管楽合奏の愉悦
パリ・シャンゼリゼ管楽合奏団の演奏会のために、昨年新設された東京オペラシティ・リサイタルホールへ出かけた。
はじめの「セビリアの理髪師」序曲(原曲ロッシーニ、管楽八重奏版)を聞いただけで至福の気分を味わわせてもらった。何と心楽しい曲の心楽しい合奏! 居ながらにしてロッシーニのオペラの愉悦の世界へ入って行ける。こういう演奏を聞くと、大袈裟でなく、ほんとに生きていてよかったと思う。
僕は、この合奏団でリーダーを勤めている、僕と同世代のマルセル・ポンセールというオーボエ奏者が大好きだ。顔からして古い人形のようで、いかにもバロックオーボエ奏者にふさわしい。彼はまた、柘植の木からオーボエを制作する楽器職人でもある。
十八世紀までの演奏家は、自分で楽器を制作したり、調律したりできた人たちだった。大バッハはオルガンの構造や調律にたいへん詳しい人であったし、モーツアルトも各種フォルテピアノの性能についてコメントしているし、クレメンティに至っては、最後は音楽家からピアノ製造業者に転身してしまった。十九世紀が進むにつれ、作曲家と演奏家、演奏家と楽器製作者は次第に分業化してゆき、個人の役割が細分化してゆく。その過程で作曲家や演奏家は次第に自意識過剰な「芸術家」に変貌することになる。
十八世紀的な職人気質には抽象的な私情が入り込む余地はなく、楽器とその性能を知悉して曲そのものに専念できる。その意味で僕は、ポンセールのような演奏家には安心感を覚える。
さて、プログラムはその後、ハイドンのオックスフォード・シンフォニーの管楽八重奏編曲版、ベートーヴェンの八重奏(作品一〇三)と続き、最後はモーツアルトのハ短調のセレナード(K三八八)。演奏としてはやや「あっさり系」だったが、アンサンブルの見事さで十分楽しめた。アンコールの「雪の降る街を」はお愛嬌。でも何と素敵なお愛嬌だったこと!
(一九九八年一月二五日)