世論応答と専門知の相克―鳩山政権の金融行政をめぐって(第五回)
第2章 政策事案U.「改定貸金業法」施行前の「見直し」(承前)
第3節 「コード71」問題
「コード71」とは、借入人に関する信用情報のうち、過払利息返還請求の有無を記録したデータを示す貸金業界用語である。重要な信用情報には、借入件数、借入残高、返済遅延などがあるが、過払利息返還請求を起こす人は返済不能や多重債務に陥る比率が高いため、「コード71」も貸し倒れリスクの高さを示すものとして重視され、信用情報機関のデータベースを利用する貸金業者は、「コード71」の記録がある人への与信には慎重になる。
2010年6月に総量規制が導入されるに当って、貸し手に各借入人の総借入残高を把握させるため「指定信用情報機関制度」が設けられ、金融庁は、6月よりも早い段階で指定信用情報機関の認可を行わなければならなかった。この問題は6月より早い段階で意思決定しなければならなかったのである。このスケジュール都合のため、「コード71」問題をPT事務局会議でとり上げるかどうかについて、当初から政務三役は曖昧にしていた。PT設置を発表した11月13日の記者会見で、田村政務官は次のように述べている。
「コード71」ですよね。それは、もうちょっと期限が早いのですよね。結局、指定信用情報機関の指定がありますので、そのこと自体はこの場で扱うかどうか。いや、まだ明確に扱わないと決めたわけではありませんけれども、この場でやるかどうかは、必要があれば、だと思いますね。[1]
ところが、事務局会議でヒアリングが重ねられている中、2010年1月に、「コード71」の削除を条件に信用情報機関を認可することが決定されたとメディアが報道した。以下の報道のように、「コード71」を残すべきか削除すべきかについては、意見、利害が対立していた。
<報道@>
貸金業者は「コード71」も参考に貸すかどうか審査してきたが、改正貸金業法の完全施行に向けて、金融庁が「過払利息返還請求を理由に新規融資を受けられなくなるのは望ましくない」と判断した。ただ、同法が目指す多重債務問題の解決につながらないとの指摘もある。政府の規制改革会議は「コード71は(貸出の慎重化によって)多重債務防止という法の要請に合致する」と削除に反対していた。
過払利息返還負担で経営危機に陥る会社が出ている業界にとっても、「コード71」の削除は「泣き面に蜂」だ。審査の精度が下がるほか、返還請求が再び勢いづくと心配する。JICC(認可された信用情報機関の略称)によると、「コード71」の登録者は昨年3月末現在で累計約99万人。調査の結果、登録者は返済不能リスクが高いといい、貸すかどうかの判断に役立つと主張していた。[2]
<報道A>
登録削除を打ち出した金融庁の考え方は「過払利息返還請求は債務者には当然の権利であり、その行使は信用情報になじまない」というもの。背景には多重債務者救済に従事してきた弁護士からの要請もあるようだ。一方の業界側、つまり貸し手側は「与信審査するうえで、この情報は必要である」と主張する。だが、金融庁はこうした言い分を「(情報登録は)資金需要者等に対しても、客観的かつ合理的な説明ができることが必要」と突っぱねる。
消費者金融業界では、アコム、プロミス、武富士、アイフル、三洋信販で構成する「大手5社会」が、2009年9月16日に「過払利息返還請求情報の登録」を求める要望書を金融庁へ提出。消費者金融業界のみならず、信販・クレジットカード業界も翌17日には追随する形で、信販・クレジットカード業界として同様の要望を行った。また、信用情報機関のJICCでは、要望書にとどまらず、過払利息返還請求情報の登録に関する会員アンケートも実施。会員の大半が登録削除を困ると回答したとの調査結果と「コード71は必要である」とする報告書も金融庁へ提出している。[3]
PT事務局会議は、「コード71」削除決定との報道がされた時点ではこの問題は扱っておらず、この唐突な決定に、次のように、会議のメンバーから異議が唱えられた。
(問)朝日新聞や日経新聞にコード71に係る記事が載っていたが、これは決定事項なのか。
(答:田村政務官)政務三役で決定した。
(問)簡単に決定して良いのか。もっと議論の場が必要だったのではないのか。浪川氏(報告書注:この日のヒアリング対象者である貸金業に詳しいジャーナリストの浪川攻)はコード71についてどのように考えるか。
