バッハからイエスへ
バッハの神髄は教会カンタータにある。彼の作品中最も膨大な量を占め、かつ、彼が生涯で一番力を注いだ大切なルーティンワークが教会カンタータの作曲であった。教会カンタータには、退屈なダ・カーポ形式の多用やら調性の不統一やら、現代の目からは、不合理に思われる作り方も多々見られる。しかし、我々が注意しなければならないのは、バッハのカンタータは実用音楽だったことだ。今日のように舞台の上で全曲を通して演奏されたわけではなく、教会行事や葬儀の中で細切れに使われた音楽なのである。音楽は、牧師の説教の内容を敷延して聴衆の理解を深めたり、葬儀の厳かな雰囲気を盛り上げるためのものであって、作品の中に独自の統一的な思想や哲学を織り込むことを求められたわけではなかった。
それでも、バッハのカンタータには、彼の信仰の誠実さに裏付けられた明らかな個性、独自性があり、晴朗な祝典的世界からストイックで峻厳な祈りの世界まで、非常に多様な世界を作り上げている。それは知られざる豊かな音楽の森である。
僕の教会カンタータ探求は未だ道半ばである。一九〇曲余りの一曲一曲の個性と内容が一〇〇%識別できるほど聴き込んでいるわけではない。とりあえず一通り聴いてみた、といった域を出ない。そんな未熟な経験ではあるが、現在僕の好きなカンタータをいくつか紹介したい。
BWV一「輝く曙の明星のいと美しきかな」の朝にふさわしい爽快さと清涼感はいつ聴いても素晴らしい。ホルンとオーボエ・ダ・カッチャの牧歌的な響きがこの曲の晴朗さを性格づけている。
BWV三〇「喜べ、贖われし群よ」は、世俗カンタータからの改作だが、いかにも祝典に使うのにふさわしい、華々しく心浮き立つ曲である。
BWV三六「喜び勇みて羽ばたき昇れ」の中のソプラノ・アリアは、僕の持っているアノンクール盤のCDではボーイ・ソプラノがソロを歌っており、その素朴で清らかな声は、泣けるほど胸に沁みる。
BWV五一「全地よ、神に向かいて歓呼せよ」は、トランペットを伴うソプラノ独唱のための曲。この曲を書いた時、バッハの周辺によほど優れたカストラート歌手がいたのだろう。イタリア風技巧を駆使したこの華やかな曲を、うまく歌い通せる歌手はそういるものではない。
BWV七九「主なる神は日なり盾なり」の冒頭合唱は、ホルンの力強いリトルネッロとティンパニの連打に伴われて、神への賛美と感謝を晴れやかに歌いあげている。
BWV八二「われは満ち足れり」は、バス独唱に寄り添ってオーボエが朗々と歌うさまが見事だ。バッハのカンタータにおけるオーボエ属の楽器の使い方は巧みである。バロックオーボエ奏者である北里孝浩氏は「オーボエ奏者にとって、バッハのカンタータの演奏は無比の喜びであると同時に、生涯の課題でもある。」とおっしゃっている。
BWV一〇〇「神なし給う業こそいと善けれ」の冒頭合唱はブランデンブルグ協奏曲の世界を思い出させる愉悦感に満ちている。バッハの大好きなロ短調で歌われるソプラノ・アリアと付随するフルート・ソロの妙技も聴きもの。
BWV一〇五「主よ、汝の下僕の裁きにかかずらい給うなかれ」は、最後の審判への恐れ、不安とそこからの解放を、絵画のように具象的に描いている。バッハの音楽は耳に甘くない。むしろ苦く厳しい。時には頑固でシニカルだ。この曲の冒頭合唱やソプラノ・アリアはそうしたバッハの一面をよく表わしている。苦悩の果てにこそ人は救いを見出し得るとの信念を持つバッハは、時に、喜ばしい歌詞にさえ心を絞めつけるような厳しい音楽をつける。
BWV一〇六「神の時こそいと良き時」は、バッハが二十代に書いたと推定される数少ない初期カンタータで、リコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバの純朴な響きが心に沁みる。また、不思議な物語性も有している。
BWV一三二「道を備え、大路を直くせよ」の冒頭ソプラノ・アリアは、救い主の来臨を象徴する音楽だが、この来臨は何と自信に満ちかつ穏やかな歩みだろう。こういう陽光を感じさせる音楽を書いた人は古今東西そういるものではない。この曲ではチェロを伴うバス・アリアやヴァイオリンを伴うアルト・アリアもすばらしい。
BWV一四〇「目覚めよ、と我らに呼ばわる物見らの声」では、テノール・アリアが有名だが、軽やかで浮き立つようなオーボエに先導されるソプラノとバスの二重唱も愉悦の極みで忘れがたい。
BWV一四九「喜びと勝利の歌声は」におけるソプラノ・アリアは、穏やかな弦楽の舞曲に乗ったまさに天使の歌である。こんな素朴でまじりけがなく、しかも精神を安らかにする音楽はそうあるまい。
