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源氏物語読書メモ(二〇〇六年)

 

 

まめまめしさと残酷さと

 

「澪標(みをつくし)」「蓬生(よもぎふ)」「関屋」の三帖には、明石から都へ戻って再び権勢を回復した源氏の、女性たちへの「まめまめしい」心遣いが描かれている。自分の子を産んだ明石の君には心づくしの品々を送り、亡くなってしまう六条御息所には、忘れ形見の一人娘の生活の保障を約束し、末摘花の生活困窮を救い、空蝉には心配りの文(ふみ)を渡す・・・。源氏の公的な生活について紫式部は多くを語らないが、彼はきっと宮廷においても官吏たちに優しい気配りをして、男たちからも絶大な人気を博していたことだろう。

 

そうした「まめまめしさ」で久しぶりに花散里の邸を訪れたときに源氏がふともらした感慨が、僕には印象的だった。花散里が自邸の荒れ果てていることを恥じて詠んだ歌を見て、源氏は、

 

「いとなつかしう、言ひ消ち給へるぞ、『とりどりに、捨てがたき世かな・・・』と思す。(=花散里がいかにもやさしく卑下なさいましたので、『ああ、ほんとうに、誰も誰も捨てがたいところがあるのだな・・・』とお思いになります。)」

 

この言葉には、花散里の気持ちのやさしさに新鮮な驚きを覚え、永く訪れてやらなかったことを後悔する気持ちがにじみ出ている。そして自分が出会ったどの女性もそれぞれの個性に捨てがたい魅力があることに思いをはせる。こういう感慨を漏らす源氏という男は、「色好み」といっても、決して快楽をむさぼり追い求める性豪などという存在ではなく、女性たちそれぞれの人柄のありのままを愛する、感受性豊かな「情の人」なのだ。

 

 しかし、一方で源氏は、六条御息所の一人娘の器量の良さに早くも男としての興味を持って六条御息所を心配させたり、明石の君と睦みあったことで紫の上を失望させたりもする。明石の君との出来事を精一杯の誠意を尽くして紫の上に語り釈明する源氏は、まことにまめまめしい「情の人」である。しかし、幼いころから源氏だけを見て育ってきた紫の上には、これはあまりに残酷なことであった。彼女は可愛いやきもちを焼きながらも精一杯平常心を装うが、後年彼女が子もなさずに源氏より先に亡くなってしまった運命の原因はここにあったのだと思わざるを得ない。源氏に愛された女性たちは、この世のものとも思われぬ喜びにうち震える。しかし、源氏がさまざまな女性に尽くそうとすればするほど、彼女たちを深く苦しめることになる。まことに源氏は、男の性(さが)を一身に体現している。

 

平成一八(二〇〇六)年五月一六日