次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ・2009年〜2010年」目次へ戻る
表紙へ戻る


金融と実体経済の因果関係について

 

 

一〇月に亀井静香金融担当大臣の指導力のもとで策定された「中小企業金融円滑化法案」に対して、櫻川昌哉慶応義塾大学教授と星岳雄カリフォルニア大学サンディエゴ校教授が連名で問題点を指摘している。これは、有力金融学者たちの「金融監督政策研究会」の提言の概要でもあるという(「日本経済新聞」二〇〇九年一一月一三日の「経済教室」)。

 

櫻川・星両教授によれば、貸出条件変更は金融機関の努力目標にとどまったとはいえ、この法案の最大の問題は、政府による信用保証を拡大していることである。第一に、既存の保証制度が適用を受けない企業にまで拡大された保証制度が、貸し倒れリスクを政府に負わせる金融機関のモラルハザード(倫理荒廃)を惹起する。第二に、政府による過剰な信用保証は、信用リスクと金利の関係を不明確にし、金融機関のリスク管理力や収益性を歪める。第三に、金融庁の強い指導のもとに返済猶予の条件変更が行われれば、金融機関は新規顧客開拓に慎重になり、新規融資が萎縮してしまう。それと関連して、第四に、返済猶予を求める企業への新規融資が滞ることを恐れて、健全な企業がこの制度を使わず、結局制度を使うのは返済見込みのない企業ばかりということになりかねない。健全な企業を守るはずの制度の趣旨とは逆の効果が生じる。これを経済学では「逆選択」という。第五に、制度の適用に際して金融機関の貸倒引当を軽くするというような金融検査マニュアルの「場当たり的な」改訂は、日本の金融システムへの不信感を募らせる。

 

 第二点は特に重要だと思われる。日本では、公的金融のシェアが先進国の中では異常に高い。ゆうちょ銀行やかんぽ生命も然り、日本航空(JAL)の主力行である日本政策投資銀行をはじめとする各種公的金融機関、それに数多くの公的保証制度がある。金融自由化とは名ばかりで、小泉政権で進められた民営化路線もふらついている。収益性を勘案しない公的金融のシェアが高いため、信用リスクと金利との適切な関係(正しいプライシング)がいつまで経っても日本の貸出市場に定着せず、民間金融機関の収益性が低い一つの要因となっている。私はこの論文の主旨に賛成する。

 

*    *    *    *    *

 

 さて、私が櫻川・星論文を読んで考えさせられたもう一つのことは、金融と実体経済の因果関係である。リーマンショックは確かに「金融現象」である。それがさまざまな回路を通じて実体経済に甚大な影響を及ぼした。金融機関が自己資本毀損を恐れて融資に消極的になる「貸し渋り」もその回路の一つだ。欧米では大規模な貸し渋りで資金繰りに窮した企業の倒産が相次いだと伝えられている。しかし、日本では、「貸し渋り」ルートでの実体経済への影響は比較的軽かった。その影響を大きく受けたのは、不動産セクター、とりわけ一九九〇年代以降に発展した新興不動産会社や一部の不動産投資信託(所謂J−REIT)の投資法人にほぼ限られる。二〇〇七年以降、新興不動産会社への金融機関からの与信が急速に収縮し、何社かが倒産した(アーバンコーポレーション、日本綜合地所など)。また、J−REITの投資法人のいくつかも金融機関からの融資が継続されず資金繰りに窮した(ニューシティ・レジデンス投資法人はJ−REIT初の経営破綻)。

 

不動産だけではなく、中小企業セクター全般に対する「貸し渋り」も皆無ではなかったであろう。だが、櫻川・星両教授の引用する今年八月実施の金融庁アンケート調査によれば、最近の資金繰り悪化の要因として中小企業が挙げるのは、第一に「販売不振・在庫長期化等の営業要因」である。次いで「金融機関の融資態度」だが、建設業・不動産業以外では少数意見にとどまった。「多くの中小企業で資金繰りを悪化させているのは事業不振」なのであり、「中小・零細企業にとって問題の核心は、貸し渋り・貸し剥がしではなく、収益力の低迷である。」(櫻川・星)

 

 このように、今回のリーマンショックという金融現象が日本に与えた影響は、貸し渋りという回路での中小企業の資金繰り悪化ではなく、リーマンショックという金融現象が景気を悪化させ(つまり実体経済を悪化させ)、そのことが中小企業の売上や収益を圧迫しひいては資金繰りを悪化させているというのが正しい理解である。

 

