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「古典派からのメッセージ・2005年〜2006年」目次へ戻る
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中島市長の挑戦

 

 

札幌と空港がある千歳の間に恵庭という人口七万人弱の市があります。自衛隊の大規模な駐屯地があり、札幌のベッドタウンという性格も持つ市です。先週末、縁あって、何人かの方々といっしょに、恵庭市の中島興世市長に同市をご案内いただき、市長のお話を聞く機会がありました。中島市長は、昭和二一(一九四六)年生まれ。恵庭市職員を長い間勤めたあと、同市議会議員を経て、昨年市長に初当選されました。この間の中島氏について、今年五月四日付「北海道新聞」は以下のように報じています。

 

 “中島は、市図書館長だった二○○○年、乳幼児に絵本を贈り「二冊目からは図書館で」と呼び掛ける「ブックスタート」を道内で初めて導入。全国に知られる「花のまちづくり」や、市民と地元農家との直接契約を提案して「地産地消」運動が全国に広がるきっかけをつくったのも市職員時代の中島だ。

昨年九月、市議だった中島は、西松島の総合運動公園整備計画の賛否を問う住民投票条例を提案。自民党系市議などの反対で否決されると、即座に二カ月後の市長選への出馬を表明した。争点となった運動公園整備は、防衛施設庁からの補助金十億円と市費五億円を投じる計画。「西島松には歴史的に墓地や火葬場などの施設が集中し、迷惑料の意味からも投資が必要」とする現職。対する中島は、そうした地域事情があるにしても市民負担が大き過ぎる点を指摘、「民間主導で開発をすべき」と訴えた。

これは単なる公共事業の是非を超えた恵庭の二つのの対立だった。一つは「自衛隊のまち」としての顔。行財政改革が進むこの時代、恵庭の運動公園整備に国が十億円もの補助金を投じようとしたことからも分かるように、自衛隊の存在が、市の財政や経済を潤してきたのは厳然たる事実だ。もう一つは「札幌のベッドタウン」としての顔。恵み野などにはマイホーム購入などを機に移住してきた市民も多い。しがらみのない新住民の間には、国の補助金を自分たちの支持基盤へ還流する「旧来型保守政治への不満」(五十代の主婦)が渦巻いていた。

三選を目指した現職の陣営は自民党の推薦と各種団体の支持を得て盤石の態勢。対する中島陣営を支えたのは定年退職者や主婦。しかし結果は四千票という意外な大差で中島の勝利に終わった。「有権者の意識が変わり、組織が通用しない都市型選挙になってしまった。」ある自民系市議は天を仰いだ。”

 

私たちが中島氏から直接お聞きした話の中でも選挙のことが出てきましたが、それはたいへん興味深いものでした。新聞にもあるように、中島氏が選挙に勝機を見出し立候補に踏み切ったのは、総合運動場の開発をめぐる市民投票で市民がプロジェクトにNOを突きつけたことでした。しかし中島氏は、他の地方自治体でよくあるような、「開発反対」に的を絞って現職を倒そうとする「シングル・イシュー屋」ではありません。彼の立候補は恵庭を愛する已むに已まれぬ赤心からなのです。市の職員時代から培って手応えを感じていた市政のあり方を実現するための立候補だったのです。

 

 中島氏が市政で実現したかったのは、ひとつは、子供あるいは親子問題を地域社会のネットワークの中で解決し、札幌のベッドタウンとしての恵庭を子育てするお母さんたちが住みたいと思うような町にすることです。「子供たちの問題こそ最重要の地域課題」と訴えた絵本仕立てのマニフェストは、「地方自治体の目的とは何か。」という真剣な問いの中から生まれました。このイラスト入りのソフトタッチのマニフェストの背景には、時代の状況に対する鋭敏な考察が広がっています。この日の氏の話から、それはおおむね次のような思索だろうと小生は推測しました。

 

