次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2007年〜2008年」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

野口悠紀雄氏の正論

 

 

「Voice」二〇〇八年一〇月号に掲載された野口悠紀雄早稲田大学教授の論文「円高無くして成長無し」は、示唆に富んだ正論である。野口氏は、現在、世界経済で生じているのは、投機資金による金融混乱ではなく、その根底にある「ドルに対する信認の低下」というマクロ経済現象であると喝破する。「世界経済は、ドルの新しい位置づけを求めて模索を続けている」のである。以下、野口氏の論旨を辿ってみよう(「 」内は野口論文からの直接の引用)。

 

歴史的に、原油価格は金価格とほぼ並行に上昇している。一オンスあたりの金価格と一バレルあたりの原油価格との間には、経験的に一〇対一の関係がある。農産物価格も、これらとほぼ同じペースで上昇した。「つまり、金を価値の基準とすれば、原油も農産物も、さして価格が上昇したわけではないのである。」一九七〇年代初めに形成された「スミソニアン体制」(ドルと金のリンクの切断)によって、世界の経済取引における価値の基準は、それまでの金からドルへ移行したが、それは形式上のものであり、金は依然として価値の基準であり続けた。一九七〇年代の石油ショックの時には、原油と歩調を合わせて金も上昇した。だから、石油ショックとは、金(=原油)価格に対するドル価値の下落だったのだ。

 

スミソニアン体制が意図したドル本位制は、ようやく冷戦後に実現する。八〇年代後半の金と原油との価格比は、一〇対〇.四に低下し(逆オイルショック)、金と農産物との価格比はほぼ不変だった。金とドルとの関係は、九〇年代を通じて一オンスあたりほぼ三〇〇ドル〜四〇〇ドルの間で安定的に推移した。「冷戦後の世界において金価値が安定したのは、アメリカ経済の成長力に対する信認が高まったことの反映だ。金は、表舞台から姿を消したのである。これが、八〇年代後半から昨年夏まで、およそ二〇年間に亘って続いた世界経済の基本的な姿である。」この二〇年間は、世界経済が未曾有の繁栄を謳歌した時代だが、それを牽引したのは、アメリカ、イギリス、アイルランドなどの「脱工業国」だった。一方、「失われた二〇年」を過ごした日本や、フランス、ドイツ、イタリアは、取り残された。

 

しかし、昨年夏、順調に見えた世界経済の成長に、大きな問題があることが顕在化した。それはアメリカの経常収支赤字が持続不可能な水準まで拡大したことである。九〇年代初にGDP比一%台にまで低下した赤字は、九九年から再び拡大し、〇四年以降は五%台というきわめて高い水準になった。金価格は、〇二年には一オンス三〇〇ドル台だったが、赤字拡大と歩調を合わせて上昇し、二〇〇七年には六〇〇ドル台にまで上昇、今年三月には一〇〇〇ドルを超えた。ドルへの信認の低下である。

 

このような経常収支の不均衡は、本来は継続しないはずである。為替レートがドル安に動いて、アメリカの経常収支赤字は縮小するはずだ。しかし今回はそうはならなかった。その理由は、日本や中国からアメリカに資本供給が行われたからだ。アメリカに流入した資本は、経常収支の赤字を賄っただけでなく、国内に資産インフレを引き起こした。それが住宅価格の高騰であり、サブプライム関連金融商品への投機的な取引である。「したがって、サブプライム問題を中心とする昨夏以来のアメリカの金融混乱は、マクロ的不均衡がもたらした必然の結果である。投機とその崩壊は、問題の原因ではなく、『表れ』に過ぎない。仮にサブプライム・ローンという金融商品がなければ、別の金融商品でバブルが起きていたろう。」

 

野口氏は、こうしたことはバブルであり、持続可能ではないと、次のように説明する。「為替レートに関しては、『購買力平価』と『金利平価』という関係が成立しなければならない。前者は、同一財の価格がどの国でも同一であることを要求する。これを実現するには、物価上昇率の高い国の為替レートがその分だけ減価する必要がある。九〇年代以降の日米について言えば、アメリカの物価上昇率がほぼ年率三%、日本がゼロだったので、ドルが円に対して毎年三%ずつ減価する必要があった。後者は、どの国の通貨で運用しても、自国通貨に戻せば利回りが同一になることを要求する。これを実現するには、金利の高い国の為替レートが、その分だけ減価する必要がある。九〇年代以降の日米について言えば、アメリカの金利が年率四%程度、日本は一%程度であったから、ドルが円に対して毎年三%ずつ減価する必要があった。すなわち、『購買力平価』、『金利平価』いずれの関係からも、ドルは円に対して毎年三%ずつ減価する必要があったのである。九〇年代半ばまでは、実際にそのような円高が生じ、九五年頃には、一ドル九〇円程度になった。」

