シューマン夫妻の作品集を楽しむ
さる三月二日、第一生命ホールで催された、ロベルトとクララのシューマン夫妻の作品を集めた演奏会に妻と出かけた。古楽器ピアノ奏者の小倉貴久子さんを中心に、在京オケの首席奏者からなる優秀な弦楽奏者たちによるアンサンブルが見事な演奏を披露してくれた。曲目は、はじめに、小倉さんの独奏でロベルト・シューマン作曲の「謝肉祭」作品九。二曲目に、クララ・シューマン作曲のピアノ協奏曲イ短調作品七を、オケの部分が弦楽器五本に編曲されたヴァージョンで。休憩を挟んで三曲目は、ロベルトのピアノ五重奏曲変ホ長調作品四四。そしてアンコールには、クララがピアノのパート譜とオケのスケッチだけを残した未完のピアノ協奏曲ヘ短調の復曲版という珍しい曲が紹介された。
はじめの「謝肉祭」は、謝肉祭をめぐる一種の詩的な叙景集ないしシューマンの心象風景が描かれたピアノ小曲集だが、もともと僕はこうした映像音楽や標題音楽が大の苦手であるうえに、シューマンのドイツ的、観念的な音楽の運びにはまったく感興を覚えなかった。僕にとっては、映像音楽ないし標題音楽はドビュッシーだけで充分である。
二曲目に演奏されたクララのイ短調協奏曲は、ロマン派ピアノ協奏曲の典型で、決してショパンにもひけを足らない見事な出来栄えだ。しかもこの曲、彼女が一三歳から一五歳にかけて作曲したというから、もうそれだけで天才としか言いようがない。この日は、アンコールで、彼女が大人になってから作った未完成のへ短調協奏曲が、第一ヴァイオリンの桐山建志さんによって弦楽伴奏版に復曲されて演奏された。イ短調より一層重厚な印象のこのヘ短調もまた、クララの才能を感じさせる佳曲だった。だが、クララの佳曲たちも、ロベルトの作品の中でも超一級品の前では何か物足りないものを感じた。その物足りなさとは何か? それは、演奏会の後半、ロベルトの「超一級品」であるピアノ五重奏曲を聴くことによって明らかになる。
さて、そのピアノ五重奏曲、ピアノの小倉さんと優秀な弦楽奏者四人が一人一人の個性をしっかり刻み込んだ演奏に、僕は震えるほどの感動を覚えた。チェロとヴィオラが奏でる第一楽章の第二主題は何と知的で清潔な叙情を湛えていることか! クララとロベルトの決定的な差は、このような一度聞いたら忘れられない印象的なメロディを拵える才能である。ピアノ五重奏曲の第一楽章第二主題のような輝かしいメロディこそ、ロベルト・シューマンに第一級の音楽家の刻印を押しているのである。[i] このメロディを奏でたチェロの花崎薫さんとヴィオラの長岡聡季さんの、情に流されない知的で引き締まった演奏が感興を増してくれた。ところで、小倉貴久子さんがこの日弾いたピアノは、オーストリアのピアノ製造業者・グラーフの手になるシューマン当時に弾かれた歴史的ピアノである。ピアノが発展の速度を速め、次々に新しいモデルが出現し古いものが捨てられたため、シューマン時代のピアノというのは世界中にあまり残っていないという。現代ピアノと異なり、跳ねあげ式で打弦するこのグラーフ・ピアノは、現代ピアノよりずっと音が軽やかで柔らかい。その独特な音質の効果は、第三楽章で弦楽器と解け合ってピアノが上下する場面で最大限に発揮されていた。これこそまさにシューマンの意図した音楽なのだ。最後に、この曲の白眉はその結尾である。ここにおいて、第四楽章の主題と第一楽章の主題が見事な二重フーガを綾成す。ピアノと各弦楽器の思い切り良くしかも親密な混じり合いによって、この二重フーガは華麗な建造物となって会場に立ち現れたかのようだった。
平成二〇(二〇〇八)年三月一〇日
[i] クララとロベルトは同じイ短調のピアノ協奏曲を残している。クララの曲も上に述べたようにロマン派協奏曲として良質なものだが、しかしロベルトのイ短調協奏曲の冒頭に登場する、誰でも一度聞いたら忘れがたい胸が締め付けられるような鮮烈なメロディは聴かれない。