三、石田梅岩、布施松翁、鎌田柳泓といった町人思想の系譜を見ても、思想的にも停滞とはいえない。さらに、心学校舎は、身分、男女による差別なき聴講自由で、既に男女共学である。さらに経済合理性を当然とし、同時にその合理性追求における倫理は確立し、その考え方が、藩主から町人、下級武士、郷士に至るまで浸透している。

 確かに技術格差はあったが、これまた機械さえ購入すれば、明日からでもこれを生産に活用し得る優秀な労働力があり、労働を賤業とは考えず仏行と考える国民がいる。また、合理的経営を当然とする町人がおり、一方、一藩の政治さえ経済的合理性に立脚しない限り不可能だということを、身をもって示した名君の伝統がある。」(同上書、以下引用は同じ)

 

明治と戦後の発展は、既に進歩を続けていた江戸時代に準備されていたのである。明治や戦後の日本の発展は「奇跡」ではなく「必然」だったのだ。

 

次に第二点、日本人は模倣の民で、試行も探求もしないか? 否、「徳川時代こそ、まことに苦しい試行と模索の時代であった。そしてその中で、巧みな経営で『富藩強兵』を実現し得た藩が、明治の政権を担当した」のだ。山本氏の次のメッセージを私たちはよく味わうべきである。

 

「江戸時代は、日本の歴史の中で、もっと興味深い時代である。というのは、一言で言えば、この時代は『日本人の自前の秩序』を確立した時代であり、それが三百年近く継続した時代であるからである。

 いわば、明治のように西欧を模倣し、戦後のようにアメリカを模倣した『マネ時代』でもなければ、古代の日本のように、中国のみが典拠であった時代でもなかった。『マネ時代ではない』という意味では、最も独創的な時代であった。当時の思想家は、本当に考えなければならなかった。また政治家は、模索をしつつ新しい秩序を確立しなければならなかった。

 そして、その際に準拠しなければならぬものがあるとすれば、それは、自己の精神構造とそれに対応した社会構造である。秩序はこの上に建てねばならず、それ以外に基盤は無い。これは『当たり前』のことであり、この『当たり前』を当たり前として実行していったのが、この時代であったのだ。」

 

江戸時代とは、日本人が、「自分とは何か」、つまりは「自己の精神構造とそれに対応した社会構造」がどうあるべきかを真剣に問い、実践した時代だったのである。

 

この著で山本氏は、江戸時代の日本が停滞の世界でも模倣の世界でもないことを明らかにしつつ、明治から今日に至るまでの日本の資本主義が、その精神構造も社会構造も江戸時代に形成されていたことを、石田梅岩の心学や上杉鷹山など名君の伝統に象徴的に見出している。その要諦は次のようにまとめ得よう。即ち、商家はもちろんのこと、藩のような「共同体」であっても、「資本の論理」が貫かれねばならず、経済合理性に背いた藩経営は失敗して没落してもやむを得ない。つまり経済合理性は善であり、共同体といえども機能集団でなければならなかった。それゆえ、商家が消費者のために徹底的な合理化を図ることは善であり、藩も生産力を上げるために上杉鷹山の君臣のように愛馬に人糞を積み鋤を握って泥田に入ることは善であったのだ。しかし一方で、そうした経済活動は、自己利益の追求つまり「私欲」のために行ってはならず、ひとえに藩および藩民、或いは商家および消費者といった共同体に奉仕するためになされなければならなかった。山本氏の言葉を借りれば、「この原則は、藩という共同体を維持するためには、これが資本の論理に基づく機能集団に転じなければならぬという発想であり、同時に、商家という機能集団は、それが機能するためには、共同体と化さねばならないという考え方であった。」

 

そこでは、「私欲無き経済的合理性の追求とそれに基づく労働」が善であり、「資本の論理を厳格に実施しつつも経営者自身は無私無欲であらねばならぬ」という倫理が貫かれていた。これは、かつてピューリタンが持っていた倫理とともに、人類史において極めてユニークなものであろう、と氏は述べる。そして、「この伝統は今も生きており、経団連会長が私財を蓄えず、財界著名人が陋屋に住んでいると聞けば、日本人は感動し、その人を信頼する。特に一国の政治経済と密接に関る業に携わる者には、それが要請される」のである。

 

明治と戦後の日本資本主義は、こうした江戸期に形成された「無私の倫理に則った機能集団と共同体の融合」によって成功を収めてきた。しかし氏も指摘するように、「機能集団が同時に共同体であるという状態は、一歩誤ればそれが、共同体を維持するためにのみ機能するということである。かつての軍隊、今の三K(米、国鉄、健保)が皆この顕著な例である。」つまり共同体内部しか見ない官僚的自己増殖の弊害が生じやすいのである。そこで山本氏は「日本は、常に、倒産が必要な社会である」と喝破する。これは今でも正しい。国が保護する産業を出来るだけ減らそうとする「小泉改革」も、この限りにおいては正しい。

 