 

ところが、円高によって収益が減った日本の輸出産業が(九〇年代後半以降に)円安政策を要求し、政府による円売りドル買いの為替介入が行われた。この「近視眼的な」経済政策の結果、円ドルレートは、名目で見て一ドル一二〇円台から余り大きく変化しなくなってしまった。これによって、第一に、『購買力平価』が成立せず、円のドルに対する実質価値が低下した。これは日本製品の輸出力を高め、日本の輸出企業の価格競争力を実力以上に高めた。〇二年以降の日本の景気拡大は異常なほど外需に依存して実現したのだ、と野口氏は述べる。「近視眼的な」円安政策によって、第二には、『金利平価』が成立しないため、円をドルに替えて運用する「円キャリー取引」が利益を生んだ。外資系金融機関などが東京で円を借りてドルに替えアメリカに資本供与した。為替介入した日本政府もドルペッグを維持する中国政府も、ドルが減価しないため、外貨準備を米国債に偏して保有し、アメリカに資金供与したのである。アメリカ政府も、資本が環流する限りは、(また、円売り介入と日銀の非不胎化政策とが組み合わされてマネーサプライが増大し日本のデフレ対策として機能する限りは)日本の為替介入を容認し、中国のドルペッグにもあまり極端な攻撃をしなかった。このように、日本の為替介入や中国のドルペッグとそれらを容認するアメリカ政府によってこそ、日中の輸出企業が稼いだカネがアメリカに環流したのである。しかし、サブプライム問題を契機に、アメリカの経常収支赤字の巨額化が懸念されてドルへの信認が揺らぎ、日中とアメリカの資金循環に黄信号がともったのだ。日中とアメリカに巨大な資金不均衡が存在する限り、バブルは形成されては破裂する。従って、現在の金融混乱を回避するためには、ドルへの信認を取り戻すこと、すなわちアメリカの経常収支が持続可能な水準まで減ることが必要なのである。

 

野口氏は、アメリカの経常収支赤字は、どこまで縮小すれば持続可能なのか、「客観的な量的基準は存在しない」と述べ、「過去の推移からすれば、GDP比で少なくとも三%台になる必要がある」と推測する。そして、「ここで必要とされる調整は、スミソニアン体制の抜本的な変革とか、アメリカ中心の世界経済構造の組み直しということではない。必要なのは、アメリカ人が支出を切り詰めることであり、それは、基本的には、(人為的なドル高為替政策を止めて)ドル安によってアメリカ国内の物価が上昇することによって実現する。また、アメリカの外交政策が大転換して、軍事費を切りつめることによっても赤字は縮小する。尤も、このためには、郊外の豪華な家に住んで自動車で長距離通勤するというアメリカの基本的なライフスタイルが変化する必要があり、決して簡単なことではない。」調整の期間は、アメリカの景気減退は避けられず、日本も輸出が減って景気減退を余儀なくされる。「景気後退無しに、現在の経済混乱を収束できないか」というのは無理な希望であり、不可能事を追い求めても現実をいたずらに悪化させるだけだ、と野口氏は述べる。

 

さて、景気悪化に対して、日本の対応策として、野口氏はふたつの処方箋を説く。第一に、「金融緩和を継続しても何の効果もないことは明らかなので、せめても、消費者と退職後世代の生活をインフレから防衛するために、金利を引き上げ、それによって円高を実現することだ。」金利を上げて円高によってインフレを抑止したのは、第一次石油ショックの克服で経験したことである。「一般に、石油ショックの克服で日本が他国より良好なパフォーマンスを実現したのは、賃金上昇率を低く抑えられたためであるとされている。そうした側面もあることは事実だが、円高の効果もきわめて大きかったことに注意しなければならない。日本と対照的に通貨が減価したイギリスとイタリアは深刻な経済危機に陥ったのだ。我々は、いま、一九七〇年代の経験を真剣に学ぶ必要がある。」

 

「しかし、問題は、消費者の立場に立つ政治勢力が日本には存在しないことだ。日本では共産党に至るまで、現存の産業構造の維持と雇用の確保だけを求めている。先般策定された(福田内閣の)『総合経済対策』は、そうした日本の実情を象徴的に示している。そこに列挙されているのは、効果が期待できない場当たり的策のみである。(中略)このような対応しかできない日本の現状は、悲劇としか言いようがない。果敢に金利を引き上げ、円高を容認し、その結果、石油ショック対応における世界の優等生になった一九七〇年代に比べて、日本の政策遂行能力は明らかに劣化した。」