BWV一八四「待ちこがれし喜びの光」は、全体にイエスの来臨を喜ぶ喜悦に満ちているが、特にソプラノとアルトの二重唱は、田園情緒の中での至福を感じさせる佳曲。
BWV一九九「我が心は血の海に漂う」は、罪におののく心がイエスの受難の意義を知ることで平安と歓喜に至る物語がソプラノ独唱で歌われる。見事なソプラノ独唱曲が並んでいるが、苦悩を克服した歓喜の感情が生き生きとしたジーグのリズムに乗った終曲は特に印象的である。
日本で、バッハの教会カンタータを全曲演奏しようとしている団体がある。鈴木雅明氏率いるオリジナル楽器の演奏団体、バッハ・コレギウム・ジャパンである。僕も何回か演奏会に出かけたが、大変レベルの高い演奏で、滋味溢れる音楽を作り出している。通奏低音でチェロを弾く鈴木秀美氏のほれぼれさせるような歯切れ良い音楽の運び。コンサート・ミストレスを務める若松夏美さんのヴァイオリンは、これぞバロックヴァイオリンと言いたくなる。きゃしゃな体を揺り動かしての演奏が表情豊かで、中世やバロック時代のジプシーバイオリン弾き(バイオリン演奏の原初の姿)の面影が偲ばれた。浜田芳道氏のリコーダーも吹きざまがとても潔くていい。そして何とデリケートで人間的な音色! 合唱もナチュラルヴォイスの清らかさに満ちている。このバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハ教会カンタータ・シリーズは万人に聴かれるべきである。
カンタータも含めて、バッハの音楽は、音符の数が多く、目の詰んだ織物の如く精緻に出来ている。これは同時代のいかなる作曲家にもない特徴である。しかし、時代は既に十八世紀であり(バッハは日本では八代将軍徳川吉宗と生没年が殆ど一緒だ)、世の中は啓蒙主義、合理主義思潮に染まっており、音楽も、バロック時代は過ぎ去り、ギャラント(優美)スタイルと称する、単純で分りやすいものが主流になりつつあった。バッハの音楽はその時代の中では、保守反動で特異な存在だった。ベルリンの宮廷でバッハ自身の演奏する「音楽の捧げもの」を聞いたフリードリヒ大王は、おそらく、滅びかかっている伝統の技、昔の対位法を保存している「人間国宝」を聞くような気持ちだったのではないだろうか。バッハと同時代人シャイベの有名なバッハ批判には確かに一理ある。曰く――
「この偉大な人物は、もし彼がもっと快さを身につけていて、ごてごてした入り組んだものによって曲から自然さを奪うのでなければ、また技巧の過剰によって曲の美を曇らせるのでなければ、すべての国民の感嘆の的となることだろう。」
しかしバッハの音楽は歴史に埋もれることなく十九世紀に復活した。バッハが復活したのはなぜか?
僕はその最大の要因は、バッハの骨太なプロテスタント信仰だと思う。その信仰生活と音楽活動が一体となった実直さ、訴えるものと音楽の形式が合一した充実感は、信仰の有無を超越して聴く者の心に訴える普遍性を持っている。礒山雅氏も「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」で述べておられるように、バッハの音楽は、ルター派プロテスタントの信仰がなくても心に訴えて来る音楽であり、向上心を持って真面目に生きている人すべてに勇気を与えてくれる存在である。バッハの音楽の普遍性が最も劇的に現れるのが、「マタイ受難曲」であろう。マタイ受難曲を聴くと、その詞と音楽によって、イエスの人間像が僕の目の前に浮かび上がってくる。香油をたらした女をかばうやさしさ。自分を裏切る運命にあるユダを「こんな人間は生まれないほうがよかったのだ」とまで言う激しい一面。さらに、ゲッセマネの園での意外なまでの人間的苦悩…。そして、十字架上の最後の言葉「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。この痛ましい最後の叫びについて、信仰の立場からは、イエスが詩篇の句を引用して自分の行為が旧約聖書の成就であることを最後の瞬間に明らかにしたものだ、との解釈が採られることがある。だがそんなこじつけをする必要はないだろう。人間イエスの苦悩の言葉、最後の叫びは、忘れがたく周囲の人々に強く伝承されたのである。その証拠に、比較的成立の古いマルコ伝、マタイ伝に記録されているこの言葉は、成立が新しくイエス神格化が著しいルカ伝、ヨハネ伝には存在しないのである。
