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「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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日本の国力衰退?

 

 

 毎日朝、通勤電車の中で日本経済新聞を読んでいると、中国やインドに追い上げられているだの、日本の国力が衰退しているだのといった悲観論が目に付く。経済ジャーナリズムの軽薄さには改めてあきれる。第一に、人口が日本の十倍以上もある国々とGNPの絶対値で競う発想がナンセンスだ。中国やインドがいつまでもGNPの絶対値で日本の後塵を拝することを望むのは、かの国々がいつまでも貧しかれと願うことと一緒で、それこそ傲慢である。かの国々が環境問題や社会格差問題を制御しながら成長を続けるのは大変困難なことであり、日本との一人あたりGNPの格差は容易には縮まらないだろう。明治以来の日本の近代化先行者としての利得は途方もなく大きいのである。私たちは先祖に感謝しなければならない。第二に、僕は日本の国力衰退説や一九九〇年代を「失われた一〇年」とする説に反対である。日本経済新聞にも、ときおり僕と同じ感想を持っている人たちが適切な論陣を張ってくれる。最近のふたつの良心的な論説を紹介したい。

 

 まず、「日本経済新聞」二〇〇八年一月二五日の「大機小機」欄における“沌”氏である。“沌”氏曰く:−

 

「日本の国力低下を嘆く議論が盛んだ。例えば一人あたり名目GDP(国内総生産)。日本は一九九五年前後にはOECD加盟国中三位だったのが、二〇〇六年には一八位に後退した。この間ドル換算で経済が縮小したのは由々しき事態だというわけだ。(中略)しかしこの間、日本経済は、株価と地価と賃金に代表される価格破壊を徹底し、物価下落で購買力平価を切り上げて内外価格差をほぼ解消した。つまり日本の消費者や企業のコスト負担が引き下げられたのである。加えて、対ドル為替レートが円高ピークの一九九五年当時のドル表示の購買力平価で約5割過大評価されていた円が、二〇〇六年には二割前後の過小評価になった結果の順位変動なのだ。購買力平価並みの円相場なら、日本は今も一〇位以内にある。単なる失われた一〇年ではなかったのだ。」

 

まさに然りである。日本のこの一〇年のドルベース一人あたり名目GDP順位の後退は、購買力平価の切り上がりと円の対ドル価格低下によってもたらされたのであって、過去や他国と比べて「国力」が衰退したとは言えない。“沌”氏さらに曰く:−

 

「他方、この間に順位を上げて国力を高めたと言われるのは、北欧の小国と米国(10位→7位)、英国(18位→11位)など英語圏の国である。不況知らずの優等生と持ち上げられる英国の躍進は、北海油田の石油収入とシティーの金融力を背景にしたポンド高だった。今やロンドンの物価はかつての東京を彷彿とさせ、英国の住宅価格の正常値との乖離は米国以上だと言われる。革新性を称賛された金融機関のビジネスモデルだが、サブプライム問題等で揺らぐ米国と同様、英国も中堅銀行が国有化寸前まで追い込まれ、ポンド安が始まっている。日本の土地本位制バブルに次いで、アングロサクソンが得意とする市場型金融バブルが弾けたのだ。」

 

これまた然り。「バブルの過去や他国との安易な比較に大した意味は無く、金メッキの他国をなぞる議論に説得力は無い。」との“沌”氏の見解は至当である。国力論は慎重にすべきだ。

 

次に、「日本経済新聞」一月二四日の「経済教室」における早稲田大学の宮島英昭教授の「失われた一〇年を乗り越えた日本企業−ハイブリッド型が顕著に−」と題する論文を紹介しよう。これは、先頃アメリカで刊行された“Corporate Governance in Japan”(青木昌彦、G・ジャクソン編著)に示された知見をもとにした論文である。青木昌彦氏らは、東京証券取引所の一部、二部上場企業を対象にしたアンケート調査をもとに、クラスター分析による企業統治と内部組織の特徴と分布を実証した。

 

それによると、「米国型企業の特徴が、市場志向的な金融・所有構造(直接金融と機関投資家の優位)と市場志向的な内部組織(外部取締役採用、強い業績連動報酬、流動的な雇用)の結合にあると捉えれば、この意味の『米国型』は日本では明確なグループとして識別されない。」むしろ、金融・所有構造は資本市場に依存しながらも、内部組織は市場志向ではなく長期的関係を重視する関係志向(内部者中心の取締役会、終身雇用等)となっている『ハイブリッド型』が増えている。ハイブリッド型には、トヨタ自動車など、収益力が高く海外依存度も高く厳しい製品市場の規律に直面する企業が多い。

また、近年東証に上場し、独自のクラスターとなったのは、銀行借入に依存し機関投資家の所有比率も低い一方、有期雇用や成果主義賃金やストックオプションを積極利用している新興企業群である。この『新興企業型』においては、関係志向的な金融・所有構造と市場志向的な内部組織が結合しており、『ハイブリッド型』とは結合の仕方が逆である。新興企業型には、情報技術(IT)関連や小売などの業種で創業者に率いられた若い企業が多い。

 一方、関係志向型の金融・所有構造と関係志向型の内部組織が結合した『伝統的日本型』企業も数多く存在する。伝統的日本型は、収益力が相対的に低く、社齢が長く、建設、食品、繊維、化学機械などの業種に多い。この企業群には、債務のほとんど無い企業が含まれ、アクティビスト・ファンドの買収対象にされやすい。

 

以上の分析は、グローバル化に対して日本企業の多様な対応の仕方があり得ることを示している。なお、日本企業の(とりわけ経済の牽引役を果たしているような日本企業の)ハイブリッド化については、英国の経済誌“Economist”一二月一日号にも紹介されていた。日本企業のあり方にいたずらに悲観的になる必要はない。

 

平成20(2008)年2月17日