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ドストエフスキー読書日誌から「序」

 

還暦を過ぎてからドストエフスキーにはまり込み、彼の主要作品を二年ほどかけて読破した。ドストエフスキーの小説は、どれも筋立ては複雑で読み進めるのは容易ではないが、辛抱強く読むと、読者をひきつける様々な工夫が凝らされて推理小説のようなスリルに満ちている。

 

しかしドストエフスキーが書いたのは、もちろん、推理小説ではない。彼の真骨頂はその人間観察、人間描写にある。どんな人間にも天使と悪魔が同時に潜んでいることを、ドストエフスキーほど痛烈に痛切に私たちに悟らせる作家はいない。「悪霊」の主人公スタヴローギンのような悪魔的ニヒリストが、人を虜にしてやまない端麗な容姿と並外れた西欧的教養を持ち、しかも自身のニヒリズムに耐えられずに信仰告白をしにチホン僧正を訪ねるのだ。

 

私の専門分野と関連させて言えば、伝統的経済学の「経済合理的人間」像はもちろんのこと、伝統的経済学の「非現実性」を批判して登場した行動経済学の「非合理的行動にも走る人間」像なども、ドストエフスキーの描く人間の真実から見ると、人間性のほんの表層を描くことすらできていない。恐らく、 経済学その他の社会科学や医学、心理学などがドストエフスキーの人間観察に追い付くには、あと百年はかかるだろう。

 

私たちはドストエフスキーから「人間とは何か」を学ぶことができる。そして「汝自身を知る」こともできる。あらゆる優れた古典がそうであるように、ドストエフスキーの作品もまた、真摯に向き合う読者自身の生き方を鋭く照射するのである。

 

 最良の人間学の教科書、ドストエフスキーの主要作品を紹介しながら、私の感じたところを述べてみたい。

令和二(二〇二〇)年五月七日