「新銀行東京」の失敗
新銀行東京が開業したのは、平成一七(二〇〇五)年、小泉政権時代のことである。民間金融機関が「さぼっている」中小・零細企業向け貸出を、都営銀行を作って積極的に行わせて中小企業の窮地を救うという趣旨で設立された。この趣旨および貸出方法には三つの誤りがあった。新銀行東京の失敗の原因は三重の認識の誤りにある。第一に、景気が良くならないのは中小企業にカネが回っていないからだという認識の誤り、第二に、中小企業にカネが回らないのは民間金融機関の貸出機能が劣化しているからだいう認識の誤り、第三に、都営銀行を作って民間が「さぼっている」広大な未開拓の貸出市場を開拓するには、スコアリングモデルによる自動与信審査を使えば効率的にできるという認識の誤りである。
第一の認識の誤りは、銀行の不良債権問題のためにカネ詰まりが生じ、それが不況の原因だと考えたことである。事実は不況ゆえカネが使われなかったということであり、因果関係が逆だったのである。経済学者の岩田規久男によれば、銀行の不良債権が経済低迷の原因だとする説には三種類ある。すなわち、@「銀行の貸し渋り説」、A「銀行の(不良先への)追い貸しによる優良投資締め出し説」、B「銀行の(不良先への)追い貸しによる利潤を生まない企業温存説」である。岩田は、これら三つの説を実証的、論理的に検討して、いずれも明確に棄却している。そして、「社会全体の資源配分の効率化を図る上で、銀行の不良債権は足かせとなっていないことになります。(中略)そうであれば、小泉内閣の『経済再生のためには、不良債権を早期に処理しなければならない』という考えは妥当ではなくなります」と結論している。[i] 小泉時代は、民間企業のリストラ努力とアメリカ・アジア等の外需によって企業収益力が回復し、それが景気回復を牽引し、景気回復によって銀行の不良債権が減ったのであって、不良債権が減ったことによって景気回復したのではない。
第二、第三の認識の誤りについては、かつて私が金沢支店長だった頃に書いた、次の小論を参照していただきたい。
「スモールコーポレート市場」幻想
日本の事業金融マーケットは、金利一四%の商工ローンと金利三%の銀行貸出に分裂しており、その間に巨大な中小・零細企業向け貸出の潜在市場が残されており、この市場をいかに開拓するかがこれからの金融業の課題だ、という説がある。そして中小・零細企業向け貸出市場を効率的に開拓する手段として、非対面のスコアリングモデルによる自動与信審査を導入すべきだと言う「親切な」アドヴァイスまでしてくれるエコノミストもいる。
しかし僕たちが営業の第一線で必死に新規貸出先開拓をしている実感からすると、この「スモールコーポレート市場」は幻想である。一四%と三%の間に市場は無いのである。例えば僕たちの支店で扱ったこんな事例がある。創業三年目のH社はユニークな事業で急成長しているが、H社も一年前までは、成長の源泉となったシステムの開発をしているところであり、海のものとも山のものとも知れぬこの事業にカネを貸す先は商工ローンと親戚縁者しか無かった。金利はもちろん一五%以上であった。当行はいち早くこの事業は将来性があると判断し、金利八%で貸出した。しかしひとたび事業がテイクオフし始めると、鵜の目鷹の目で新規貸出先を探している銀行群があっという間にH社に貸出攻勢をしかけ、当行が八%で貸してわずか半年後には貸出金利は三%台まで下がってしまったのである。このように日本の間接金融の市場は非常に競争的で効率的なのである。巨大な潜在市場が残っているならとっくの昔に参入者がいるはずである。金利を一四%払わなければ資金調達できない企業には成長性が無いのである。つまり、日本企業は、成長性の無い一四%集団とあっという間に三%になる成長企業集団とに分裂しているのである。その中間に、オリックスや一部の地域金融機関が相手をしている産業群があるにはあるが、それらはパチンコ店やラブホテルなど何らかの瑕疵(かし)のある産業であり、「巨大な中小企業向け貸出の潜在市場」などと呼べるものではない。