企業の中の労働者についても、機能主義と共同体が融合した世界では、「忙しそうにする、ひたすら働く、残業をする」ことが私欲の無さに見えてしまい、実際の生産性向上や成果には結びつかない弊害が生じる。ではしばらく前に流行った「成果主義」を導入すればいいのか? 山本氏の考えは違う。曰く:

 

「機能集団が同時に共同体であり、共同体であらねば全体が機能しないという世界では、成果のみの評価もまた問題を生じる。そして、日本のように自己規制の倫理の社会では、各人が自らに峻厳な自己評価を下すという以外に解決方法が無くなってくるのである。

したがって、自己の行為が、広くは日本の社会の全員に、狭くは自己の所属する共同体に、負担をかけているか否かを、自己の「本心」に照らして自己診断を行うという方法を失えば、日本にプラスした点が、日本にとっても本人にとってもマイナスに作用するであろう。石田梅岩が厳しく戒めているのもこの点である。」

 

成果主義で締め上げるようなやり方をすれば、日本の労働者は働く意欲を無くすだけで、日本の競争力の源泉である現場での自発的な工夫や創造を失うばかりである。「本心」に照らした「峻厳な自己評価」を安心してできるような環境を整備するしかあるまい。

 

日本資本主義の倫理は、揺らぎやすいものでもある。氏も指摘するように、実際に日本では、明治から今日に至るまで、経営者や政治家たち(社会のリーダー層)による非倫理的な行為、特に疑獄事件が頻発した。疑獄事件の多さは、無私の経営という倫理を守るのが社会のリーダーたちにとっていかに困難かを示している。そして日本ではこうした非倫理的行為への糾弾は厳しく、その糾弾の厳しさが極端になって政府の基本政策を歪めてしまうことさえあるのだ。それに加え、現在では、アメリカ式の「儲けること」「私欲を満たすこと」自体に「アメリカンドリーム」といった価値を見出し、「個人の成功」をもてはやす価値観が侵入し、日本資本主義の倫理はいっそう揺らいでいるように思われる。しかし、依然、私たちの心底には、無私の態度を美しいと見る気持ちが根強い。少し知性あるビジネスマンなら、アメリカ式の単なる個人の成功・栄達は、人生の目的とするにはあまりに低級なものと感じられるであろう。

 

山本七平氏は、日本資本主義のもうひとつの欠点として、経済合理性を、つまりは結果ないし成果をあまりに性急に求めすぎる欠点があり、それが将来を見据えた大きな決断や長期的な投資を否定することにつながるとして、日本のエネルギー環境を見据えない情緒的な原子力発電反対や、新技術がすぐ機能しないことへの批判の多さなどを挙げておられる。先ごろまで日本で流行っていた「成果主義」にもこの傾向が見られるのではないか。短期的な成果ばかり気にして、中長期的な投資や人材育成を怠ると、日本資本主義は危うい。

 

このように、日本資本主義の精神には、長所の裏返しである短所も数々存在する。しかし、それは、江戸期に日本人が自発的に見出した独創的な価値観であり、私たちはそれを簡単に捨てられはしないし、捨てるべきでもないのである。山本氏の著「日本資本主義の精神」は、日本の資本主義のあり方を考える上で、最も重要かつ基本的な視座を提供しており、今でも古びていない。私たちはここから議論を始めるべきである。

 

                                                                          

 

二十一世紀に生きる私たちが、西洋近代の生み出した「経済成長主義」と「競争主義」という価値観を見直さなければならないとすれば、西洋近代を忠実に模倣しようとした明治日本のあり方も見直すべきであろう。司馬遼太郎のような、明治の日本は明るく合理的だが、昭和(戦前)の日本は暗く非合理だという「割り切り」は、あまりに歴史を単純化しすぎている。昭和の失敗の遠因は明治に胚胎していたはずである。

 

明治にまでさかのぼって、近代日本の全てを否定するような極端な議論は誤っている。しかし、明治のあり方を批判し、急激な西洋化ではなくもっと漸進的な行き方もあったのではないか、と問うことは決して無意味ではない。現にそうした見方も歴史家の間から出てきている(例えば、安部龍太郎氏の「明治維新が日本を誤らせた」:『現代』一九九八年十月号所収)。幕末に、もし、「公武合体」政権が成っていたら、急進ゆえの歪んだナショナリズムも噴出しなかったのではないか? 天皇制のあり方ももっと穏健なものになっていたのではないか? 武士的エトスもある程度保たれたのではないか? こうした歴史上の「もし」を想像することは、決して意味の無いことではない。

 

明治日本を見守る眼差しとして、今日、最も公平なのは、福田恒存の「避け難い宿命としての近代化、西洋の模倣」という視点である。福田は、明治の急激な近代化は、決して好ましいものではないが、インドも清も西洋に打ちのめされていた当時の世界情勢を考えれば、日本が生きてゆくには不可避であり、宿命であったと観じる。明治の急進を、苦渋の表情を浮かべつつも涙を伴った目で見つめる福田の暖かい眼差しを僕は共有したい。

平成一七(二〇〇五)年一二月六日