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「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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グローバル化と政治経済の多元主義

 

 

いわゆる「グローバル化」とは、どういう現象を言うのか。グローバル化とは、第一に、一九九〇年代に起こった、共産圏解体に伴う民主政治と資本主義経済の世界への波及現象を指し、第二に、同時代に生起した、情報通信技術発達による世界の一体化を言う。そして第三に、これらの結果、国境を越える資本の移動が爆発的に増加したことも指す。グローバル化は、当初、世界に自由と繁栄をもたらす福音のように喧伝されたが、一九九七〜八年のアジア通貨危機でその脆弱さを露呈し、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロを契機にその一極集中と不平等性が糾弾されるに至った。

 

 グローバル化は、各国政府の経済運営に様々な制約を課す。第一に、国境を越えて活動する多国籍企業の影響力が増大し、政府は、彼らを引き止めるための法人税軽減や規制緩和を用意せざるを得ない。ケインズ的財政出動や福祉充実政策は後退を余儀なくされる。比較的「大きな政府」を標榜してきたヨーロッパ社会民主主義政党は、「第三の道」を模索するようになる(ブレアのイギリス労働党、シュレーダーのドイツ社民党など)。第二に、多国籍企業は世界中の労働市場を見渡して単純作業的な業務をインド、中国などの低賃金国へ移動させる。すると母国でこれと競合するような非熟練単純労働の労働者の賃金は下落し、国内での不平等が拡大し、政府は対応を迫られる。第三に、資本移動の大きさと速さは、世界各国の金融市場の相互依存性を高めて金利や株価の連動性を強め、政府の金融政策の自律性を制約する。金利は国際連動した市場で決まってしまい、政府が金利を上げたくても上がらないことが起こる。市場に反した金融政策は為替レートの不安定を惹起する。第四に、政府の発行する債務も国際金融市場で格付けされるため、財政状態の健全化を強いられて財政政策の自由度は失われる。

 

さて、グローバル化は、その経緯からして、政治・経済のアメリカ化、アングロサクソン化でもある。アメリカは自国の民主政治と資本主義経済を世界標準にすべく行動している。世界はアメリカ式政治・経済に、そしてひょっとしたらアメリカ式文化に収斂してゆくのだろうか? 世界は同質化しているのだろうか? 答えは「否」である。世界には、多様な民主政治と資本主義経済が存在する。また、世界が発展してゆくためには、多様性こそが重要なのである。我々日本人の目はとかくアメリカに向きがちだが、ヨーロッパの独自性の主張にもっと耳を傾けるべきだ。ここに象徴的なタイトルの二冊の本がある。ひとつは「民主主義対民主主義」、もうひとつは「資本主義対資本主義」である。

 

 「民主主義対民主主義」の著者、アーレンド・レイプハルトは、オランダ生まれのアメリカの政治学者である。レイプハルトは、二大政党制、小選挙区制度によって特徴づけられる、イギリスで典型的な多数決型民主政治(もしくはウェストミンスター型民主政治)のモデルに対して、ヨーロッパ大陸で一般的な、コンセンサス型、多極共存型民主政治モデルを提唱する。民主政治とはイギリス的な意思決定システムばかりを言うのではなく、ヨーロッパ大陸各国には独自の民主政治システムがあって有効に機能しているとの主張である。一方、「資本主義対資本主義」の著者、ミシェル・アルベールは、フランスの実業家。アルベールは、アメリカやイギリスに典型的な、個人の成功と短期的利益追求を特徴とする「ネオアメリカン型資本主義」と、ドイツや日本に見られる、集団での成功、コンセンサス、長期的利益考慮に重点をおく「ライン型資本主義」とのふたつのタイプの資本主義経済が存在している、と述べる。

 

 レイプハルトとアルベールの主張に共通しているのは、民主政治や資本主義経済にも、それぞれの国の歴史的背景に裏付けられた「個性」と「合理性」があるのであり、得意・不得意があるという点である。政治・経済のあり方についての健全な多元主義である。我々もこうしたヨーロッパの知恵に学んで、アメリカ化としてのグローバル化を相対化して眺めることが必要だ。

 

日本の政治も経済も「グローバル化」から逃避することはできない。日本国政府も既にさまざまな政策的制約を受けている。グローバル化は国家の意味を無くすので、国民だとか国家だとかを標榜するのは間違いで、早く世界市民になるのが望ましい、などと呑気な勘違いをしてはいけない。グローバル化の圧力によって、現代は、官も民も世界的な規模で個性と影響力を競い合わなければならない時代になったのである。ハード、ソフト両面での日本の「強み」「弱み」をよく自覚吟味し、官民が戦略的に行動して、「日本国民にとって望ましい立ち位置」を確保しなければならないのだ。

 

平成一九(二〇〇七)年七月六日

 

<参考にした文献>

眞柄秀子・井戸正伸「改訂版・比較政治学」放送大学教育振興会(2004年)

アーレンド・レイプハルト(粕谷祐子訳)「民主主義対民主主義」勁草書房(2005年)

ミシェル・アルベール(小池はるひ訳)「資本主義対資本主義」竹内書店新社(1992年)