古楽の精鋭が集ったレオンハルト盤マタイ受難曲でイエスを歌うエグモンドのバスは、かつての重厚で威厳に満ちた「どバス」ではなく、柔らかで優しく軽いバスである。この歌い方は、従来の威厳に満ちたイエス像とずいぶん異なるイメージを我々に与えるが、僕はこれこそが真実のイエスのイメージにふさわしいと思う。僕は、ルネサンスの画家たちが描く、最後の審判を下すマッチョ的イエス像に何とも高慢さを感じ、やりきれなく思う一方、中世の画家たちが描く痩せこけて頼りなげなイエス像に限りないシンパシーを抱く。イエスを育んだイスラエル北方のガリラヤ地方の風土は、石灰岩に覆われて渇ききったエルサレム周辺の風土(ここがまさにユダヤ教の故地である)とは異なり、ケシ、野菊、アザミなどの花が咲く豊かで優しい風土であった。ユダヤ教の一片の妥協も許さぬ厳しい律法の世界とイエスの人間的な教えの差は、こうした風土の違いからも来ている。イエスがたくましく肩怒らせた人であったはずはなく、ガリラヤ地方の訛りで訥々と語る、誰でも親しめる、限りなく優しい人であったと僕は信ずる。エグモンドの歌うイエスは、音楽においてそうした正しいイエス像が示されたものだと思う。
バッハのマタイ受難曲では、要所要所でコラール(讃美歌)がイエスへの呼びかけや共同体の信仰を複合的に表わして登場する。この清らかで簡潔な音楽が劇中現れると、僕はバッハの信仰の真実味を感じ、しばしば涙があふれてくる。バッハの信仰の篤実さが音楽に如実に出ているのは、ほかにも、イエス死後にバスが歌う第六十五曲「私の心よ、おのれを清めよ」がある。シチリアーノのリズムに乗って流れるこのさりげないアリアほど、バッハにとってイエスがいかに近しい存在だったかを示している音楽はない。
こうして、バッハのカンタータや受難曲を聴くうちに、僕は自然にヨハネ伝やマタイ伝自体、ひいては新約聖書自体へと辿り着く。僕にとっては、バッハが聖書への良き導き手だったのである。
新約聖書の最大の不思議は、あんな不忠な弟子たちが、なぜ、イエスの死後、布教活動に入ったのか、である。師を裏切ってイエスを金で売ったユダ、ゲッセマネでの弟子たちの居眠り、第一の弟子ペトロのイエスとの関係否認、受難の時に師を見捨てて逃げた弟子たち…。こんなにイエスを裏切り続けた彼らが、何故イエスの教えを広めようとしたのか?
しかも殉教者をたくさん出すほどの情熱を以って…。これについては、弟子たちがイエスの最期の様子を知って、まさにこの人は人類の罪を一切背負い給う救い主だと、その偉大さを初めて思い知って心の底から改悛したからだ、というのが、遠藤周作氏の解釈だ。しかし僕は、遠藤氏のこの「精神論」には今一つ説得されきれない。弟子たちの豹変ぶりの裏で、何か歴史上の隠された出来事があったのではないか?
そうでなければ、同じ人間がそんなに変われるわけがないと思う。一体弟子たちを生まれ変わらせた出来事とは何だったのだろう?恐らくパウロの果たした役割が大きかったのだろう。最初イエスの活動に反発していたパウロが回心して布教活動を行なったことが、後のキリスト教発展の基礎になっている。イエスの教説をユダヤ世界の枠から脱した世界的、普遍的なものに展開させたのがパウロである。彼の受けた宗教的啓示、イエスという触媒を通じての神からの啓示が、イエスの「復活」伝説として語られ、広められていったのではないか?
(一九九五年二月一四日)
バッハ(一六八五年〜一七五〇年)
「バッハとテレマン」の項参照。
イエス(紀元前四年?〜紀元三〇年?)
キリスト教の開祖。イスラエル北部ガリラヤ地方のナザレ出身。ユダヤ教の一派パリサイ人の偽善と戒律主義を批判、地上の権力や富のむなしさを説き、人類は全て神の前で平等であり、戒律によってではなく神の愛によって救われると説いた。首都エルサレムに入ると、ユダヤ教指導層の反発を買い、官憲に捕らえられ、十字架の刑に処された。
パウロ(紀元一世紀頃)
最初期キリスト教の伝道者。小アジア出身のユダヤ人で、ギリシア的教養の持ち主。ローマ市民権を持っていたので、ローマ帝国内を広く伝道することができた。皇帝ネロのキリスト者迫害により殺害されたともいう。
〈参考にした文献〉
塚本虎二訳「福音書」(岩波文庫)
遠藤周作「私のイエス」(ノンブック)
赤司道雄「聖書」(中公新書)
村松剛「教養としてのキリスト教」(講談社現代新書)
礒山雅「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」(東京書籍)
礒山雅「マタイ受難曲」(東京書籍)
〈参考にしたCD〉
バッハ「教会カンタータ全集」アノンクール、レオンハルト他(テルデック)
バッハ「マタイ受難曲」レオンハルト指揮ラ・プティットバンド他(独ハルモニアムンディ)