世論応答と専門知の相克―鳩山政権の金融行政をめぐって(第六回)
第2章 政策事案U.「改定貸金業法」施行前の「見直し」(承前)
第6節 小括
貸金業法見直しの政治過程は未だ完結してはいないが、現段階(2010年4月14日)まででは、以下のようなことが観察された。
1.この政策事案においても「政治主導」「脱官僚」の建前、形式は保たれていた。
見直しのPTは副大臣、政務官の与党政治家のみで構成され、政策会議を経て決定される仕組みは、中小企業金融円滑化法の時と同様である。
2.貸金業をめぐる審議会等は停止され、PT事務局会議がそれを代替した。
自民党政権時代、貸金業の問題は、「貸金業制度等についての懇談会」(2005年3月〜2006年8月)や「多重債務者対策本部有識者会議」(2007年1月〜 )において、利害関係者や有識者からの意見を聴取して中立的な専門知の立場から調査し意見具申することになっていた。しかし、民主党は、審議会等が「官僚主導の隠れ蓑」になっていたとして、政権に就いた直後に各省庁の審議会の大半を停止した。貸金業法見直しでは、それに代わり、PT事務局会議が広範なヒアリングを実施し、専門知確保の手段として機能し得ることを示した。ただ、これがPT座長試案や大臣の意思決定に反映されたのかは疑問である。もしこうした専門知が真剣に顧慮されないなら、事務局ヒアリングは、単にプロセスの透明化を装うための政務三役や大臣の「隠れ蓑」になってしまうのではないか。
また、PT座長試案を公表後、停止されていた「多重債務者対策本部有識者会議」を再開させたが、その狙いなどについては、現段階(4月14日)では定かではない。
3.結論は早々に亀井大臣が決定した。
亀井大臣は、早くから、「見直し」は運用でのみ行う方針を打ち出し、副大臣以下は、この「結論」を覆すことはできなかった。亀井は、改正貸金業法が2006年に国会の全会一致で成立した経緯にこだわり、連立している社民党の福島党首の意向にも配慮するなど、世論応答を優先した。警察庁出身の亀井にとって、貸金業者は世間を騒がす「悪」であったのかもしれない。
しかし、貸金業者への規制強化は亀井が重視する中小企業の資金需要を満たしにくくする。それについて亀井は、「政府系金融機関や民間金融機関がきちんと融資するのが基本。そういうところに行くべき人が高利のサラ金で借りている」と常々主張している。[1] 確かに「普通の金融機関が低利で貸せ」という主張は世論受けするが、誰がリスクに見合った費用を負担するのだろうか。リスクの高い人に低利で貸すという事業を手掛ける民間金融機関などない。NPOや公的金融で代替するならいくら税金が要るのか、亀井は何らの試算も示していない。「上限金利引き下げや総量規制導入を控え、消費者金融は急激に縮む。(中略)健全な借り手の受け皿も乏しくなる。その副作用がどう表れるか。不況下の社会実験」[2] である。
4.与党プロセスが不十分、不透明。
貸金業法見直しについて与党政策会議で諮られたのは、記録に残っているものに限れば、五回である。しかし初めの二回は単にPT事務局会議のヒアリングの進捗報告のみで、実質的に議論の場となったのは三回である。民主党内にも規制強化への慎重論が多かったようであるが、結局、与党のチェック機能は弱く、政務三役とりわけ大臣の実質的な権限が相対的に強いということが明らかになった。そのことがはらむ危険が露呈したのが「コード71」問題である。重要な個別課題について、与党内からさえ何ら意見を聞かずに政務三役限りで唐突に意思決定することも可能であることが示された。大塚の記者会見において、この危うさを次のように端的に指摘した記者もいる。
郵政もこれ(報告者注:貸金業法見直し)も、利害関係者が非常に多い話だと思うのですよね。それで、政治主導で決めるということなのですが、政策会議とか政務の会議の議事録もとられていないと。結局、どういうところで力学が働いてこういう見直しをするのか、郵政でもやるのかとか。審議会のやり方が良いとは思いませんが、情報公開を含めて、何らかの透明性を確保することをやらないと…。大塚さんとかは、貸金業界からお金を貰ったりということはあり得ないと思うのですが、実際、誰がどう判断して、どういう発言のもとに決定されたのかというのが、後から検証しようがないわけですよね。その透明性というのは、今後、民主党のやり方としてどうしていくのかというのは大きな課題になっていると思うのですけれども、どうお考えですか。[3]
5.金融庁官僚は、「中小企業金融円滑化法」の際と同様、政務三役に忠実に追随し、効率的に案件を成就させることに貢献した。
本事案で、亀井以下政務三役が総量規制等の負の影響をあまり考慮しない方向に傾こうとすることに反対して、金融庁官僚が積極的に「ご注進」をした形跡はない。世論応答の政治主導で実現した2006年の法改正の経緯を熟知していた官僚たちにとっては、予定通りの全面実施方針が覆ることは厄介であり、それを恐れたため粛々と政務三役に協力したのであろう。