 

日本の対応策として、第二に、円高になると日本産業の中心だった自動車産業が大きな打撃を受けるが、「こうした事態に対して本来必要とされるのは、産業構造を大きく改革することだ。(中略)一つの目安としては、一ドル七〇円の水準でも利益が上がる産業構造だ。このため、製造業であれば、従来型の大量生産のものから、付加価値の高いものに移行する必要がある。また、現在のように一つの企業で最初から最後まで生産する『垂直統合型』から、特定分野に特化した企業が市場を通じて結びつく『水平統合型』に移行する必要がある。さらに、金融業や高度なサービス業などの分野が拡大する必要がある。これは現在の日本の産業構造とは大きく異なるものであるため、この実現のためには、(中略)海外からの企業買収によって日本企業の経営が基本から変わらない限り、不可能なことだろう。」野口氏は、また、「残念なことに、現状維持の企業防衛に凝り固まった日本の企業経営者が、そうした改革を実現できるとは考えられない」と悲観的な見通しも述べている。

 

*        *        *

 

以上、「購買力平価」と「金利平価」という「古典的常識」に基づいた野口氏の議論は正論である。米英主導の金融資本主義を、「カネのモノからの自立」、「尾(金融)が頭(実物経済)を振り回す」、「帝国循環」、「新しいパラダイムの確立」などと捉える議論は、現象の表面しか見ていない。実物経済と金融の関係についての「古典的常識」に復讐されているのが今のアメリカの姿だと理解すべきだろう。経常収支赤字は無限に許されるものではなく、ドルへの信任を維持できる水準に赤字を如何に制御するかを考えるべきなのだ。

 

必要なのは、アメリカも日本も中国も「購買力平価」と「金利平価」の原則に従うことだ。人為的なドル高(円安、人民元安)為替政策を止めて、「ドル安→アメリカ国内の物価上昇→アメリカ人が消費を切り詰める→経常収支赤字が縮小する」というプロセスを機能させることである。この場合、「郊外の豪華な家に住んで自動車で長距離通勤するというアメリカの基本的なライフスタイルが変化する必要があり、決して簡単なことではない。調整の期間は、アメリカの景気減退は避けられず、日本も輸出が減って景気減退を余儀なくされる」という野口氏の見立ては、一九八〇年代後半のレーガン大統領の減税と財政赤字によって生じた「双子の赤字」を厳しく批判した下村治の見立てと全く同じなのには驚く。拙文 “下村治の慧眼”(二〇〇〇年二月)に曰く:−

 

“アメリカはどうすべきか。下村氏の見立ては極めてオーソドックスである。即ち、増税と財政削減による縮小均衡策こそが健全な経済運営である。(中略)もちろんその間は不況になるので、アメリカ国民は痛みを我慢する必要がある。(中略)一九八七年という時点で、「世界同時不況を覚悟すべきであり、日米両国は縮小均衡から再出発すべきである」「日本人も、ここ数年の豊かな生活はレーガンの余録と思ったほうがいい。今気づいてアメリカが節度ある経済運営に戻れば、余計な成長が剥げ落ちるだけで、四、五年前に戻るだけなのでたいした混乱はない」(中略)と警告を発する氏の慧眼は驚くべきである。”

 

この二〇年間、野口氏流に言えば、金融・サービス業化の成功によってアメリカ経済の成長力に対する信認が高まり、世界経済は未曾有の繁栄を謳歌したが、経常収支悪化を糊塗する各国の人為的ドル高誘導によって、ドルへの信任が揺らぐほどに赤字が拡大して今日の事態を惹起したことになる。しかし、下村治が指摘したとおり、アメリカの経常収支赤字の放置は今に始まった訳ではなく、二〇年来の世界経済の根本問題だったのである。

 

野口氏の「日本の輸出産業が(九〇年代後半以降)円安政策を要求し、政府による(円売りドル買いの)為替介入が行われた」との指摘も重要である。特に、小泉政権時代の溝口善兵衛財務官の介入は大規模なもので、二〇〇三年一月から二〇〇四年三月までに三五兆円もの円売りドル買い介入を行った。二〇〇四年度の国の一般会計税収が四二兆円弱だったので、溝口財務官の介入は年間の税収に迫る規模だったわけだ。ドルを買い続けた溝口氏は米誌「ビジネス・ウィーク」から「ミスター・ドル」の称号を贈られた。溝口財務官の円売りによる市場への円資金流入に対して、福井総裁率いる日銀は、その資金を吸収しない「非不胎化政策」をとり、市場への資金供給増加を通じてデフレ対策とした。小泉首相は、当時、景気対策として財政出動に一切依存しなかったが、円安誘導により輸出企業の利益増進を促したこと、日銀の非不胎化政策によってマネーサプライを急増させたことは今日あまりクローズアップされていない事実である。[1] 財政政策では「改革派」だった小泉首相も、金融・為替政策では「円安・金融緩和」という九〇年代以降の「伝統的な」自民党の政策に依拠したのである。