人間の生きる目的とは何か、それは世代を受け継ぐこと(世代倫理)ではないか。戦後日本では、封建的共同体を駆逐し、近代的な個人主義を確立すべきだと喧伝された。工業化や都市化とともに個人主義は実現されたかに見えた。しかしそれは、密室内で母一人子一人の子育てを強いられる「孤独な母」を大量に生んだ。大都市のみならず地方でも同じライフスタイルをとらざるを得なくなった。また、一日十時間もテレビゲームをやるような社会性を訓育されない「孤独な小学生」を生むことにもなった。現代日本はまさに砂のような個人、アトミズムの世界である。個人主義は刹那主義につながり、今の自分たちの快楽を最大化することが優先され、巨大な公的借金を後世に残し、天然資源と良好な自然環境を後世に残さないというようなエゴイズムを何とも思わなくなった。個人主義に走り、人間にとって最も重要な世代を受け継ぐ社会基盤の保持を軽視した結果、人々は子供の将来に希望を持たなくなり、札幌の出生率は1.0を切るほどに低下してしまった。

 

中島氏は、都市型核家族を前提に、そこで子育ての社会的基盤を新たに構築することを最優先の政策課題と位置づけました。乳幼児に市が絵本を贈り「二冊目からは図書館で」と呼び掛ける「ブックスタート」は、図書館の利用による「地域コミュニティによる赤ん坊の見守り」です。恵庭の図書館にはベビーカーが常設され、赤ん坊の泣き声で少々騒がしくなるのは来館者に我慢してもらっています。子供たちにテレビゲームではなく本を読む習慣をつけさせるため、コミュニティの有志による本の読み聞かせを行います。また、ニュージーランドの出生率が1.8と、アングロサクソン社会としてはきわめて高いことに着目、それに習って「プレイセンター」を設立しました。プレイセンターでは、ローテーションを組んで親たちが交互に子供たちの保育に当たり、非番の親は自分の時間を持つことができます。母親を孤独にせず、子育てのコミュニティを作ることが目的です。ほかにも、小学校の各クラスに電気釜を置いて、炊き立てのご飯を子供たちに食べさせることで食習慣の健全化を図る、酪農教育ファームで子供たちに自然と農業への理解を深めさせる、などの地に足の着いた施策が実施されています。中島市長は、今年度、前年の四倍の教育のための行政投資を計上し、議会に対しきちんとその成果を説明できるように、教育委員会をはじめ教育関係者にハッパをかけているそうです。

 

中島氏は、総花的な政策を訴えることを捨て、子供問題を訴える差別化戦略で市長選に臨みました。しかし、現代日本のような多元的民主主義の世界では、市長にはさまざまな利害に耳を傾けそれらを調整することが求められます。農業関係者、中小企業主、自衛隊関係者、福祉団体等々、市長には様々な個人、団体からの圧力がかかります。しかしそれらを全部聞いていたら政策に何のメリハリもなくなってしまうばかりか、財政危機の到来は必至です。中島氏は少ない財源を使って何を選ぶのかを市民に問うたのです。「財政危機の中、公共事業をとるか子供を大切にするかは二者択一なんです」と。中島氏のマニフェストは、政策を満遍なく網羅しただけの、従って何の魂も込められていない役所の業務案内のようなマニフェストではありません。手作りの様式の中に、自らの信念、哲学と住民の未来の幸福への祈りが込められているのが感じられます。「地盤、看板、カバン」がモノをいう地方都市の選挙で、組織票での完全な劣位を跳ね返して、中島氏は政策と志で戦いました。ふつうなら「泡沫候補」と位置づけられる氏は、徹底的な草の根活動を展開、チラシを全戸に三回配布したそうです。その真摯な訴えは、生活に根ざした身近な課題であったことから主婦層の共感を得、彼女たちの携帯メールであっという間に支持が広がったとのことです。

 

 有能な政治家は、優れた企業家と同様、「自己の哲学」「自分のやりたいこと」「高い志」をはっきりと持っています。したがって人々に「未来」を語ることができます。未来を語るためには現在に対する状況認識がクリアでなければなりません。そして現在を把握するには過去(歴史)に対する鋭敏な感覚が働かなければなりません。そういう意味で、中島氏は、まぎれもなく現代日本の優れた政治家のひとりであり、有能な市長です。この日、中島氏が語られた「市民の政治参加は、靖国問題を論じることではなく、身近な問題から未来を切り開くような課題を設定し行政と共に実践することであってほしい」というメッセージも印象的でした。地方行政とは、住民が「ご近所の底力」を発揮して地域の問題を発見し、課題を解決するための適切な方向付けと必要資源の配賦だといえましょう。

