ドストエフスキー読書日誌から「貧しき人々」
【あらすじ】
五十歳ばかりになる小心で善良な貧しい小役人マカールは、世間からは侮蔑の目で見られているが、遠縁にあたる孤児(みなしご)の少女ワルワーラの不幸な境遇に心から同情して、あれこれと助力の手を差し伸べることを生き甲斐にしている。自分の衣服を売ったり、給料を前借りしてまで尽くすその懸命さに、ワルワーラは深く感謝しつつも戸惑いすら覚える。二人は互いの境遇を嘆いたり励ましあったりと、親密に手紙のやりとりをする。
しかし、やがてワルワーラは、金持ちの地主のもとへ嫁ぐことになる。マカールは突然の知らせに動揺し、ひとり取り残される寂しさを思って苦しむ。物語の最後は、ワルワーラへの彼の悲痛な叫びを記した手紙で閉じられている、「…ああ、わたしの可愛い人、わたしの懐かしい人、わたしの愛しい人!」と。(木村浩・訳(新潮文庫)による)
* * *
「貧しき人々」は、ドストエフスキーの処女作で、彼は、ここでは、都会の吹き溜まりに住む人々の貧困、卑屈、孤独を活写しつつも、彼らの人間としての自負心をも拾い出そうとする。若きドストエフスキーは、この作品を、涙を流しながら書いたと言われている。ここには後年のような鋭利で屈折した人間観は現れず、作品は率直な人間愛、貧しき人々への深い同情に満ちている。小川榮太郎[1]氏は、この作品について次のように述べる:−
『貧しき人々』に底流にしているのは、若い日にシラーを熱愛し…(中略)…た文学青年の、人間への信頼である。嫌人も皮肉も最醜人間の自覚もない。神経症も近代知識人の自意識の悪あがきもない。…(中略)…ドストエフスキーがペトラシェフスキー事件[2]に巻き込まれず、尋常な人生を歩んでいたら、彼は、『貧しき人々』と『分身』の間で、人間性の実験をするだけに終わったかもしれない。[3]
一方、鋭利な人間観察眼を持つ松原正[4]氏は、「貧しき人々」と「地下室の手記」を例に、ドストエフスキーを読む上で重要な点について次のように述べている。
なるほど、マカールの自己滅却的な善意は美しい。けれども実はマカールは、ワルワーラを手放したくなかったのである。さういふ自分の心の奥底を覗かずに、愛する他人の幸せのためにはどんな事でもしてやりたい、その結果相手が幸せになれれば自分も嬉しい、さう思ひ込まうとするマカールは感動的である。そして、マカール的なこの種の善意の美しさには、いかな擦れっ枯らしも感動する。なぜなら、どんな悪党でもどこかにマカールのやうな一面を持ってゐるからである。それはつまり、人間は性悪説で押し通せるほど強くはないという事なのだ。
…(中略)…けれども、ドストエフスキーは人間の善意を思ひ、涙を流しながら、この手の甘美な作品ばかりを書き続けた作家ではない。フローベールと同様にドストエフスキーも、『人間性の両端』を往復した(人間性には善と悪との両極端が存在することを自覚し、そのどちらも描く)作家であった。それを理解するために、吾々は『地下生活者の手記』を読まなければならない。[5] (( )内は近藤補)
この松原氏の解説から、私は二つのことに気づかされた。一つは、薄幸な少女ワーレンカに善意を尽くすマカールの無私の裏側にさえ、ワーレンカを自分の手元に置いておきたいという欲望や嫁いでゆくことへの嫉妬が潜んでいるということだ。若きドストエフスキーがそこまで(マカールの内にさえ「悪」が潜んでいると)描き込もうとしたのか、それともそれは深読みし過ぎで、若きドストエフスキーは、まだ純粋に「地上の愛」を信頼していたのだろうか。
もう一つは、ドストエフスキーも人間性の両端(極端な善と極端な悪)を示し、それを通じて読者に人間のありのままの姿を痛切に感じさせる作家であるという点だ。私たちにとって、ドストエフスキーの作品を知ることは、人間性の真実に近づくための最良のテキストである。そこで次に、松原氏の導きに従って、人間性の両端のもう一つの端(極端な悪)を描いた「地下室の手記」(翻訳によっては「地下生活者の手記」と題されることもある)を読んでみよう。
令和二(二〇二〇)年五月七日
[1] 小川榮太郎(昭和四十二(一九六七)年― )は、文藝評論家、一般社団法人日本平和学研究所理事長。大阪大学文学部美学科(音楽学専攻)、埼玉大学大学院修士課程修了。専門は近代日本文學、十九世紀ドイツ音楽。SNSを通じて、政治の動向や時事問題に対してぶれない正論を訴えるのみならず、実際の政治にも潔くコミットしている。現存の知識人の中では、唯一の小林秀雄、福田恆存の系譜に連なる存在として私も敬愛している。主要著書に『フルトヴェングラーとカラヤン――クラシック音楽に未来はあるのか』啓文社書房(二〇一九年)、『徹底検証「森友・加計事件」――朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』月刊HANADA双書(二〇一七年)、『小林秀雄の後の二十一章』幻冬舎(二〇一五年)など。
[2] ドストエフスキーは、一八四七年春ごろから社会主義の思想家ペトラシェフスキーのサークルに参加した。そのためロシア官憲に逮捕され、銃殺刑の判決を受けた。しかし「恩赦」によって、四年間、シベリアの監獄に収容され、その後さらに五年間兵役に従事させられた。
[3] 小川榮太郎『小林秀雄の後の二十一章』幻冬舎、一四五頁
[4] 松原正(昭和四(一九二九)年―平成二十八(二〇一六)年)は、早稲田大学名誉教授、評論家、劇作家。早稲田大学卒業、出版社勤務、高校勤務を經て、早稲田大学文学部教授となる。もともとは英米演劇を專門とし、飜譯家、戲曲家、演出家として活躍。一九八〇年代以降は評論を執筆。一貫して日本の近代化、西欧化の問題を採り上げ、現代日本人の生き方を根本から問う鋭利な考察に特徴がある。小林秀雄、福田恆存の系譜に連なる人である。既成論壇からはみ出した存在だったが、一切の妥協なく本質的な議論だけを徹底的に行う姿勢は潔く、少数だが熱心な読者を持つ。私もその一人。主要著書に、『人間通になる読書術――賢者の毒を飲め、愚者の蜜を吐け』徳間書店(一九八二年)、『戰争は無くならない』地球社(一九八四年)、『夏目漱石〈上卷〉』地球社(一九九五年)、『夏目漱石〈中卷〉』地球社(一九九九年)などがある。また圭書房より『松原正全集』が刊行中であり、第一巻から第三巻が既刊。
[5] 『松原正全集 第一巻 この世が舞台(増補版)』圭書房、九一頁