「アマゾン」のウェブサイトでのこの本の謳い文句に若干付記して、本書を要約すると、こんな具合になる:−
「米軍の死傷者数が日本軍のそれを上回った唯一の戦闘、硫黄島戦。『アメリカとだけは戦うな』 そう主張し続けた帝国陸軍屈指の知米派である栗林忠道。硫黄島での激烈な最期に至るその生涯を辿りつつ、日本文化の宿命的弱点を容赦なく剔抉する、異色の栗林忠道中将論」
本のタイトル「常に諸子の先頭に在り」は、硫黄島戦の最終局面、昭和二〇(一九四五)年三月一七日に、栗林中将から硫黄島を護る将兵に対して発せられた最後の無電「全将兵ニ告グル命令」に由来する。アメリカ軍の上陸から二七日を経たこの日発せられた命令は、「戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ」で始まり、「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」で結ばれていた。常に将兵の先頭に立って指揮を執り戦った栗林中将の指導者としての優れた資質を、著者は、本のタイトルに表象させたのである。
近年、『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』と硫黄島戦にまつわる二本の映画を手がけたクリント・イーストウッド監督は、映画の案内「日本のみなさまへ」で、こう語っている:−
「六一年前、日米両軍は硫黄島で戦いました。この戦に興味を抱いた私は、硫黄島の防衛の先頭に立った指揮官、栗林忠道中将の存在を知りました。彼は想像力、独創性、そして機知に富んだ人物でした。…」
また、留守氏も、栗林中将のことを知ったきっかけは、アメリカに在外研究員として滞在中に、古本屋で偶然見つけたリチャード・ニューカムというジャーナリストが一九六五年に上梓した硫黄島戦の記録からだったという。留守氏はこう述懐する:−
「それを讀むまで、私は硫黄島については極くありきたりの知識しか持ちあはせてをらず、ニューカムがかなり詳しく紹介してゐる栗林中将の為人(ひととなり)については全く無知であつた。武人として卓越してゐただけでなく、父親として、夫として、そして何よりも一人の人間として、實に見事で魅力的な栗林忠道という日本人を知る事が出来たのは、私の場合、ニューカムというアメリカ人のお蔭であつた。」[1]
イーストウッドにしろニューカムにしろ、アメリカ人が硫黄島の激戦の記憶を大切にし、敵将の優れたところをも含めて歴史の教訓にしているのに対し、日本人は、戦史から学ぶという営みにあまりに欠けている。留守氏は、自省も踏まえて、本書で繰り返し栗林の事跡を知るべしと訴える。たまたま栗林中将は、イーストウッド監督の映画のお陰で、かなりの日本人が知るようになったが、僕自身も、本書と梯久美子氏の「散るぞ悲しき」を読むまでは、栗林中将と硫黄島戦のことをほとんど知らなかった。
さて、留守氏は本書で、栗林中将の事跡を語りながら、それを梃子に「日本文化論」を展開する。留守氏は、キリスト教の神のような絶対神がいない日本人の生き方に脆弱さを見るが、しかしそれでも、戦前までは、西洋合理精神と封建的忠誠心とを併せ持つ強靱な「異形の日本人」が幾多存在したとし、その一つの典型として栗林中将を造形する。「異形の日本人」たちには、西洋合理主義と日本人としての確乎たる自覚や誇りとが併存した。彼らには、単なる西洋知識でもなく、単なる独善的な愛国主義でもない、自己を超えた何ものかに人生を捧げようとする「個人の理想」があった。幕末の佐久間象山や渡辺崋山は、迷妄な攘夷思想を排し、西洋文明を積極的に取り入れようとしたが、一方でおのが母のことを気にかけ、強烈な愛国者でもあった。アメリカ仕込みのリベラリストでジャーナリストの清澤冽(きよさわきよし)は、対米英戦が勃発すると、「自分は愛國者として、これで忠節を全うしたと言へるか、もつと戦争を避けるために努力すべきではなかつたか」と呻吟して記した。帝国海軍きっての合理主義者・井上成美は、敵性語だから英語教育を廃止しようという動きの中で「外國語一つ眞劍にマスターする氣の無いやうな少年を海軍は必要としない」と言い放ったが、その西洋的教養は「天子様(天皇)の御心に叶った」生き方をしたいという思いと何ら矛盾しなかった。
アメリカ駐在を経験し、アメリカの物量と精神力の強靱さを知悉していた栗林は、アメリカとの戦争がいかに無謀なものかよくわかっていた。しかし、一旦対米戦の最前線に立った栗林は、それまでの日本軍の無意味な水際戦術を捨て、硫黄島を徹底的に「ゲリラ基地」に仕立て、敵将スミス中将が「七日程度で攻略できる」と見込んだのを、一ヶ月も激闘を強いる戦いを演じた。栗林はアメリカに抵抗するために最も理に叶った戦いを貫徹した。そうした合理主義者・栗林中将の不屈の精神力を支えたのは、楠木正成に象徴される武士たちの忠誠心の伝統であった。「栗林は湊川や多々良濱の故事を偲んで、『帝國ノ臣民』として誇りを奮ひ立たせた」[2] のである。そこには、アメリカを知り合理的であろうとすることと、日本の伝統や天皇への忠誠心で精神を武装することとが、何の矛盾もなくひとつの統一された人格の中で息づいていた。現代日本人には、戦前までの「異形の日本人」が持っていた、自己を超えた何ものかに人生を捧げようとする「個人の理想」が欠如したままである。
本書は、現代日本人への苦言が苦(にが)すぎて、栗林中将の伝記を純粋に味わいたい向きには、読後感は必ずしもさわやかではない。しかし「良薬は口に苦し」である。自らの問題として私たちは本書に立ち向かわなければならないのだろう。
平成二〇(二〇〇八)年九月二三日