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中国の書と日本美術を堪能する一日

 

 

さる三連休の最終日、七月二一日に、「北京故宮 書の名宝展」と「対決 巨匠たちの日本美術」というふたつの企画展を妻と一緒に「はしご」しました。まず午前に、両国の江戸東京博物館で開かれている「北京故宮 書の名宝展」を拝見しました。この企画展の最大の呼び物は、東晋時代の「書聖」王羲之(おうぎし、四世紀に生きた政治家にして書家)の筆になる「蘭亭序」(らんていじょ)の唐時代の写本です。この行書の芸術は、奔放さと優美さがほどよく調和して、確かに後世の書家がこぞって王羲之の「蘭亭序」を手本にしたというのもわかります。

 

北京故宮博物院収蔵の書跡、計六五点の展示中、王羲之の他で小生が心引かれたものをご紹介しましょう。まず、宋時代の政治家にして文人である蘇軾の行書「題王詵詩詞帖」は、決して器用な書体ではありませんが、蘇軾の気骨とおおらかさが感じられます(蘇軾は小生の敬愛する人物です。拙文「蘇東玻を愛す」をご覧下さい)。君主たちの書跡もそれぞれ個性的で大変面白いものでした。明朝の創始者、朱元璋(洪武帝)の行書「総兵帖」は、いかにも権謀術数に明け暮れた成り上がり者らしい荒っぽいタッチが印象的です。清朝最盛期を築いた二人の皇帝の行書、康煕帝の「柳条辺望月詩軸」と乾隆帝の「瀛台小宴詩軸」には二人の個性の違いがよく現れています。康煕帝の書は、知的な几帳面さや律儀さといった印象を受けますが、乾隆帝の書は、同じく知的ではありますが、より雄渾でダイナミックな筆遣いを感じます。

 

書にはいろいろな種類がありますが、元時代の趙孟頫の「張総管墓志銘巻」や明時代の姜立綱の「節録張載東銘冊」のようなきっちりした楷書は、背筋がピンと伸びるような威儀正しさを感じて小生は好きです。一方、文字と言うよりは寧ろ意匠やデザインといったほうがいいようなものもあります。宋時代の黄庭堅の草書「諸上座帖巻」や清時代のケ石如の篆書「四箴四屏」がそれで、これはこれで見ていて楽しいものでした。

 

江戸東京博物館の食堂で昼食をとり、午後は上野の東京国立博物館へ「対決 巨匠たちの日本美術」という企画展を拝見に行きました。企画の趣旨を国立博物館のHPから引用すると、「日本美術の歴史に燦然と輝く傑作の数々は、時代を代表する絵師や仏師、陶工らが師匠や先達の作品に学び、時にはライバルとして競い合う中で生み出されてきました。優れた芸術家たちの作品を比較すると、興味深い対照の妙を見出すことができます。この展覧会では、作家同士の関係に着目し、中世から近代までの巨匠たちを二人づつ組み合わせ、『対決』させる形で紹介いたします。国宝十余件、重要文化財約四十件を含む百余件の名品が一堂に会し、巨匠たちの作品を実際に見て比較できるのが本展の最大の魅力です」という具合です。

 

小生には、どれも大変興味深い組み合わせでしたが、とりわけ惹かれたのは以下の「対決」です。まず、同門から発して別々の道を歩んだ鎌倉時代の仏師、運慶と快慶の地蔵菩薩像。運慶の「動」「ダイナミズム」に対して快慶の「静」「品格」という対比でしょうが、小生はどちらにも造形感覚の研ぎ澄まされた写実性に深く感じ入りました。安土桃山時代の絵師、狩野永徳と長谷川等伯も、永徳の「華麗さ」に対する等伯の「静謐さ」の対比が印象的です。しかし同時に小生は、等伯の「松林図屏風」や「萩図屏風」や「四季柳図屏風」を見て、人間の孤独といったものを感じました。単なる風景や装飾ではなくそれを書き眺める人間の心象風景を強く感じさせるのが等伯の絵の不思議さです。

 

同じく安土桃山時代の陶工、長次郎と本阿弥光悦。千利休の「わび」の理想を具現化したと言われる長次郎のろくろによらない手づくねの茶碗と、金工、木工、漆工、絵画、書、陶芸等々、あらゆるアートデザインに卓越した才を示した光悦の奔放さを顕現させた茶碗とを並べて拝見できたのは至上の眼福でした。江戸時代初期の絵師、俵屋宗達と尾形光琳。宗達の「蔦の細道図屏風」の現代的とも言える卓抜なデザイン性と、その天才を乗り越えようと独自の境地を開いた光琳の「竹梅図屏風」のユニークな構図。まさに作品が火花を散らして対決しているかのようでした。江戸時代前期の陶工、野々村仁清と尾形乾山。仁清の「色絵吉野山図茶壺」の華麗な色合いの妙はちょっと言い表せないほど見事です。一方、乾山は光琳の弟で、書画一体の独特の皿や茶器を作りました。

 

そして最後に、明治の富岡鉄斎と横山大観。ふたりとも近代日本が生んだ偉大な絵描きでしたが、その生涯や芸術観は対照的です。鉄斎は、西洋化を拒否し、生涯儒者を任じていました。個展以外の展覧会には出品せず、孤高の文人画家でした。「万巻の書を読み、万里の道を行く」鉄斎の絵は、しかし、狷介なものではなく、非常におおらかで明るいものです。展示されていた妙義山や熊野八丁や富士山を旅した印象を絵画にしたものなど、どれも色づかいが華やかで構図も大胆です。一方、大観は明治日本の「坂の上の雲」を体現したような人です。東京美術学校の一期生にして岡倉天心の弟子として頭角を現し、日本画の改革者となり、昭和三三年に九十歳で亡くなるまで日本美術界の重鎮であり続けました。大観の「雲中富士図屏風」は白雲から頭だけ出した紺色の富士を描くデザイン性の強い絵で、これまた晴朗な魅力を湛えています。鉄斎と大観に共通するのは、明治の人の明るさ、たくましさ、力強さです。

 

平成二〇(二〇〇八)年七月二六日