 

もちろん、中島氏が市政で実現したいことは、子育ての良好な環境づくりだけではありません。ニュージーランドのクライストチャーチに習った「花のまちづくり」は、花卉栽培が盛んな恵庭の「地産地消」運動の一環でもあります。市内の恵み野住宅街では「道路から見て美しい庭」のコンテストも行われています。私たちも恵み野住宅街を見学させていただきましたが、各家々が工夫を凝らした庭の見事さもさることながら、街全体の美観を統一的にすることで、街の一体感が醸成されているのが印象的でした。これなら住民たちは誇りを持ってコミュニティを支えようという気持ちになるでしょう。運動公園予定地などを一区画約三百坪に整理造成し、花つくりを目的にそこに住む人々を募集するというプロジェクトも考えておられるとのことでした。

 

中島氏の施策で小生が特に感銘を受けたのは、「地産地消」の実践です。ここでも氏の状況への洞察がありますが、それは次のようなものではないでしょうか。

 

地球資源の有限性と食糧自給の必要を考えると、現代日本の大量生産・大量消費システムを変えなければならない。農業でいえば、農家が生産物を東京の市場へ送るのではなく、すぐ隣の消費者へ直接供給する仕組みに変えなければならない。それには、地元消費者が地元農業を支えるという発想が欠かせない。そもそも大量生産・大量消費システムを支える「消費者は神様」という考えは正しいのだろうか。「消費者は神様」というスローガンは、もちろん商いの基本的な心構えではあるが、しかしそれだけではさほど積極的な倫理を含んではいない。消費者に大量消費させればさせるほど儲かる大手小売業者は、神様である消費者をおだてて不要なものまで買わせたいという誘惑に駆られる。彼らは消費者の「ニーズ」を無理やりにでも作り出さなければならない。それが大量消費・大量廃棄という地球環境にとっての悪を生む契機にもなっている。消費者を絶対化したままで農家と地元消費者が「交流会」をやっても、結局、消費者が生産物を食い散らかして帰ってゆくだけのその場限りのイベントになってしまうことが多い。維持可能な地産地消のためには、消費者も、神様としてふんぞり返るのではなく、生産者を支えるという発想が必要である。

 

こうした問題意識から始められた恵庭の「田舎倶楽部」は、代金先払い、消費者が農産物をとりに行くというアメリカのシステムをここでも応用できないかという試みです。アメリカの自給自足を支えているのはまさにこうした消費者参加型の地産地消なのです。広大なアメリカですら消費者は生産物が置かれたポイントまで農産物をとりに行く仕組みが成り立っているのなら、狭い日本でこそ地産地消の仕組みは成り立つはずだというのが中島氏の発想です。「北海道人」というホームページに掲載された中島氏へのQ&Aに氏の考えが端的に述べられていますので、以下転載します。

 

Q.「地産地消」は文字で見ると、イメージしやすい言葉ですが、その具体的な意味を教えてください。

 

A.地域で採れたものを、その地域の人たちが食べたり、加工したりすることをいいます。地域で採れたものだから新鮮なのはもちろん、同じ風土の中で育った人間と食べ物の相性はいいはず。「四里以内で食をとれ」という昔の言葉があります。これも「地産地消」の意味に似ていて、消費する場所が遠いと鮮度が落ちるし、出来立ての味が損なわれてしまう。自分の地域のものなら、新鮮で栄養価もたっぷり、自分の舌に合っておいしく食べられるということです。

 

Q.現在の農業では、生産者と消費者はどのような関係にあるのでしょうか。

A.生産者と消費者の間には暗くて深い溝があります。その克服には時間がかかります。時間をかけないといけないのです。消費者と生産者の交流などというと、なんとなく響きが良いものですから、うまくいくと考えがちですが、生産者から信頼を得ることは容易なことではありません。今までのように、生産者に消費者への奉仕を求めるのではなく、逆に、消費者が生産者を「支える」ことを考えるべきなのです。

 

