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日米開戦不可ナリ

 

 NHK特集「日米開戦不可ナリ」を見る。日本の運命について考えさせられる内容だった。当時のストックホルム駐在武官である小野寺信大佐は、同盟国ドイツがイギリスではなくソ連へ侵攻する意図を持っていること、そのドイツの対ソ連戦の戦局が不利な状況にあること等の正しい情報を得、日本の大戦参戦不可を三十回も日本へ打電していた。小野寺大佐はその情報を、かくまっていたポーランド愛国主義者ぺーター・イワノフから得ていた。小野寺大佐は、イワノフからの情報によって当時の欧州の戦局を正確に掴み、本国に、ドイツ側からの情報だけに頼るのは危険であると、何度も警告した。しかし、日本の大本営は小野寺情報を信用せず、ヒトラーに惚れ込んでいた大島浩ドイツ大使のベルリン発情報ばかり採用し、ついに日米開戦に踏み切る(なお、小野寺氏、イワノフ氏は二人とも現在も存命という。イワノフ氏は、大戦中、祖国のために心骨を砕いて働いたのに、ポーランドの共産化のためについに祖国に帰れず、アメリカに帰化した。なんと数奇な運命に翻弄された人生であろう!)。

 大日本帝国の中枢部は、かつての日露戦争の時とは異なり、正しい情報を冷静に選び取る能力を喪失していた。ドイツがイギリスと戦端を開くことにより、イギリスは戦力を太平洋から落とさざるを得ないとの見込みのもと、日ソ中立条約を締結し、後顧の憂いを無くして日米開戦に踏み切る、というのが、松岡洋右ら当時の帝国首脳たちの描いたシナリオだった。しかし、ドイツがソ連に侵攻したことでシナリオは狂い、しかもドイツはソ連に苦戦していた。こんな状況でアメリカとの戦争に踏み切るなど、日露戦争当時の指導者たちなら考えもしなかっただろう。

 さらに太平洋戦争末期の昭和二〇年二月、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの米英ソ三首脳によるヤルタ会談で、ソ連の対日参戦が密約されていた情報をイワノフから得た小野寺は、ただちに戦争を終結すべしとの打電をしつつ、スウェーデン王を介しての和平工作を独断で試みる。しかしまたしても大本営はこの情報を無視。この結果、シベリアに送られた三〇万人の日本兵と、大陸に居た一〇〇万人もの日本の民間人が、帰国に塗炭の苦しみを味わい、残留孤児のような悲劇をも生んでしまった。

 狂気が支配的だった当時の日本にあって、ムードに流されない正確な情報把握をしていた武官がいたことには救われる気持ちだった。しかし、それにも拘らず、冷静な状況判断ができなかった指導者たちの責任は重い。戦争責任と言う時、アジア諸国に迷惑をかけたということよりも、まず、敗戦によって多数の日本国民に犠牲を強いた「敗戦責任」が問われるべきだと思う。戦は勝たねばならず、敗将は敗れた責任をとる―これが古今東西の武人の掟である。

 何事であれ、リーダーは、「よく努力した」とか「その時のベストを尽くした」だけでは済まされない。彼らは常に、結果に責任をとるべき存在でなければならない。

(一九八五年一二月八日)