6.専門知を配慮せず、「中小企業金融円滑化法」とも整合性のない政策になった。
PT事務局会議は、多重債務者問題を考慮しつつも、今回の規制強化で事業や生活にマイナスの影響がどれだけ出るかを精査することを目的に、13回に亘ってヒアリングを重ねた。その内容を見ると、貸金業協会、弁護士といった利害関係人の意見や陳述を除けば、理論や実証データでそうした影響を検証した貴重な意見として、大阪大学経済学部教授の筒井義郎教授と東京情報大学総合情報学部准教授の堂下浩氏のものが挙げられる。こうした専門知による検証によれば、総量規制や金利引き下げは必ずしも多重債務問題の解決にはならず、規制強化は収入が低い層への影響が大きいといった結果が示された。また、銀行や信用金庫が貸金業に代替すべきだとの亀井大臣や社民党からの意見に対しては、否定的な見解が専門家の間で共有されていた。例えば以下のような見解が参考になる。
<見解@>
行動経済学の観点から、基本的な規制の考え方として、多重債務に陥る可能性が低い合理的な借り手については、規制せず、自由に借入れを行えるようにすることが望ましい。他方、非合理的な借り手については、双曲割引(今のことばかり考える)と自信過剰(自分は取り立てにあうことはない)により過剰な借入れに陥りやすいことから、借入れを制限することが望ましい。しかし、双曲割引や衝動性を含めた借り手の質に関する情報を貸し手が把握していない場合には、上限金利規制は有効な手段ではない。(筒井氏)
<見解A>
資金需要者側へのアンケート及びインタビュー調査(07〜09毎年。サンプル14万人のうち消費者金融利用者等は約1.5万人)によると、上限金利の引き下げにより審査が厳格化され、収入が不安定な層への融資が引き締められている。収入の低い層ほど、希望通りに借りられなくなる対応を受けた割合が高い。(堂下氏)
<見解B>
銀行は、大衆から集めた大切な預金を原資にして融資をしているので、リスクの高い人たち、特にこれまで借入履歴が無い人には、なかなか貸しにくい。(慶応義塾大学教授の吉野直行氏)
銀行とノンバンクの境界は銀行の預貸率の設定による。銀行に無担保消費者向融資というリスクを負わせるということは、ある意味、そのコストを預金者が負う形になりかねない。銀行とノンバンクの境界線は一定のところで明確に引いて、ノンバンクに対して公的資金は入れないが、リスク融資は任せるというような棲み分けが必要。(堂下氏)
さらに、3年前の法改定時は、必ずしも冷静な議論が出来ていなかったことも、複数の識者が指摘している。例えば、
銀行が担いきれない金融リテール市場と、そこで与信ビジネスを行う適法な民間金融事業者に係る制度の在り方について、冷静な雰囲気の中で再度検討することが必要。前回の法改正の議論は冷静さに著しく欠け、行き過ぎた部分がある。(東京財団上席研究員の石川和男氏)
3年前の法改正に当たり、科学的に十分な検証が行われたかどうか非常に疑問。また、非常に楽観的な議論が支配的だった。(堂下氏)
不断のデータ収集と、その見直しが必要。この分野での計量的な分析が進められるように、さまざまなデータを整備し、実証研究が行なえるようになり、実証研究の成果が政策の改善へつなげられるようにすべき。3年前の貸金業懇談会では失敗事例がほとんどだったが、成功事例(スタートアップ企業など)と失敗事例の両方を見る必要がある。さらに、データは、大手と中小の消費者金融を分けて見る必要があるし、供給側・利用者・市場の3つの視点から見る必要がある。(吉野氏)
といった見解が示された。
これら専門知による検証を踏まえれば、今回の見直しの結論は「規制強化実施の延期」となるべきであり、少なくとも2006年11月に当時の民主党が提示した「貸金業制度改革案」のようにするのが妥当だったのではないか。その民主党の改革案は次の通りである。
「借手により収入だけでなく財産の状況も異なるため、収入金額による一律の量的規制には大きな効果がないと考える。そこで、より柔軟に個々の事情を勘案して対応できるカウンセリング体制の整備を第一義とし、量的規制については、その整備までの過渡的な時限措置とする。」
弁護士らは、多重債務者問題は貸金業者の高金利や過剰貸し付けや不法な取り立てに原因があるとして、次の報道のように、規制強化の早期全面実施を訴えている。
「高利の貸金業者はさっさと市場から退場させるべき。借金で苦しんで自殺する人をなくすのが政治の責任だ」。今月12日、衆議院第一議員会館で開かれた緊急集会。多重債務問題に長年取り組んでいる宇都宮健児弁護士は、貸金業法を早期に全面施行するよう呼び掛けた。[4]
