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「古典派からのメッセージ・2009年〜2010年」目次へ戻る
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今こそ日本産業の普遍的価値の発信を

 

 

以前に、拙論「野口悠紀雄氏の正論」の中で、現在の日本への野口氏のふたつの処方箋のうち、第一の「消費者と退職後世代の生活をインフレから防衛するために、金利を引き上げ、それによって円高を実現すべし」との論には、私も満腔から賛成だが、第二の「外資導入によって、円高に適応できる産業構造に抜本改革すべし」には違和感がある、と述べた。

 

私の野口悠紀雄氏への違和感を敷衍してくれるのが、「Voice」二〇〇八年一〇月号に掲載された原丈人氏(デフタ・パートナーズ会長)の論文「『大減税』で繁栄する日本」と、「学士会報」二〇〇八年第五号(No.八七二)に掲載された増田貴司氏(東レ経営研究所産業経済調査部長)の論文「日本の『ものづくり』の底力は過小評価されている」である。

 

まず、原丈人氏の論文「『大減税』で繁栄する日本」は、新産業の創出の必要(「金の卵を産むガチョウを生み出せ」)という点では野口氏の議論と同じ方向を見ている。しかし、原氏は、野口氏のように、日本の企業風土に悲観的な見方ばかりをしてはいない。むしろ、短期的利益を志向し、それに見合った減損会計や時価会計を信奉するようになったアメリカの資本主義からは創造的企業は出て来ないとし、大々的な投資減税で起業家を内外から日本へ呼び込めば、日本のハードウェアの力が活きてくるとして、次のように述べる。「知的財産を作るのは少人数だが、それを製品に落とし込む過程で、多数の人が関与する。しかも、これからの技術はソフトウェアとハードウェアが融合した組み込みものになってゆく。高度な知的財産をハードウェアとして実現できるだけのインフラ基盤があるのは世界中で日本しかない。頭脳はどこにあっても、それを実現しようとした途端に日本に来ざるを得ない。」

 

 一方、増田氏の論文「日本の『ものづくり』の底力は過小評価されている」は、一九九〇年代以降のグローバル化の中で高成長を実現したのは米国、英国、アイルランドなど製造業の比率を低下させた国々だという「脱・工業化論」について、従来型の産業分類思考に囚われた誤解と偏見である、とし、「情報技術の発展を背景に製造業とサービス業との境界が不明確化し、ハードとソフトが密接不可分になりつつある今日では、既存の分類による製造業比率は大きな意味を持たない。製造業がサービス業に置き換わるという問題設定自体、もはや時代遅れであろう」と反論する。

 

 さらに、「日本の強みは組織の一体感や職人技術本能にあると語ると、それは日本特殊論や精神論だと拒絶反応を示す人がいる。そんな時代遅れの強みにこだわっているから、日本経済は世界から取り残されるのだという声もある。しかし、多くの日本人が自然に身につけている国民性が、ものづくりの強みになっていることは否定しがたい事実であり、それを強みとして認識し活用していくべきだろう。他国企業とおなじことをやっているだけでは、利潤は生まれない。他国には無い日本の特質を世界標準ではないからと言ってあっさり捨ててしまうことは、グローバル競争を戦う貴重な武器を失うことを意味する。」と論ずる。賛成である。

 

 日本の製造業の失敗例として、よく携帯電話が「ガラパゴス現象」として挙げられ、日本流にものづくりで高機能な新製品の開発に成功しても、普及品化と低価格の世界市場では売れず、投資に見合った利益が出ない、との批判があるが、増田氏は、「多くの賢明なものづくり企業は、これらの問題点をかなり正確に見定め、(中略)成長する新興国市場の攻略のために、低価格領域の製品開発に本腰を入れ始めた企業も数多い」という。

 

 最後に、増田氏は、「ものづくりは、種をまき、水をやり、育ててやる農耕型の営みであり、投資が実を結ぶまでに長い年月を要する。このため、短期的成果を求める資本市場では否定的に評価されがちだ。(中略)いま、日本が戦略的になすべきことは、他国には眞似できない日本のものづくりの価値や素晴らしさを世界に伝え、『よいものをつくって世界中の人に提供できる強さ』や『世界の重要問題の解決に役立つ技術や製品を提供できる強さ』を企業価値の一部として資本市場で正当に評価される」ように、世界に向けて説明、説得する努力をすることだ、と述べる。これも賛成だ。

 

一方、日本の非製造業(サービス業)について、平成二〇(二〇〇八)年九月二三日付「日本経済新聞」の「大機小機」欄で、“知新”氏はこう言う:−

 

「(日本の製造業の)生産性は既に世界最高の水準であり、今後さらに改善してゆくのは容易ではない。(中略)これに対し、日本のサービス産業の生産性は先進国の中で最下位級に留まり、日本経済の弱みと位置づけられている。だが発射台の低さは改善余地と変化率の高さを含意しているとも言える。就労人口の七割が従事しているように、サービス産業は典型的な労働集約型の産業である。その生産性向上は労働分配の増加に直結し、内需経済への寄与が大きいはずだ」としたうえで、「他のアジア諸国とは異なる日本固有の気配りともてなしの心には定評がある」し、「食や漫画、映像、文学、ゲームなどの日本文化は世界中でブームと言っていい」のだから、「日本国民の美点はものづくりだけにあるのではない」のであって、むしろサービス産業は日本の潜在的な「強み」「リソース」であると述べる。増田氏の、日本のものづくりの「強み」を軽視するな、との議論に加え、“知新”氏は、日本のサービス業の「強み」と「課題」(生産性の低さ)を論じている。

 

 いずれにせよ、これらの論者が共通に訴えているのは、日本の製造業にもサービス業にも固有の強みがあるのだから、もっとこれを世界に向けて発信すべきだという点である。誰かが作った世界標準を押し頂いてきた受け身の姿勢から、英米型の金融立国論がひとまず後退している今こそ、世界に向けて日本産業の固有の価値観が、決してローカルなものではなく、世界で普遍的に価値を持つものであることを訴え、世界標準を自ら形成する努力をすることが肝要だ。

 

平成二一(二〇〇九)年三月一四日