もし一四%の商工ローンに超過利潤があり、やり方によっては七%でも儲かる仕事だというなら、商工ローン以上のノウハウが無ければならないが、それはスコアリングモデルによる自動審査なのであろうか? 商工ローンはそれとは正反対に徹底した対面営業と対面回収とで成り立っているが、それを上回るような機械的モデルが存在するのだろうか? 僕にはなかなか想像し難い。もし本気で中小零細企業の金融をやるなら、今まであまり銀行がやってこなかった、在庫品などの「動産担保」による金融の可能性を研究すべきであろう。いや、それ以上に、当行のような銀行は、成長可能性のある産業セクターを徹底的に研究して人より一足早く成長企業を捕まえ、貸出ではなくエクイティの取得やM&Aなどの投資銀行スタイルの営業で稼ぐしかないと思うのだが・・・。
平成一七(二〇〇五)年二月一四日
以上の小論では、日本の貸出市場は銀行間競争も激しくパレート最適的な意味で効率的な市場であり、民間金融機関の貸出機能は劣化していないこと、非対面のスコアリングモデルによる自動与信審査という方法論が非現実的であることを、経験的に示したものである。「石原銀行」は、まさしく「スモールコーポレート市場」幻想と「自動与信審査」幻想にしてやられたのだ。
新銀行東京と金融コンサルタント・木村剛が主導している日本振興銀行はいずれも、小泉政権下、竹中平蔵金融担当大臣のもとで認可された。両者は中小企業向け貸出に力を入れるとして発足した銀行である。新銀行東京(=石原銀行)は失敗が明らかになったが、あまり報道されない日本振興銀行(=木村剛銀行)はどうなっているのだろうか。少なくともあまり成功したという話は聞かない。一方、竹中大臣より前に設立されたセブン銀行(イトーヨーカ堂系列)などは、資金の運用はきわめて保守的に行い、ATM使用料などの手数料で収益を稼ぐビジネスモデルであり、貸出市場への幻想に基づいた非現実的なモデルではなかったからこそ、少なくともここまでは成功してきた。
金融庁は、新銀行東京の失敗を受けて、これまで地域金融機関に推奨してきたスコアリング・モデルによる自動与信審査を積極的に推奨する項目から外したという。[ii] 金融庁は地域金融機関に地域密着型の金融(リレーションシップ・バンキング)の取り組みを提唱し、具体的内容についても詳細に定めてそれぞれの進捗状況を年二回報告させている。「スコアリング・モデル商品の活用」も報告事項に含まれており、地域金融機関の二〇〇六年度末残高は、二兆一四二五億円に達し、二〇〇三年度末比二.二倍にもなるという。金融庁の推奨を信じてスコアリング・モデル商品の活用に邁進した地域金融機関が石原銀行のように不良債権の山を築いた場合、金融庁はどう責任を取るのだろうか。
リレーションシップ・バンキングも竹中平蔵大臣が始めたものである。竹中大臣こそが、「景気が良くならないのは中小企業にカネが回っていないからだ」、「中小企業にカネが回らないのは民間金融機関の貸出機能が劣化しているからだ」、「広大な未開拓の貸出市場を開拓するには、スコアリングモデルによる自動与信審査を使えば効率的にできる」という三点セットの認識違いの張本人だったのである。竹中金融行政の弊害のひとつは金融業界に対する強権主義によって金融庁と金融業界との間に抜きがたい相互不信が生じたことであり、日本の金融業の創造性をつみ取ったことであり、国としての国際金融戦略が欠如していたことである。竹中大臣には日本の金融業自体を育成するという発想が乏しかった。
私は、個人的には石原慎太郎都知事は嫌いではない。かつて、彼の歯切れ良い発言に感心して、 日本の戦略を考えるという文章の中でも、政治家としての資質を評価している。しかし新銀行東京はいただけない。石原知事の周囲には、一橋大学の後輩で外資系投資銀行などに勤務していた有能なブレインたちがいたはずなのに、なぜ、こんなことになったのだろうか。
平成二〇(二〇〇八)年四月六日