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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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新春の浅草歌舞伎を楽しむ

 

 

 一月五日に家族三人で浅草へ出かけました。浅草公会堂で催された「新春浅草歌舞伎」を見に行ったのです。この歌舞伎は、毎年初、若手の役者が古典作品に取り組む場として興行されており、小生のような初心者にもわかりやすいポピュラーな演目が並べられています。私たちが拝見した昼の部では、市川亀治郎(一九七五年生まれ)と中村獅童(一九七二年生まれ)が組んで、歌舞伎十八番のうちの「鳴神」、それに、中村勘太郎(一九八一年生まれ)、中村七之助(一九八三年生まれ)の兄弟が主な役を務めて、「仮名手本忠臣蔵」の五・六段が演じられました。「鳴神」は、朝廷を恨んで龍神を滝壺に閉じ込め、この世に雨が降らないようにしてしまった鳴神上人のもとに、密かに勅命を受けて遣わされた「雲の絶え間の姫」が、色香で鳴神上人をたぶらかし、まんまと雨を降らせるお話。一方「仮名手本忠臣蔵」の五・六段は、忠臣蔵のサイドストーリーで、誤解から切腹に追い込まれる悲運の若者、早野勘平と彼のために身を売る妻おかるを中心に様々な人物が絡む人情話です。

 

結構楽しめました。小生は歌舞伎役者についてはほとんど何も知らないのですが、「鳴神」における市川亀治郎さんの女形(雲の絶え間の姫)は顔かたちも所作も本当に美しいと感じました。鳴神上人を演じた中村獅童さんは、さすがにテレビや映画にもよく出ているので、顔くらいは知っていました。最初少し声が弱いような気もしましたが、物語が進むにつれて迫力が増し、鳴神上人がだまされたと知って怒り狂い、経文を引き裂き、取りすがる弟子たちを投げ飛ばす「荒事」は、実に豪快な演技で魅せてくれました。ちょうど私たちの席は花道のすぐ脇でしたので、そこを通る役者たちの姿を間近に見ることが出来ましたが、雷となって荒れ狂いながら花道を出てゆくスポットライトを浴びた鳴神の力感と華やかさには、思わず目頭が熱くなりました。これからも俳優業の基礎となる古典歌舞伎もしっかりやってほしいものだと思います。

 

「鳴神」は、演劇というよりも、祝祭性に富んだイベント、見世物といった要素が強い歌舞伎です(とはいえ、能と比べると、舞台設定や筋書きや台詞ははるかに具象性があり、芝居的要素が強いのですが・・・)。平安時代の物語という設定なのですが、時代考証などはまったく無視して江戸時代当時の風俗と言葉で通しており、お話としては全く荒唐無稽なのですが、そんなことはどうでもいいと感じさせるほど華やかです。音楽も、笛、三味線に大小鼓や各種太鼓や鳴り物などが賑やかに鳴り響きます。雲の絶え間の姫の絢爛豪華な振袖の衣装やかんざし、鳴神上人の隈取を塗ったど派手な貌(かお)、爆発した頭髪、巨大な注連縄(しめなわ)を締めた現実離れした装束などなど、江戸時代の庶民が歌舞伎に熱狂し、浮世絵師たちが歌舞伎役者を競うように描いた理由がよくわかりました。ここには非日常的な舞台の楽しみが山盛りに盛ってあるのです。小生もこの大ご馳走にしばし酔わせてもらいました。

 

一方、「仮名手本忠臣蔵」の五・六段は、見世物というよりは、ストーリーに重きを置いた「芝居」であり、明治以降現代に至る、日本の演劇やドラマの原点はここにあると感じました。しかし、この江戸期の人情話は、「現代人」である小生にとっては、ちょっとキツイな、と感じます。確かに、偶然性をうまく取り込んだストーリーは良くできていますし、悲劇の持つカタルシス(心の浄化)作用にも事欠きません。おかるを演じた中村勘太郎さんの可憐さや、おかるの母・おかやを演じた中村芝喜松さんの老母ぶりの見事さにも感じ入りました。しかしこれはあくまで江戸期の日常性に密着した物語です。「鳴神」のような荒唐無稽な話ではなく、ずっと現実の江戸の生活に近いのです。このリアリズムが小生には窮屈に感じられました。なお、入り口で借りたイヤホンガイドが大変わかりやすく解説してくれました。これが無いと、この物語のいろいろな伏線や仕掛けがわからないでしょう。初心者向けのサービスとして親切でいいな、と思いました。

 

 今回、家族三人で行ったこの新春浅草歌舞伎、一番気に入ったのは、初めて歌舞伎を見た我が娘だったようです。見た翌日に図書館で歌舞伎の解説本を借りて読む耽るなど、思いのほか興味を持ったようです。古典芸能は若い人には向かないのではないか、という小生の心配を吹き飛ばしてくれました。

 

平成一八(二〇〇六)年一月八日