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「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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「古今伝授の里」の薪能

 

 

「くるす桜」という創作的復曲能が、岐阜県郡上市にある大和町の牧という集落に所在する「明建神社」で毎年演じられ、今年で二〇回目になります(この薪能と小生との縁(ゆかり)については、二〇〇七年八月一四日付「近況メモ」をご覧ください)。「くるす桜」の「くるす(栗巣)」とは、明建神社の近くを流れる栗巣川にちなんだ地名ですから、「くるす桜」は、明建神社の大門の桜並木を表象しています。この曲は、いわば「ご当地能」というわけです。

 

もともと謡曲の「久留春櫻」という曲が江戸時代から伝わっており、「未刊謡曲集」(古典文庫)にも翻刻されているそうですが、これが能として復元された背景には、地元の熱意がありました。昭和五四(一九七九)年、東氏館跡の庭園が発見されたのを機に、地元大和町の木島泉氏が、この古今伝授の里を世の中に知らしめたいとの思いから、謡曲を復元・創作し薪能を催したいと志しました。この志を受け止めて、原作の改訂と節付け(作曲)をされ、演者の手配もされたのが、京都在住の観世流能楽師、味方健氏でした。そして昭和六三(一九八八)年八月に、能「くるす桜」は初演され、それ以来、毎年この季節に薪能が催され今年で二〇回目を迎えました。今、全国各地で夏から秋にかけて薪能が催される機会は増えているようですが、「ご当地能」をメインにした薪能が二〇年も続いているのは珍しいのではないでしょうか。地元の皆さんの郷土への愛情がなければここまでは続かなかったことでしょう。

 

能「くるす桜」は、「古今伝授の里フィールドミュージアム」のHPから引用させていただくと、次のようなあらすじです。

 

「春も半ば過ぎ、北国から都へ上る旅僧が郡上の妙見宮(現在の明建神社)にたどり着き、そこでめぐり会った老翁から宮のいわれを聞きます。やがて仮寝の僧の夢に優雅な武将姿に変身して現れた老翁は、東常縁であると自身の身分を明かします。そして常縁は、僧の求めに応じて

 

花盛り ところも神の御山かな 桜に匂う 峯の榊葉

 

と、宗祇との連歌を詠じ、和歌のまことを語り、古の大和舞を舞います。常縁の詩魂は、この地になお残り、地の人々を励まして花の間に姿を消します。」

 

 大和町にちなんで舞われる大和舞の神事的、祝祭的な音曲や舞姿の面白さも忘れがたいのですが、小生には、特に、曲の終わりで、美しい衣冠姿の東常縁が見所(観客)の方を(すなわち彼の生きた地の子孫たちの方を)向き、

 

植ゑ添へよ、花の種。色添へよ、心の花。

 

というメッセージを謡い上げる姿が、何とも力強く、印象に残りました。シテは観世流・梅田邦久さんが演じられました。大鼓の河村総一郎さんの、全体をよく見通した曲の率い方も素晴らしいと感じました。

 

 なお、その他の演目では、このイベントの生みの親ともいうべき味方健さんが演じられた「翁」は、曲の持つ神聖さを強烈に感じさせてくれましたし、「室君」という演じられること少ない曲も、遊女や室明神の女神たちのしなやかで柔らかで若々しい舞姿は、「なんという見事なフォルム!」と感嘆の声を上げたくなるほど美しいものでした。このように神社で神々に捧げるために演じられる能は、「猿楽」と呼ばれた能の原初の姿や雰囲気を彷彿とさせてくれます。

 

平成一九(二〇〇七)年八月一四日