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「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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私の音楽鑑賞メモ(二〇〇七年:その一)

 

 

天翔る音楽

 

 メンデルスゾーンの八重奏曲(変ホ長調、作品二〇)は昔から僕が愛好する曲だ。この曲は、二重の弦楽四重奏というより、弦楽合奏に近く、第一ヴァイオリンのソロもけっこう目立つ。特に僕がいつも感銘を覚えるのは、第一楽章の最後の部分(コーダ)だ。次第に盛り上がってゆき、最後はヴァイオリンソロがまさに「天翔る音楽」を歌う。この高貴な高揚感、陶酔感はすごいと思う。僕がかつて愛聴したのはマリナー指揮アカデミー管弦楽団のメンバーによるCDだが、近年は古楽器によるCDも出ているようだ。

平成一九(二〇〇七)年四月二九日

 

 

歌のカタルシス

 

 ベッリーニの歌劇ほどカタルシスを味わえる西洋歌唱はない。「夢遊病の女」にしろ「ノルマ」にしろ「カプレーティとモンテッキ」にしろ、三四歳で亡くなったこの薄幸な音楽家は、歌で人々を酔わせるためにこの世に生まれてきたかのようだ。同時代の歌劇作家でも、ドニゼッティは古典的な構築性にも事欠かないが、ベッリーニの場合は、とにかく歌の刹那の興奮が魅力だ。

平成一九(二〇〇七)年五月二日

 

 

初期ロマン派の香気

 

 「マルコ・ポーロ」という、C級作曲家といっては何だが、一般に知られざるロマン派以降の作曲家ばかりを取り上げるレーベルがある。そのマルコ・ポーロから出ている、フランツ・ラハナーの第一交響曲(変ホ長調)とルイ・シュポアの第二交響曲(ニ短調)を組み合わせたCDは、我が愛聴盤である。ラハナーもシュポアもベートーヴェンやシューベルトと同時代人で、当時はとても有名な人たちだったが、今ではすっかり忘れられている。ラハナーやシュポアの交響曲には駄作もある(特に表題的な曲)が、この二曲はいずれも傑作だと思う。古典的な風格の中にほのかな叙情性を湛えており、何事かを声高に訴えたりはしないが、高潔な香気が心地よい。このCD、名も知らない指揮者がシンガポール交響楽団というオケを振っており、演奏水準は決して高くないかもしれないが、曲の良さは充分楽しめる。願はくは、フィリップ・ヘルヴェッヘあたりが彼の手兵で演奏してほしいものだが…。

平成一九(二〇〇七)年五月二四日

 

 

ミヒャエル・ハイドンを古楽器で聴く

 

 ミヒャエル・ハイドンは、僕が愛してやまず、かつ、極めて高く評価する作曲家です。この人の事跡については、忘れられた偉大な作曲家 ミヒャエル・ハイドンをご覧下さい。近年は古楽器でのCDも出ています。特にハンガリーのフンガロトン・レーベルから出ている三枚の交響曲集は僕の最も愛好するCDたちです。演奏しているのはカペラ・サヴァリアという古楽器オケです。特に、ハ長調(P三一、MH四七八)や変ロ長調(P一八、MH三五八)などは、小規模な古楽器オケだからこそ、旋律線がくっきりと描出されて対位法的な面白さを心ゆくまで楽しめるのです。

平成一九(二〇〇七)年六月八日

 

 

ロシア宮廷の風雅

 

ロシアの古楽器ピアノ奏者、オルガ・トヴェルスカヤは、かつて来日したことがあったが、僕は残念ながら予定が立たずに聞き損ねた。CDの写真で見る限り、なかなか知的な美人である。そのトヴェルスカヤが出しているCDの中でも、「サンクト・ペテルスブルグの宮廷音楽シリーズ第一巻 ピアノ曲」と題されてオーパス111から出ているCDは、選曲も演奏も素晴らしい。それは、一八世紀後半から一九世紀前半にロシア宮廷で活躍していた音楽家のピアノ小曲集で、外国から招聘された作曲家であるジョン・フィールドやヨハン・ウィルヘルム・ハスラーのほか、地元ロシアの作曲家、グリンカ、リーゾグブ、ラスコフスキーの曲が収められている。これら小曲たちは、「無言歌」とか「夜想曲」とか「ワルツ」とか「マズルカ」と題され、いずれも親密な叙情を湛えた小品である。後年、やはりこうしたタイトルを持った曲を書いたショパンになると、自我意識が突出してきて、僕には疎ましく感じられる。

平成一九(二〇〇七)年六月一七日