 

さて、景気悪化を覚悟せざるを得ない現在の日本への野口氏のふたつの処方箋のうち、第一の「金利を上げて円高によってインフレを抑止すべし」との論には、私は満腔から賛成である。私は、かねてより、日本は金利引き上げと円高でこそ国が富むという「円高国富論者」である。生産者ではなく預金者と生活者に目を向ければ、金利は引き上げ円は強い方がいいのは明らかである。しかし、野口氏が嘆いているように、日本には「生活者党」が存在しない。「果敢に金利を引き上げ、円高を容認し、その結果、石油ショック対応における世界の優等生になった一九七〇年代に比べて、日本の政策遂行能力は明らかに劣化した」との野口氏の見立ては、残念だが正鵠を得ていると思う。近い将来予想されている総選挙による自民党一党支配終焉後の政府の「政策能力」「政治能力」に期待したいところだ。

 

 野口氏の「強い円待望論」に関連して、「WILL」二〇〇八年一一月号で、産経新聞特別記者・編集委員の田村秀男氏は、ドル信任が揺らいでいる今、日本は、「自国通貨でビジネスできる通貨圏を持つべし」と主張する。「自国の通貨でビジネスができれば、企業の製品価格は圏内で一律でよい。(ドル、ユーロという)自国通貨圏を持つ米国もドイツも、企業は自国内で製品を値上げすれば海外でも直ちに値上げする」のであって、自国通貨でビジネスできないと安売りに甘んじざるを得ない。日本の製造業が「良いもの」を作っても安くしか売れない理由のひとつも円建てで商売できていないことにあるのではないか。田村氏は「ドルによる金融に依存する時代は終わったというのが、今回のウォール街危機の教訓だ。自立のための戦略を発動するときなのだ」と述べる。これは妥当な主張である。田村氏の主張は、野口氏の、金利を上げて円高にすべし、との論を補強する。強い円にすることで円に対する信任を獲得でき、自国通貨圏を確立することができるのである。円だけでうまく立ち回るのは厳しければ、中国と通貨協調に一歩踏み込むことも一考に値するかもしれない。アメリカへの輸出依存と資本供与という立場では、日中は共通の利害関係にある。アジアでドルを決済通貨にし続けなければならない理由はない。ただし、戦前からの歴史的教訓も踏まえると、アメリカをアジアから排除するように受け取られるのは良くない。アメリカの今回の金融混乱を救うことと引き替えに、かつ、アメリカ排除と疑われることなくアジア通貨圏を構築すべく、信念を持って巧みに立ち回る「金融外交力」が問われる。

 

 さて、野口氏の日本へのふたつの処方箋のうち、私は、第一の処方箋には満腔から賛成だが、第二の処方箋(外資導入によって、円高に適応できる産業構造に抜本改革すべし)には違和感がある。野口氏は、アメリカの経常収支赤字をドル信任維持可能なレベルに制御すべしと説くが、アメリカの金融・サービス業中心の経済モデル自体は否定していない。むしろ「脱工業化」を繁栄のキーワードにしている。しかし、今回のアメリカの金融混乱が収束して再び「脱工業化」のアメリカ型金融立国モデルが復調したとしても、アメリカを模して「脱工業化」したのでは日本産業の(他国には見られない)長所を殺すことにならないか。また、「国際収支の天井」という無資源国日本の防衛上の見地も考慮する必要がある。貴殿は「製造業立国派」か「金融業立国派」か、と単純化して問われれば、私は「製造業派」である。しかし、日本の製造業のあり方には「ガラパゴス化」という問題もあり、今の日本の製造業が日本にとって理想のあり方だとは思えない。[2] これについては、機会を改めて論じたい。

 

平成二〇(二〇〇八)年一〇月一日

 



[1]  このあたりの溝口財務官の為替介入と日銀の金融政策については、清水真人「経済財政戦記」(日本経済新聞社、二〇〇七年)、P一七三〜一七六を参照した。

[2]  例えば、宮崎智彦「ガラパゴス化する日本の製造業」(東洋経済新報社、二〇〇八年)で、エレクトロニクス産業の国際比較によって日本の製造業の弱点が具体的に論じられている。