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「古典派からのメッセージ・2009年〜2010年」目次へ戻る
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中小企業金融をめぐる生産的な議論

 

 

「日本経済新聞」二〇〇九年八月七日の「経済教室」で、家森信善名古屋大学教授と小倉義明立命館大学准教授が連名で、「地域密着型金融」と「金融機関同士の競争度」とが相反する傾向にあるとの実証研究を紹介している。すなわち、金融機関の競争度の高い都道府県ほど地域密着型金融が実践されにくいという。一般的には、自由競争によって地域金融でもサービス競争が進み、地域密着型の金融は進展する、というのが「自由主義」の教義である。家森・小倉両氏の実証結果はやや意外に聞こえるが、実際の地域金融の現場をよく把握した上での有意義な含意を含んでいる。その概要を紹介しよう。

 

この結果の背景には中小企業についての「ソフト情報」の重要性がある。中小企業の財務諸表は必ずしも企業の実態、実力を示していない。企業の信用力を判断するうえで、経営者の人柄や意欲など、日頃の付き合いから徐々に読み取ってゆく情報が非常に重要である。こうした情報を学界では「ソフト情報」という。規制緩和などで遠隔地の金融機関がある地域市場に参入しても、その地域の中小企業のソフト情報を持っているわけではない。すると、参入金融機関は、誰が見ても優良な中小企業(例えば大企業の子会社)にしか貸し出しできず、優良企業を巡って地元金融機関との激しい金利競争が起こる。このような競争は、ふたつの理由から、ソフト情報を元に支援してきた地元金融機関の中小企業向けの貸出を阻害する。

 

第一に、地元金融機関は、参入者との競争で優良企業向け貸出の収益を失い、従来はそこで得ていたプラスを使って補ってきた経営基盤の弱い中小企業とのビジネスがやりにくくなる。第二に、競争が激化すれば、地元金融機関は、視野が短期化せざるを得なくなり、経営基盤の弱い中小企業との長期での利益回収といった観点での支援やきめ細かいサービスを提供しにくくなる。将来成長する可能性のある企業を潰して地域経済の大きな機会損失となる恐れもある。このように、ソフト情報の保有こそ、地域金融機関が長期的観点から地域密着型ビジネスを行い得る源泉であり、それを保有しない参入者は激しい金利競争をもたらして地域密着型金融をむしろ阻害するのである。

 

 こうした実証結果と説得的な理由が示されたからといって、二人の筆者は、地域金融における競争を否定し、独占や寡占を許容しているわけではない。こうしたソフト情報依存の中小企業市場での金融機関の競争のあり方としては、信用保証制度の活用で新規参入者にソフト情報を蓄積するまでの時間的猶予を付与するといった提案をしている。また、寡占から生じる弊害を避けるには、地域社会の圧力が重要で、地元金融機関の長期的な貢献努力を監視できるように、協同組織金融機関(信用金庫、信用組合等)の統治構造にも地域社会の意思を反映させるべきだとしている。

 

以上の二人の筆者の議論は、金融実務に携わる人にとって日頃の実感にフィットする生産的な内容だ。地域金融の実態を観察することなく「自由化」や「競争強化」を観念的に唱える似非(えせ)自由主義者への有効な反論でもある。金融制度を設計する責務を負った当局は、ソフト情報の重要性や金融機関の競争が無意味な価格競争(金利競争)に陥りやすいといった「現実の姿」から制度論、政策論を始めるべきである。

 

平成二一(二〇〇九)年八月八日