(答:浪川氏)コード71については、更なる議論が必要であると考える。過払い金請求が爆発的に増加しないための抑止は必要であり、重要なことである。何が正しい、正しくないかは、何の価値観をもって判断するかで別れるが、少なくとも金融というもので判断すると、コード71が削除されると審査が非常に難しくなる。もっと慎重な議論が必要なのではないか。
(問)業界にとって生命線と言われている問題を、貸金業者と債務者の両方を見てこられている方の意見を聞かずに、何故急いで決めてしまうのか。
(答:田村政務官)この事務局会議は、貸金業法改正の運用に必要な見直しを検討することがテーマであり、コード71問題について、取り上げる予定はなかった。コード71問題については、事務局会議のような公開の場ではないが、関係者から十分に話を聞いた上で、政務三役で議論して決定したことである。[4]
「コード71」削除の決定については、次のような報道もある。
「どこで誰が決めたのかよくわからない」と一部の民主党議員からも不満の声が上がるコード71の廃止だが、とある官僚OBによれば、金融庁内でこんな一幕があったとされる。存続を主張する田村謙治政務官に対し、考えを決めあぐねていた大塚耕平副大臣は大臣室での話し合いを提案、最後は亀井静香金融担当大臣の一声で廃止が決まったという。
金融庁の三役には貸金業界に対する温度差があると言われる。警察庁出身の亀井大臣が冷淡あるいは無関心な一方、財務省出身の田村政務官は業界の役割に理解を示している。二人の間で日銀出身の大塚副大臣は中立的立場。他方、事務方は既定路線を変えないことに執心するばかり。こうした構図のもと、規制強化が惰性で進んでいるのが現状だ。[5]
PTの事務局会議では、関係者・有識者から広範なヒアリングを行い、貸金業の実態について透明性ある議論・調査が進んできた。そうした中、貸金業者の貸出態度にも大きく影響を与える「コード71」問題については、おそらくスケジュール都合を理由に、事務局会議で取り上げられずに政務三役限りの「密室の決定」がなされたのである。言わば、議論が紛糾しそうな急ぎのテーマは議論を避けたのである。
第4節 プロジェクトチーム座長試案の提示
事務局会議による13回に及ぶヒアリングを受け、3月3日に、PTの初会合が開かれた。PTは大塚副大臣を座長に、金融、消費者担当、法務の各省庁の副大臣、政務官で構成され、予定通り今年6月までに同法を完全施行する方針を確認した。[6]
その後、PTの会合が何回持たれ誰がどのような役割を果たしたかは明らかにされていないが、3月24日には、PTの座長である大塚が、見直しの試案を公表した。試案では、
@改正貸金業法については、法に定められた期限である2010年6月18日までに完全施行することが総合的観点から適切であると判断する、
A改正貸金業法の円滑な施行を図るため、「借り手の目線に立った10項目の方策」を重層的に推進していく、
とされている。
「借り手の目線に立った10項目の方策」としては、多重債務者が段階的に借入残高を減らせるように、支払総額は増えても返済期間を延長し月々の返済負担が少ないローン契約への借り換えを総量規制の例外とすることや、株式や不動産など資産の裏付けがある有担保ローンにはそもそも総量規制を適用しないこと等が盛り込まれた。[7]
しかし、この試案は、総量規制を実施しても「借り手の目線に立った10項目の方策」を設ければ健全な資金需要者への対応として充分かどうか、何らの検証もしていない。そのことは、記者会見での記者と大塚副大臣との以下のようなやりとりからもわかる。
(問)(試案中の借り手の目線に立った方策のうち)「総量規制の借入残高を段階的に減らしていくため」のと(いうところで)、ある程度、その返済を猶予し、借換えをして月々の返済額を減らして無理なく返せるようにするということだと思うのですけれども、これは、こうした対策が…。年収の3分の1を超える、要するに、総量規制の対象となって引っかかってしまう人たちにとって、これでかなり解消できるというか、有効な対策になるのですかね。
(答)それは、有効な対策にするように努力するということですので…。
(問)相当な借入金額があったりすると、多少の延長とか借換えで済むものなのかなと、ちょっと思ったのですが…。
