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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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福田恆存全集読書メモ(二〇〇六年)

 

 

真の自立した個人とは?

 

第三巻「V」には、日本と日本人に、西洋から流入した既存の価値観から距離を置き、自己を確立するように訴える一連の文章が収められている。特に、知識人に対して、西洋産の諸概念で武装した認識者という仮面に隠れた「自己防衛」を諫(いさ)め、独り立ちした言論人としての「責任」を問うている。これらの文章が書かれたのは昭和三十年代前半だが、次のような指摘は現代の我々も真摯に受け止めるべきだろう(「西欧」とあるのを「米国」と読み替えるべきかも知れないが)。

 

「私はあくまで西欧の生きかたと私たちとの間の距離を認識しろと言ってゐるのです。眼前にある西欧を、それに追ひつかねばならぬもの、或いは追ひつけるものとして眺めることは間違ってゐます。まづ異質のものとしてとらへ、位置づけすること、さうすることによって『日本および日本人』の独立が可能になるでせう。それを私は日本人の個人主義の成立と見做すのです。」(全集第三巻「日本および日本人」より)

 

「西洋的なるものと日本人との距離、一口にさう言っても、それは、ひとによってずいぶん違ひがあることでせう。お前も日本人だからかうだと押し付けがましく言ふことはできません。私の『日本および日本人』論は、諸君が自分を顧みるための材料にすぎない。既に言ったやうに、あとはひとりひとりの道があるだけです。ただ、その場合、どういふ道を歩むにせよ、自分の姿勢の美しさ、正しさといふことを大事にして、ものを言ひ、ことを行ふこと、その限りにおいて、私たちは日本人としての美感に頼るしかないと信じてをります。」(同上)

 

平成一八(二〇〇六)年二月五日

 

 

文章は過程と文体をこそ味わうべし

 

 現代も「ダイジェストで読む古典」とか「あらすじで知る名著」といった書物が本屋の店頭に数多く並んでいる。政治の世界でも、中身の不明な「改革」の一口ですべて押し通そうとする「標語手法」が盛んである。もちろんビジネスや政治の世界では「結論」や「情報」だけ手っ取り早く必要なこともある。しかし自ら思考することを目的とする読書では「結論」だけ知ったのでは意味が無い。福田曰く:―

 

「言ふまでもなく、文章はものを考へる過程そのものであって、結論ではありません。また、その過程は筆者の文体といふものを離れて存在しない。が、ダイジェストとは、あらゆる論文から文体を剥奪(はくだつ)し、結論だけを提供します。」(全集第三巻「指令席の自由」)

 

「過程としての文体は、じつは筆者が対象を何とかして支配し解決しようとする行為そのものを示してゐるのであります。従って、我々がそこから感取するのは、支配され解決され料理された対象ではなく、その対象とのつきあひ方、かかはりあひ方、すなはち主体と対象との調和のしかたであります。が、ダイジェスト式結論の中には、それが無い。支配され解決された対象、言ひ換へれば死んだ対象だけであります。その方が、一見わかりやすく、読者は対象を理解したやうな錯覚をいだくかも知れぬが、さういふことばかりしてゐると、新しい対象を自分の目で見、自分の歩幅で計ることができなくなってしまうでせう。」(同上)

 

「文章とは、常に書いた人の気魄が通ってゐるものでなければならない。」(同上)

 

平成一八(二〇〇六)年二月五日

 

 

「性それ自身が目的」と言い得るストイシズム

 

第三巻「W」には恋愛論が収められている。僕にはそのどれもが新鮮で美しく感じられた。福田の恋愛観や結婚観はとてもストイックだ。しかしそれは、単なる堅物の禁欲主義ではない。人間への暖かな「慈しみ」の眼差しであり、性を人間の結合の究極と感じ得る「純粋さ」である。ロレンスの恋愛論を敷衍して福田はこう言う:―

 

「(性は)精神的人格の独立性と高貴性を証明するための手段ではない。それ自身が目的なのであります。男女の完全なる性的結合は、それだけでこの世に生まれてきた甲斐のある最終目的なのであります。

 

 従って、ロレンスは恋愛と結婚を分けるやうな器用さを知りませんでした。恋愛は結婚の一部であり、一機能であります。前者は後者に帰結すべきであり、後者のうちに生き延び、あたかも蕾(つぼみ)が花を咲かせ、その花が散り、実を結び、そして季節の終わりに死んでゆくやうに、恋愛、結婚、死と、二人の男女の生活が貞潔のうちに一つになって進むべきものなのです。恋愛も結婚も、国家のため、階級のために存在するのではなく、別に何の形ある痕跡を残さずとも、それ自身、生の意義を担った人間の生き方なのです。そればかりではない。仕事のための結婚とか人格のための恋愛とか、さういふ考え方をロレンスは否定します。自主的な人格を手に入れたい者は、恋愛も結婚もしないがいい、とロレンスは言ってをります。」(全集第三巻「愛の混乱」より)

 

平成一八(二〇〇六)年二月五日