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「ドン・ジョヴァンニ」を見ましたか?―O君への手紙

 

 O君、司法試験合格おめでとう。卒業以来四年間の君の孤独と努力に心から敬意を表します。

 さて、これから君は修習生として勉強され、弁護士なり、裁判官なり、検察官なりの道を歩むわけですが、近年「裁判官の質の低下」が云々されていることは君もご存知のことと思います。「質」とは法律家としての能力に非ず。本来「大常識人」たるべき裁判官が、その苛酷な競争のために法律解釈学のみに青春を費やし、かつ、裁判所自体の悪しき官僚化のため保身的立身出世マシンと化してしまう結果、「世間常識」や「人情の機微」の欠如した、頭でっかちの「おとな子供」的裁判官を生み出していることが問題なのです。

 まさか音楽と山をこよなく愛する君が、そんな陥穽に陥ることはあり得ないわけですが、僕と同郷の司法学徒が勉強のしすぎで失明してしまう程苛酷な試験のこと、合格を機に「人間性回復」を図るのも良いことだと思います。尤も、僕がこんなことを言う前に、君はとっくにどこかの山でテント暮らしでもして英気を養っていることでしょうが…。

 

 さて、京都は百万遍の創業五〇年の我が古下宿へ君が訪ねて来たり、平安神宮近くの君の下宿へ僕が遊びに行った日々が懐かしく思い出されます。僕がようやく「クラシック音楽」に目覚め、毎日モーツァルトやドビュッシーを聴きかじっていた頃、既に成熟した感性と博該な知識を持った君の話は、刺激的で興味深いものでした。試験が終わって何か新しく見聞しましたか?

 去年暮にジョセフ・ロージー監督のオペラ映画「ドン・ジョヴァンニ」を見ました。楽しかった。モーツァルトの音楽を一音符も変えずに、しかも映像的効果をフルに生かした、よくできた映画だと思います。まだ見ていなければ、一見(一聴?)をお勧めします。指揮はマゼール、オケはパリ・オペラ座管弦楽団。

 それにしても、ドンナ・アンナやドン・オッターヴィオの歌う真面目で気高いアリアよりも、ツェルリーナやドンナ・エルヴィラの歌う「ぶってよマゼット」とか「あの恩知らずは約束を破って」というような人間臭い歌、或いはドン・ジョヴァンニの女たらしの歌の方が、どれほど人間的で魅力的なことか。ベートーヴェンがこのオペラのことを「恋愛の神聖さを侮辱したものだ」と批判したのは周知のことですが、音楽に道徳的薫陶を持ち込もうとしたこの作曲家の方が余程人間を侮辱しているように僕には思えます。

 歌手の中では、ツェルリーナ役のベルガンサが良かったです。コケットというよりやや艶めかしすぎる感じでしたが、さすがに恋人マゼットに歌いかける二曲のアリアは、何とも柔らかく暖かく魅惑的で、僕は涙を禁じ得ませんでした。しかし今思うと実に不思議な涙です。モーツァルトの音楽の美しさに感動したのか、ベルガンサの歌声に共鳴したのか、それともツェルリーナやマゼット、しいては人間というものが、悲しみも喜びもひっくるめて「健気に生きる姿」に涙したのか…。おそらくその全てだろうと思います。

 とにかく、安易なセンチメンタリズムの音楽にひっかかって「お涙頂戴」するのや、ポスト・ワグネリアンの得体の知れぬ「巨大音楽」に圧倒されてしまうのとは全然違う、モーツァルトの音楽でしか出会えない極めて人間的な感動であったと思います。

 例によってまた大演説になってしまいました。O君の苦笑が目に浮かぶようです。どうも歌手や演奏について「解説者」風に紹介するのは、僕の性に合わないようです。あとは実際に見てもらうこととして、このへんで切り上げさせてもらいます。

 

 またいつかお目にかかって、仕事のこと、音楽のことなど話し合ってみたいものです。体に気をつけて良き法律家を目指して努力されんことを祈ります。きょうはとりあえずお祝いまで。

(一九八四年二月某日)