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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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運命の女神をも御する「人間の力量」学―マキアヴェリの「君主論」

 

 

マキアヴェリは抽象的な思索に耽って「君主論」を書いたのではない。彼は、膨大な古今の歴史書・文学書を読み込んでおり、古代ローマ史などに登場する多彩な人物の事跡から数多くの教訓を引き出している。さらに、彼自身がフィレンツェ共和国の官吏として生きたルネサンス期のイタリアの、さながら日本の戦国時代のような、様々な勢力が割拠して相争う時代のリーダーたちのあり方をつぶさに観察し、リーダーにふさわしい力量とは何かを考察している。彼の普遍的な結論や教訓は、すべてこうした歴史や現実を分析して帰納されているので、こうした具体的な裏づけの部分を読まずして、「君主論」の結論や教訓だけを「名言集」として読むのは、マキアヴェリの真意を読者が誤って理解する恐れもある。しかし、一方で、彼の力強く達意の文章は、結論のみの「名言集」になっても、充分読者を説得する魅力を持っている。「君主論」の中から、僕が気に入ったいくつかのマキアヴェリの「名言」を紹介しよう。

 

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「自己の軍隊を持たなければ、いかなる君主政体も安泰ではない。それどころか、逆境の際に自信を持って防衛する力量を持たない以上、すべては運命に委ねることになってしまう。」(第十三章)

「満足していないがために、それまでの政体が征服されるのに力を貸したがごとき者たちよりも、以前の政体に満足していたがために敵対した者たちのほうが、おのれ(=征服者)の真の味方になることは、はるかに容易に見て取れるだろう。」(第二十章)

 

我々のビジネスの世界では、専門性を持った人材を中途採用する動きが一般的になっている。しかし、経営者は、“渡り職人”たる中途採用の「専門家」の限界を知るべきであろう。彼らは職務への忠誠心で働いているのであって、会社への忠誠心で働いているのではない。会社が逆境に陥った時、“傭兵”である「専門家」たちはたちまち離散する。いざという時の“自己の軍隊”すなわち「生え抜き社員」の重要性を認識すべきであろう。後段の「不満分子より忠義者」という教訓もビジネスの世界で有効である。それは経営者が幹部人材を他社から引き抜くときの教訓であり、企業を買収した際に対象企業の社員を見極め管理する上でも重要な教えであろう。

 

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「賢明であるならば、君主は“けちん坊”との評判など気にしてはならない。」(第一六章)

「加害行為はまとめて一度になさねばならない。けれども恩恵のほうは少しずつ施すことによって、なるべくゆっくりと味わうようにしなければならない。」(第八章)

 

これらの章を読むとき、僕の脳裏に浮かぶのは、民主主義における田中角栄的な「気前のいいばら撒き」主義の弊害である。財政が無制限に出動して鉄道や道路や美術館を造る高度成長期後半以来の日本の民主主義のあり方は、麻薬のごとく「やめられなくなる」ものであり、未来を思慮できる賢明な統治者なら避けなければならないやり方である。

また、ビジネスの世界でも、一時期「成果主義」がもてはやされたが、その危うさはやはり「気前のいい金銭のばら撒き」にある。成果主義は成果をあげたものに賞与という金銭で報いるが、一度上げた賞与を下げるのは難しいし、上がったときの喜びよりも下げられたときの失望のほうを人間はよく覚えているものだ。経営は常に右肩上がりを維持できるわけではない。金銭のインセンティブに頼る経営は、逆境に陥った時に必ず大きな失望を社員に与え、優秀な社員を離反させてしまう。日本の経営者は、将来大きな仕事ができるという期待感を「ゆっくりと味わう」ことをモティベーションにする日本型「経験システム」の賢明さにそろそろ気づいてもよさそうである。

 

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「君主たる者は、おのれの臣民の結束と忠誠心を保たせるためならば、冷酷という悪評など意に介してはならない。なぜならば、殺戮と略奪の温床となる無秩序を、過度の慈悲心ゆえに、むざむざと放置する者たちよりも、一握りの見せしめの処罰を下す君主のほうがはるかに慈悲深い存在となるのだから。なぜならば、無秩序は往々にして住民全体を損なうが、君主によって実施される処断は一部の個人を害するだけであるから。」(第十七章)

「君主たる者に必要なのは、先に列挙した資質(=気前がよく、慈悲深く、信義を守り、潔癖であり、信心深い等々)を現実に備えていることではなくて、それらを身に付けているかのように見せかけることだ。いや、私としては敢えて言っておこう。すなわち、それらを身に付けて常に実践するのは有害だが、身に付けているようなふりをするのは有益である、と。・・・(中略)・・・彼(君主)は、運命の風向きや事態の変化が命ずるままに、おのれの行動様式を転換させる心構えを持ち、可能な限り善から離れることなく、しかも必要とあらば、断固として悪の中へも入ってゆくすべを知らねばならない。」(第十八章)