従って、必要なのは、今回の「中小企業金融円滑化法案」のような貸し渋り対策それも政府の介入を拡大するような政策ではなく、むしろ景気対策である。しかし、従来型の公共工事増大といった景気対策の有効性が疑われる中、櫻川・星両教授が処方箋として挙げているのは、収益性の高い新規企業の参入促進であり、金融機関の新規企業に対する適切な審査と融資行動である。ゆえに政策として必要なのは、起業や新規参入を支援する優遇措置だ。櫻川・星両教授は、例として、現在、ベンチャー企業に投資する投資家には優遇税制があるが、そうした優遇措置を他の資金調達手段にも拡大することを挙げている。そして、既存の企業を保護する政策がしばしば新規参入を妨げていることを指摘している。金融現象と実体経済の因果関係、因果の回路を間違って理解すると、必要な対策を誤ることになる。亀井大臣の政策には、叩きやすい銀行セクターを悪者にして中小企業にいい顔をしようとするポピュリズム(人気取り)の気配が濃厚である。それは中小企業の真の発展にはつながらず、却って発展性のない企業だけを存続させて元気のよい新規企業の市場参入を妨げかねない。

 

*    *    *    *    *

 

こうした金融と実体経済との因果関係の取り違えは小泉時代にも見られた。一九九七年から一九九八年の金融危機時は、確かに「貸し渋り」ルートでの実体経済への悪影響があった。しかし一応の安全網が整備された二〇〇〇年以降については、むしろ実体経済の悪化が銀行の不良債権を増やし貸出を消極的にさせたのであって、因果が一九九七、八年とは逆だった。ところが、小泉政権で経済政策を一手に引き受けていた竹中平蔵氏は、二〇〇二年に金融担当大臣になってからも、不良債権処理を経済政策の最重要のテーマにし続けた。委細を以下に述べる。

 

竹中平蔵氏は、後に「構造改革の真実」と題する回顧録を書いているが、その回顧によれば、当時、不良債権処理が喫緊の課題だった理由のひとつに、バブル崩壊後の日本経済が抱える「デット・オーバー・ハング」の問題、すなわち企業の過剰債務による金融仲介機能の低下が経済・産業全般の停滞を招いていることが挙げられている。その認識は正しかったのだろうか。元日本興業銀行頭取の西村正雄は、当時、「銀行の不良債権が景気回復を妨げているという、竹中金融相らの認識は間違っている。(景気が悪く)資金需要がないからお金が回らないわけで、金融機能が麻痺しているわけではない。まずはデフレを止めるべきだ。」と述べている。[i] 竹中が言うように不良債権が不況やデフレの原因なのか、西村が述べるように不況やデフレが不良債権の原因なのか。

 

結論から言えば、真実は西村の見解にある。竹中の不良債権処理の景気への効果はもっぱら心理的なものにとどまる。確かに竹中の処断は、大手行の資本増強や不良債権処理の進捗を促し、金融不安や銀行の財務状況への疑念を払拭して人々に安心感を与えた。ペイオフも解禁されて金融情勢を平時モードに完全に戻した。主要行の不良債権比率を二〇〇二年三月期の八.四%から二〇〇五年三月期に四%台に半減させるという竹中の掲げた目標は達成された。確かに安心感という心理的効果はあったであろう。しかし、小泉時代においては、不良債権が景気低迷の原因であったというよりも、景気低迷が不良債権を増やしたという因果関係の方がはるかに強い。

 

それは、小泉時代初期には、銀行がバブル期に発生した不良債権をいくら処理しても不況型不良債権が新たに発生したため不良債権残高が減らなかったことからもわかる。小泉時代の不良債権の性質は、もはやバブルの後処理型から不況型へ変質していたのである。実体経済悪化を反映した不動産価格の連続的下落は担保価値を減損させ、株価の低迷は銀行の不良債権処理原資を乏しくしていた。小泉時代初期は、一九九七〜九八年当時のように金融危機が実体経済にダメージを与えていたのではなく、実体経済が金融危機を再び誘発するリスクがあったのである。

 

小泉時代は、結局、民間企業のリストラ努力とアメリカ・アジア等の外需によって企業収益力が回復し、それが景気回復を牽引し、景気回復によって銀行の不良債権が減ったのであって、不良債権が減ったことによって景気回復したのではない。従って、この時代にとってより重要だったのは、不良債権をどのように処理するかではなく、いかに不況とデフレを克服するかであった。りそな銀行を国有化し、足利銀行を破綻処理し、UFJ銀行を三菱との合併に追い込んだ竹中の強権的な金融行政は、小泉政治の「決然とした」イメージに資する「演出」に過ぎなかった。それは、現在の亀井金融行政と同じく、金融市場への政治の過剰な介入であり、銀行セクターを叩くことで政治的効果を狙うポピュリズムだったのである。このような政治の過剰介入が金融産業の創造性を奪い、その健全な発展を妨げるものであることは言うまでもない。

 

平成二一(二〇〇九)年一一月一四日

 



[i] 「朝日新聞」二〇〇二年一一月七日