貸金業者の「悪行」に対しては行為規制を強化するのは当然である。しかし、「悪行」を憎むあまりの極端な判例の尊重や極端な規制の強化は、貸金業を利用している善意の借入人の利益を大きく損なうことに注意を払わなければならない。総量規制と金利引き下げについては、現場からも、「借りて不幸になっている人」の立場だけではなく、「借りられなくなって不幸になる人」の立場も考慮すべきだとの主張は多い。例えば、次のような報告がある。
ある国民生活アドヴァイザーは次のように憤る。「…一部の悪徳業者の横行に規制をかける目的だったはずなのに、まともな業者まで(金利規制と総量規制で)縛り付けられてしまい、その煽りを消費者が受けています。こうした側面をマスコミはほとんど報道しません。(中略)取り立てに追われる多重債務者と違って、借りられなくなった人たちは『自分たちが消費者金融から借金している』とは明らかにしたがらないため、マスコミにあまり登場しません。今、個人事業主が短期の資金調達に貸金業者を利用していることが多い。金利が低い銀行は書類審査が厳しくてなかなか借りられないからです。法改定で救済されたのは、返済する気のない多重債務者だけ。返済意思のある多くの低所得者は生活資金すら借りられなくなっています。」[5]
こうした声は、金融庁が行った個人事業主からの意見聴取でも聞かれた。すなわち、「個人事業主らは、材料などの仕入れと顧客からの入金の時間差を埋めるための短期資金の借り入れを貸金業者に頼っていたが、規制の強化で借りにくくなったと説明。これまでのように貸金業者が資金需要に迅速に対応できるようにしてほしいなどと訴えた。(中略)造園業を営む男性は『短期のつなぎ資金なので金利が高くても負担を感じることはない』などと説明。銀行や政府系金融機関が短期資金の融資に消極的だったり、融資の実行までに時間がかかるため、貸金業者から融資を受けていたなどと話した。」[6]
弁護士らのような社会的義憤や怒りの感情をそのまま制度、政策に乗せてしまうようなタイプの世論応答政治は、成熟した民主政治とは言えまい。一歩引き下がり、声なき声にも耳を傾けて「本当にこれでいいのか」と人々に冷静に熟慮させるが人間の「知性」の働きであり、冷静な「専門知」に裏打ちされた判断が尊重されるのが成熟した民主政治であろう。今回の貸金業法改定に伴う「見直し」は、2006年の法改正当時の世論の社会的義憤をそのまま乗せ「熱くなった」制度を冷静に見直す恰好の契機だった。13回に亘るPT事務局会議での子細で広範なヒアリングによって、外部「専門知」からの検証がなされたように、総量規制の実施は延期ないし凍結すべきだった。しかし、ここでは政治に専門知が活かされなかった。政府の結論(例外措置を設ける)は効果不明な中途半端なものと言わざるを得ない。しかも「コード71」削除のように、政務三役による「密室」での決定といった不透明なプロセスもあった。
先に「中小企業金融円滑化法」を主導した亀井大臣は、今回は資金需要ある中小企業者に対して矛盾した政策判断を示した。この矛盾した政策判断は、亀井の金融行政を扱う責任者としての資質に疑問符を付きつけるとともに、「中小企業金融円滑化法」主導の目的が、亀井自身が言う中小企業への思いやりではなく、単に選挙目当ての演出であったことの証左ともなろう。
また、「中小企業金融円滑化法」制定過程では、大臣の「衝撃発言」から始まった案件を自らの専門知と官僚機構の経験・知識を活かしながら、大臣の意図をも汲みつつ現実的な落とし所に着地させた大塚副大臣も、ここでは、外部の専門知を活かして経済合理的判断へと大臣を誘導することなく、政策矛盾をきたしている大臣に従順に従い、民主党が自ら示した案よりも後退した世論応答的結論を容認した。
貸金業法見直しは、現政権での政務三役とりわけ大臣の実質的な権限の強さ(与党や官僚機構からの牽制の効きにくさに加え、専門知の注入の困難化)が、経済合理性を無視して矛盾した個別政策を生みやすくする可能性を示唆する事案である。
平成二十二(二〇一〇)年五月十五日
[1] 例えば、金融庁ホームページ中「活動について」の2009年12月17日亀井大臣の記者会見記録(雑誌・フリーの記者向け)の後半での週刊ダイヤモンド記者への回答を参照
http://www.fsa.go.jp/common/conference/minister/2009b/20091217-2.html
[2] 「朝日新聞」2009年12月23日
[3] 金融庁ホームページ中「活動について」の2010年3月24日大塚副大臣の記者会見記録より
http://www.fsa.go.jp/common/conference/vice_minister/2010a/20100324.html
[4] 「日本経済新聞」2009年11月23日
[5] 小泉深「貸金業者の過剰取り立てを報道したマスコミは、なぜ『借りられない』消費者の苦しみを伝えないのか」〜「SAPIO」2010年3月10日号所収。ただし( )は報告者補
[6] 「日本経済新聞」2010年2月19日