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「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
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日本人の保持すべき基本的態度

−外交と防衛を考えるに当たって−

 

 

アメリカ式の経済社会のあり方を相対化し、自らの道を自ら切り開くという当たり前の国家戦略を持つために、日本人は「勇気」と「正義」というふたつの徳目を思い起こすべきだ。「勇気」は「侮辱を受けたら戦う」心構えを含み、「正義」の裏付けがなければ行使しない。「備えつつ抜かない」のが武士道の趣旨であるが、それは勇気と正義とは両立しなければならないとの考えからである。今の家庭教育や学校教育に最も欠けているのが「勇気」と「正義」の重要性を教えることだ。アリストテレスも「勇気」と「正義」を最上位の徳に挙げているが、[i] まさに、古今東西共通に尊重されているのに現代日本だけが決定的に欠いている徳目が「勇気」と「正義」である。

 

戦後日本の非道徳的見解の典型がかつての社会党の「非武装中立」論、或いは森嶋通夫の「敵が攻めてきたら降伏すればいい」論である。これらは世界中から笑われる無責任の極みの論だ。アメリカの政治学者、ジョセフ・ナイは一国の「ソフトパワー」として、その国の政治理念が世界の人々にとって魅力を感じられるものであることが重要だと述べているが、戦後日本の平和主義はソフトパワーたり得るのだろうか。恐らく小国の小さなエゴとしか世界の人々には映らず、現在の経済大国・日本の「徳目」としては他国に通用などしまい。一九九〇年の湾岸戦争の際、日本はカネだけ出してひとりの兵士も派遣せず、ひたすら現地駐在日本人の安全を要求することしかしなかったため、被侵略国のクエートはじめ世界中から、日本は「勇気」も「正義」も無い国だと嘲笑されたことを想起せよ。カネだけ出すという一国平和主義がいかに世界から軽蔑の対象であるか。戦後日本の平和主義なるものは国際的ただ乗り(フリーライダー)との謗りを受けるのみである。吉田ドクトリンは、日本が小国のうちは許容されたが、大国が掲げるには非倫理的である。そもそも「状況思考の達人」[ii] であった吉田茂はドクトリンから程遠いはずで、もし吉田が生きていたら、その後の日本の国際社会での役割増大と共に、吉田ドクトリンは放棄していたのではないだろうか。大国が掲げる政治理念は、積極的な「徳」を含んでいなければならない。戦後の平和主義などより、むしろ戦前の新渡戸稲造の「武士道」が世界中に翻訳され注目されたように、そこで説かれた「勇気」や「正義」を含む諸徳目の方が、当時の米国大統領はじめ世界に魅力を感じさせたのだ。

 

「勇気」と「正義」という徳を日本人が備えないと、独立か親米か、とか、大陸対策をどうするか、とかいった外交・防衛戦略をいくら精緻に作っても無駄である。ついでに言えば、日本人の間に「日本を守る」という勇気を奮い起こさせるには、愛国心を唱えることよりも、美しい町作り、村作りによる地元への愛着を醸成することの方がはるかに重要なのではないかというのが私の持論である。

 

 こうした基本的態度を踏まえたうえで、日本の外交と防衛にとって最重要なのは、対米関係をどうするか(親米か独立か)と大陸関係をどうするか(親中か距離を置くか)である。対米関係では吉田茂以来親米が日本外交の基調であった。しかし、冷戦後もそれでいいのか、私は疑問に感じる。対米関係の危うさは、日本がアメリカによって二重の頚木で繋がれているという事実である。二十一世紀の世界史は米中の覇権争いが大きな主題を成すと思われる。もし、米中が相争う関係になった場合、日本がアメリカの対中国戦の「前線基地化」される危険がある。一方、米中がだましあいつつもお互いの利益を分かち合おうとする共存関係になった場合、アメリカは中国と組んで日本を「犠牲の仔牛」化しようとする危険がある。かつてのニクソン、キッシンジャーの頭越し外交、クリントンのジャパン・パッシングにそうしたアメリカの性向が既に現れている。どちらの場合も日本はアメリカにいいように利用される関係である。これを私は二重の頸木と感じている。親米派は、戦前の日英同盟の破棄から孤立化へ向かった歴史から学ぶべしと言い、日本はアングロサクソンと同盟していたときが幸福だったと述べるが、現在の日米同盟は、かつての日英同盟と違って、対等な二国間の同盟になっていない。まずは「独立」しないと二重の頸木の危険にさらされる。親米派は思考停止しているように思われる。「どうあるべきか」の基本的な議論を放棄して実現可能性の高い目先のオプションだけしか国民に示さないのは不誠実ではないか。日米の国益は異なる面も多々ある。例えば北朝鮮とイランに対しての国益は両国で明らかに異なる。北朝鮮の核保有やミサイル装備や拉致は、日本にとっては切実な危険だが、アメリカにとっては差し迫った危険ではない。一方、イランについては、日本は独自のルートを持つ比較的親密な国であるのに対し、アメリカはホメイニ革命以来、「悪の枢軸」と呼ぶ敵国である。米国依存が国益を著しく損ねるケースもあり得る。

