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タレント評論家たちの虚ろな視線

 

 昨日、お茶の水駅前で、明治大学雄弁会(だったかな?)の学生が、日本の政治を考えるシンポジウムの案内を一生懸命呼びかけていた。その内容は断片的に聞いただけだが、決して右翼でも左翼でもなく、真摯に日本の政治改革を考えようというもので、好感が持てた。シニシズムや週刊誌受けを狙ったスキャンダリズムに訣別して、まじめに人の生き方や国のあり方を考えようとする姿勢だった。こういう若者が実は意外と多いのではないか?

 朝日TVの「サンデープロジェクト」で、金融機関つぶれろと喚いている朝日新聞の某編集委員や枡添某とかいった輩は、まさに無責任なスキャンダリズムの徒だ。自らは何のリスクもない安全圏の立場から、正義漢の面構えで金融機関を断罪し、視聴者の末梢神経を刺激する激越な言葉を発し、「恐いものみたさ」を掻き立て煽り立てることを業とするタレント評論家、大衆社会の申し子である。たとえ金融機関にバブルに乗じた経営の失敗があるにしても、対談の相手方である三和銀行の原田氏や富士銀行の高木氏の発言を高圧的に封じ、国民の冷静な判断力を奪いかねない一方的な指弾をすることは言論ファッショであり、言論人の自殺行為に等しい。この連中は、ヒトラーが現われれば真っ先にそのお先棒かつぎをする輩である。

 現に、彼らの発言しない時に見せる顔のひきつりや右顧左眄ぶりはどうだ。まともな責任ある発言をしていないという後ろめたさが、彼らのおどおどした視線と、一転して発言する時のやくざめいた脅迫口調によく現れている。つじつまがあったことを言っていないので、あんなしゃべり方をしないと不安で仕方ないのだ。

 塩野七生さんの「男たちへ」というエッセイの中に、インテリ男の魅力の無さの原因の一つは、社会に出てからまともな決断ひとつしていないことにある、というようなことが書かれているが、これはまさに彼らのことだ。

(一九九七年三月二三日)