 

政治的能力(経営能力といっても良い)とは何か。それは断固として組織に秩序を与え、外敵から組織を守る能力である。「慈悲深く優しい性格」などというものは、無秩序や意思決定の遅滞をもたらすだけである。中途半端な道徳的善行が政治家(経営者)にとっていかに有害なものか、マキアヴェリは知り尽くしていた。組織に秩序をもたらし外敵に打ち勝つためには、残酷さや狡猾さも厭ってはならない、というのが彼の教えである。マキアヴェリが非道徳的な教えを説き、残忍酷薄な君主たちを賞賛した、という非難などはとるに足らぬ。彼の人間観察の正しさを鋭敏に受け止めることが出来ないような狭量で潔癖症の人は、決して統治者や経営者になってはならないというだけのことだ。

 

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「すべての人間の行動は、ましてや訴えられても裁かれる所が無い君主の場合には、結末だけが注目される。君主たる者は、したがって、ひたすら勝って政権を保持するがよい。」(第十八章)

「自ら賢明でない君主は、良き助言など受けられない。・・・(中略)・・・良き助言というものは、誰から発せられても、必ず君主の思慮のうちに生まれるのであり、良き助言者から君主の思慮が生まれるのではない。」(第二十三章)

 

政治家や経営者にとって、結果がすべてなのである。どんなに努力したとか苦労したとか言っても無駄である。信ずべきは己の力量、己の思慮だけである。やたらとコンサルタントを使いたがる経営者というのは、自ら思慮する能力が無いことを宣言しているようなものだ。

 

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「それゆえローマ人は、早くから不都合を見つけると、常に治療を施した。そして戦争を避けようとして事態をそのままに放置した例(ためし)は無かった。なぜならば戦争が避けられないものであり、先送りすれば相手を利するだけであることを知っていたから。…(中略)…また、私たちの時代の賢者たちが日々口にする、時の流れの恵みを待つというやり方を好まずに、むしろ潔く自分たちの力量と思慮に身を委ねることをよしとした。」(第三章)

「秀でた防衛は、確かな防衛は、永続的な防衛は、あなた自身の力に拠って支えられ、あなたの力量に依存したもの、それだけである。」(第二十四章)

 

実にいい言葉だ。人にも国にも独立心と気概を求め、それらに支えられた果敢な行動を求めている。冷戦時代そのままのアメリカ頼みの日本の防衛は、まさに「時の流れの恵みを待つ」という「愚者の先送り」でしかないだろう。かつて日本の金融当局や金融界の経営者も、「事態をそのままに放置」し、不良債権の抜本処理を先送りしたために、日本経済に甚大な機会損失をもたらしたのである。

 

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「運命は時代を変転させるのに、人間たちは自分の態度にこだわり続けるから、双方が合致している間は幸運に恵まれるが、合致しなくなるや、不運になってしまう。私としてはけれどもこう判断しておく。すなわち、慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。なぜならば、運命は女だから、そして彼女を組み伏せようとするならば、彼女を叩いてでも自分のものにする必要があるから。そして周知のごとく、冷静に行動する者たちよりも、むしろ叩くような者たちのほうに、彼女は身を任せるから。それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。なぜならば、彼らに慎重さは欠けるが、それだけ乱暴であるから。そして大胆であればあるほど、彼女を支配できるから。」(第二十五章)

 

 どんな偉人であっても、運を味方につけなければ道は開かれない。マキアヴェリも運の重要性を随所で説いている。しかし、同時に彼は、運命の前に立ち止まるよりも、運命をも御して道を切り開こうとする人間の力量と果敢な行動を求めて止まないのである。マキアヴェリは愛国者であった。彼はこの一節に続く第二十六章で、分裂した祖国イタリアが外国勢力から蹂躙されつつある現実を憂慮し、憤り、イタリアの統治者たちにこそ「君主論」を捧げたのである。

 

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僕は、塩野七生さんのように「我が友、マキアヴェリ」と呼べるほど、マキアヴェリを読み込み彼を近しい存在と感じているわけではない。が、今回「君主論」を読んでみて、マキアヴェリの人間観察の鋭利さと熱い愛国心に大いに共感し、彼の古今の歴史から学ぶ態度に深く敬意を抱いた。しかも「君主論」は名文である。イタリア語の原文の調子はわからないものの、それが雄渾な名文であることは翻訳を通じてでも感得することが出来るのである。

 

平成一八(二〇〇六)年一月九日