 

もちろん今すぐ在日米軍を撤退させるとかそれに代わる自衛力を用意するとかいったことは困難だ。しかし、「独立」を目指そうという志を抱くことはできる。例えば、福田和也が言ったとされる「アメリカが国際社会で何らかの弱みを晒す事態を待って、そこにつけこんで核武装、軍事的自主独立への一歩を獲得すべし」論[iii] がそれであり、小林よしのりの言う「武備恭順」(武力を備えながら恭順を示しているふりをすること)[iv] がそれである。

 

次に、対大陸外交をどうするか。「政熱経熱」を希求か、「政冷経温」で自重か。これについて、私は、聖徳太子以来の先人の知恵に学んで、大陸とは距離を置く後者の考えを採る。聖徳太子は隋の煬帝と対等宣言をし、菅原道真は遣唐使を廃止し、梅棹忠夫は「日本よ、縦に飛べ」(中国大陸よりも東南アジアとオセアニアを大切にせよ、との趣旨)と諭し、麻生太郎氏はユーラシア大陸の南縁を横断する「自由と繁栄の弧」を尊重すべしと主張する。これらは明らかに歴史の教訓から学んだ大陸政策である。

 

小泉首相の靖国参拝は、日中関係を悪化させたと批判されることが多いが、私は、小泉首相は結果的に日本にとって正しかったと考えている。むしろ最初から八月一五日に行く、或いはブッシュ大統領と一緒に行くなど、参拝の仕方をもっと徹底すべきであったとさえ思う。そうすれば、二〇〇七年五月に問題になったような米国下院による慰安婦問題の日本非難決議などという日米離間策を中国政府が画策する余地はなかっただろう。小泉首相が「個人の心情、信念の問題」と、中国の非難を突っぱねたことが正しい理由は以下の通りである。

 

@日本の首相が靖国に参拝して中国人民が何の損を被るのか?言論の自由がなく民主政治でもない中国で「国民の感情を傷つけている」などということがどうしてわかるのか?靖国はひとえに共産党政府の自己正当化としての反日ナショナリズム政策から発している。

 

A「個人の心情、信念」を離れて、A級戦犯の歴史的評価などの議論に嵌ることは、相手の意図に嵌ることになる。

 

B中国の主張に同意することは、日本人が中国共産党の「怒り」を恐れる弱々しい存在であることを見せてしまうマイナス効果があるのみ。

 

C靖国を含め、中国外交は昔からパワーゲームである。パワーゲーム大国にはパワーゲームで対抗するしかない(お人好しの日本人が謝れば謝るほどつけ込んでくるのだから)。戦前の歴史をいつまでも持ち出して日本人に永遠に贖罪意識を植え付けるのが彼らのゲームを戦うカードのひとつ。そしてもう一つのカードは「十三億人市場」という経済的な餌である。

 

小泉首相自身が意図しなかった靖国参拝の効能は、中国や韓国の反日ナショナリズムという冷厳な現実を日本国民に気づかせたことである。特に中国については、小泉の靖国参拝への反発が、二〇〇四年のサッカーアジアカップでの暴動や二〇〇五年の大衆動員による反日デモ(デモの直接の目的は日本の国連安全保障理事会の常任理事国入り阻止のためだったようだ)を喚起し、共産党政府や一部中国人民の暴虐さを炙り出す結果となった。こうした暴挙を見て、それまでの憑かれたような中国熱がすっかり冷めて冷静になった企業経営者も多かったのである。日本人は、小泉首相の靖国参拝への中国の反応に、ようやくかの国の真の姿を見ることができたのである。

 

平成二〇(二〇〇八)年三月三〇日

 



[i]  「ニコマコス倫理学」第三巻で、アリストテレスは「倫理的な卓越性についての各論」の冒頭に「勇敢」を挙げ、同書第五巻すべてを「正義」論に充てている(岩波文庫版参照)。

[ii]  渡邉昭夫編「戦後日本の宰相たち」中公文庫(二〇〇一年)、p三三以下

[iii] 「文芸春秋」二〇〇七年七月号所収の「右翼と左翼を問い直す三十冊」p一四七

[iv]  関岡英之ほか編「アメリカの日本改造計画」イーストプレス(二〇〇六年)、p一六