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偽善と独善

 

 

「日本経済新聞」二〇〇九年七月二二日の「大機小機」欄で、「冬至」氏は、「義を貫きたければ仲間を作れ」と訴え、日本にとって肝要なのは、国益を世界益につなげるダイナミックな提案と、それが支持されるような国際的「仲間」作りだと説く。これは極めて重要な指摘である。

 

「冬至」氏は、最近のふたつの事案を挙げる。第一は、金融危機を踏まえた銀行の自己資本規制強化の動き。欧米諸国は、既に、普通株重視の新たな規制強化の方向を打ち出したが、これは政府保有の優先株を普通株に転換して「自己資本強化」を狙う欧米銀行には都合がいいが、今回の危機でも政府資金は入らず普通株以外の比率が高い邦銀には新たな増資を迫られる不利な内容である。

 

 第二に、地球温暖化問題においても、欧州は一九九〇年比での温暖化ガス削減で足並みを揃えているが、それ以前から省エネが進んでいる日本と比べ欧州は一九九〇年比だと削減余力が大きいので有利である。欧州諸国には排出権取引を主導して大儲けしようという「魂胆」さえちらつく。

 

 いずれの事例も、欧米は、金融危機対応や温暖化防止という「美名」の下に自分たちの「エゴ(国益)」を追及しているのが実態である。日本は、第一次大戦後の国際秩序作りの際もそうだったが、既に流れができた後でその世界秩序に挑戦し孤立してきた。近衛文麿の「英米本位の平和主義を排す」は、軍縮の美名に隠された英米の偽善的な現状維持を批判した。それは正論ではある。しかし、内向きの独りよがりの「義」を振りかざしても、国際的な支持は得られなかった。国際社会では、「独善」より「偽善」のほうがはるかに意味のある行為であり、例え本音は国益追求であっても一定の「美名」「義」を共有する「仲間」を作ればそれが国際社会のルールとなる。国際政治学者の中西寛京都大学教授も、戦前の近衛の英米批判と戦後の一国平和主義とに共通する日本の「独善」を見出し、「長期的に見ると、独善的な行動パターンは、強固な味方を持ち難く、従ってそうした政策が国際政治に持ち得る影響力も限られ、最悪の場合、孤立に導きかねない。」と述べている。[1]

 

 銀行の自己資本規制にしても、温暖化ガス削減目標にしても、日本は、国益を反映しつつも説得力のある提案、つまり「義」を立て、かつ、義を貫くための仲間作りをしなければならない。正論であっても「独善」に陥っては国際的ルール作りでは負けなのだ。

 

平成二一(二〇〇九)年七月二二日

 



[1] 中西寛「国際政治とは何か」(中公新書、二〇〇三年)p一九