ストラトフォード・アポン・エイヴォンにて ロンドンから三時間ほどのシェークスピアの故郷は、一六世紀の骨組みをそのまま残す彼の生家や子孫の家を中心に、木骨造りの家並みが美しい町だった。英国にしてはめずらしく夏らしい気候に、ジャケットを脱いで町を散策した。 ストラトフォード・アポン・エイヴォンは中世の面影を残す観光地であるが、特に「観光地」然としていないところが良い。美しい公園も、観光地というより、地元市民の憩いの場である自然さがかえって心安らぐ。シェークスピアの簡素な墓地があるホーリー・トリニティ教会には日本語案内があったが、これも地元の発案というより、大のお得意さんである日本の旅行会社から是非日本語案内を、と言われて設置しただけだろう。 それにしても、日本語案内を設置させるほど大勢の日本人がこんな小さな町まで来ているとは驚いた。豊かになるとは何と素晴らしいことか!
天気もいいので遊覧船に乗った。切符売り場に、鼻の頭に汗をかきつつ一生懸命切符をさばいている中学生の少年がいた。聞けば、初めてのアルバイトでまだ間もないんです、と、少し照れながら答えた。初めて経験する「労働」に対する、初々しく敬謙な気持ちが素直に出ていて好感が持てた。ここに来るのにロンドンから乗った英国国鉄で、この少年と同世代と思われる三人組の少年を見かけた。服装は乱れ、自分の未来に何の希望もないような灰色の瞳をしてコーラを飲み、乱暴な言葉で何か話していた。どちらの少年が英国の現状を象徴しているのだろうか?或いはどちらも英国の姿なのだろうか?
英国はゆっくりと衰退してきた。一九世紀が彼らの栄光の時代であり、アヘン戦争やユダヤ人とアラブ人への二枚舌など、後世から非難されるべきことも随分やってきたが、今現在は、十分な蓄財を背景に、そのゆっくりした「老い方」は美しい方かも知れない。日本が今後、美しい老いのための国家戦略を考える上で、英国の老い方は参考になろう。また、英国は老いたりといえども、まだまだ国際社会での発言力は大きい。幸い日本と英国の間にはさしたる懸案事項もない。「新・日英同盟」でも結んで、特にソ連崩壊後やや傲慢になりつつある米国に対する牽制を図ってはどうだろうか。
(一九九二年八月)