Q.「地産地消」の取り組みは北海道各地で、さらには秋田、岩手、三重、大分、宮崎などの各県で広がっています

A.そうですね。かつての一村一品運動は、極論でいうと最終的な着地点は東京市場で成功することなのかもしれません。これに対して、地産地消は地域内での流通を盛んにし、それぞれの地域が豊かになろうということで、これはとても大切なことです。北海道の地産地消の取り組みは全国に急速に広がり、幅広く国民運動に発展する可能性を示しています。

Q.恵庭市の消費者や生産者の方々とアメリカ・カリフォルニアのCSA(Community Supported Agriculture 地域が支える農業)を訪問されました。そこで最も共感されたことは。

A.CSAは消費者が農家から前払いで直接農産物を買い取り、消費者は農家とともに恵みとリスクを分かち合うシステム。市場で価格が高騰しても追加の支払いはなく、また天災などで農産物が少なくなる可能性もあります。一方で、農家は収入が保証されるので、市場の動向を気にせず、取り組めるし、消費者は安全で新鮮な野菜を手頃な価格で継続的に入手できる。野菜は会員がピックアップ・ポイントまで取りに行きます。日本のような個別配達はありません。そこで消費者が参加していくことが大切なのだと教えられたのです。しかし「取りに行く」といってもアメリカは広大ですから、農家まで行くのがたいへんです。CSAは消費者と生産者がともに暮らす日本にこそ、適した仕組みといえるでしょう。

Q.では私たち消費者が、地産地消を実行するには、どうしたらいいのでしょう。

A.それはたいへんに時間のかかることで、すぐに結果が出るものではありません。ただ、私たちはもっと生産者に協力し支えていくことが必要です。今までの「消費者は神様」という概念は、もうやめにしなければいけません。じゃあ具体的には、畑仕事を手伝う? いや、素人が農作業を手伝うなんて、農家のじゃまになるだけ。農家の人たちがやってほしいことは何かを考えることですよ。例えば、農作物をPRするチラシ作り、パソコンで顧客管理、商品企画など、自分の得意分野で、できる範囲で農家に協力すればいいんです。それが農業に参加するひとつの方法だと思います。

 

 以上のような地産地消の実践は、私たちの経済・社会の仕組みを根本的に変える運動につながる可能性があります。ちょうど今週読んだ福田和也氏の「大丈夫な日本」(文春新書)に、長年アメリカで環境・エネルギー・南北格差の問題を担当するコンサルティング会社の副社長を勤めていた黒田武儀氏のことが紹介されていました。黒田氏は、二十年ほど前に帰国し、地元産の原材料を使った「百年後の民家」を設計・建築する「有限会社 夢千年の暮らし」を運営され、一度買ったら買い換えの必要なく永久に使えるマウンテンバイクの開発・販売を行う「レオンバイクジャパン 株式会社」の経営もしておられます。そしてそれらの会社のある愛知県作手村で自給自足生活を営んでいるとのことです。黒田氏は「夢千年の暮らし」のホームページで、「消費者と呼ばれた私たちが市民となる唯一の可能性は、世界市場と訣別し、自己完結型の地域経済を実現することにある」と述べています。地産地消や永久使用可能商品の開発は、現代ではまだ社会のほんの片隅の試みに過ぎないかも知れません。しかし世代間倫理に則り、未来を生きる子どもたちに希望を持たせるのは、もはや、頻繁なモデルチェンジで購買意欲を無理やり作り出す大量消費主義ではありますまい。

 

さて、私たち一行は、恵庭市内を流れる茂漁(もいざり)川も見学させていただきました。茂漁川は、平成二年に全国に先駆けて多自然型工法を取り入れた河川改修が行われた川です。三面張りのコンクリートをはがして、治水機能はきちんと維持したまま自然の川にしようとする川づくりです。私たちが拝見した流域も、水生植物が生い茂る見事な清流でした。魚が戻りカワセミも帰ってきたそうです。子どもたちが水遊びできる昔懐かしい風景に出会うことができました。この川は、建設省河川局が高く評価し、河川に関心を持つ研究者や市民団体など全国から注目される川になっているとのことです。自然の川にするという茂漁川の整備を提案した職員が恵庭市役所にいて、市もそれを取り上げたというのは素晴らしいことではないでしょうか。

 

平成一八(二〇〇六)年八月二四日