(答)そこは個人個人の差がありますよね。例えば、事業者の方ですと、急激に落とすということはなかなか難しいでしょうけれども、個人の中には、遊興費に使っていらっしゃる方もいて、こういう方はライフスタイルががらっと変わればカウンセリングを受けていただくわけですから、それは割と短期間で解消できるかもしれませんし、あまり全体としての傾向は言いにくいなとは思っています。[8]
第5節 与党プロセス
貸金業法見直しについては、第五回与党政策会議(2009年12月2日)でPT設置が報告され、第六回与党政策会議(2010年1月22日)ではPTの活動状況について中間報告がされた。第六回会議の出席議員からは、貸金業法に関心ある議員の意見を聞く議論の場を作ってほしいとの要望が出された。[9] また、「コード71」削除の決定について疑義も呈されたようであるが、[10] 詳細な議事録が公表されておらず、どのようなやりとりがあったかは不明である。
第九回与党政策会議(4月2日)では、大塚が金融庁PTの座長試案を説明したが、それに対して意見を述べた8人の議員全員が規制実施には慎重を期すべきとの意見だった。[11] 4月13日に開かれた第十回政策会議でも、「利用者の資金繰りなど混乱が起きた場合に責任を問われる。参院選を考えるとタイミングが悪すぎる」として延期を求める声が相次ぎ、政策会議自体にも「全く声が反映されない」と批判が出された。[12] 民主党内でも金融庁PTの座長試案にはかなり異論が出る状況である。
また、PT座長試案公表後、1年近く停止されていた「多重債務者対策本部有識者会議」が、3月26日に再開された。座長試案について改めて有識者の意見を聞く趣旨だと思われるが、政務三役がどう扱うのかなど、有識者会議再開の目的は現段階(4月14日)では定かではない。今後は与党プロセスを経て、最終的な大臣判断を仰いだうえで、必要な内閣府令等の改定が行われる段取りである。
平成二十二(二〇一〇)年五月十五日
[1] 金融庁ホームページ中「活動について」の2009年11月13日田村政務官の記者会見記録より
http://www.fsa.go.jp/common/conference/parliamentary_secretary/2009b/20091113.html
[2] 「朝日新聞」2010年1月14日 ただし( )は報告者補
[3] 「週刊東洋経済」2009年11月2日号
[4] 金融庁ホームページから「金融庁の政策」中の「改正貸金業法・多重債務者対策について」の「貸金業制度に関するプロジェクトチーム 第九回事務局会議(2010年1月14日)の概要」より
http://www.fsa.go.jp/policy/kashikin/index.html
[5] 「FACTA」2010年4月号、p31
[6] 「日本経済新聞」2010年3月4日
[7] 金融庁ホームページ中「金融庁の政策」の「改正貸金業法・多重債務者対策について」より
http://www.fsa.go.jp/policy/kashikin/zatyousouan/20100324.pdf
[8] 金融庁ホームページ中「活動について」の2010年3月24日大塚副大臣の記者会見記録より
http://www.fsa.go.jp/common/conference/vice_minister/2010a/20100324.html
[9] 金融庁ホームページ中「活動について」の第6回「金融庁政策会議の概要」参照
http://www.fsa.go.jp/singi/seisaku/seisaku/gaiyou/20100122.html
[10] 金融庁ホームページ中「活動について」の2010年1月22日大塚副大臣の記者会見記録の冒頭参照
http://www.fsa.go.jp/common/conference/vice_minister/2010a/20100122.html
[11] 金融庁ホームページ中「活動について」の2010年4月2日大塚副大臣の記者会見記録より
http://www.fsa.go.jp/common/conference/vice_minister/2010a/20100402.html
[12] 「日本経済新聞」2010年4月14日