次の文章へ進む
前の文章へ戻る
「古典派からのメッセージ」目次へ戻る
表紙へ戻る

 

三人のメッセージ

 

T

 

 東南アジア研究センターのI教授を囲んでの私的な勉強会に参加した。彼は誠実な希求者であった。フィールドワークを重視し(つまり現実をありのままに偏見なく観察する)、既成の概念にとらわれない(西洋の学説の翻訳や受け売りや解釈やその日本への適用を考えるだけにとどまらない独創性を発揮する)ことをモットーとする、京大らしい学問の系譜に連なる人だ。曰く――

「法律学者の社会認識はしばしば現実離れしてムチャなことがある。」

「インド、アフリカを除けば、後進国の将来はそんなに悲観したものではない。アジア各国は経済発展するのではないか。」

「会田雄次は才子だ。ただし、彼の著書は古典としてではなく、名エッセイとして読むべきもの。」

「学問とは、知識の量を増やすことではなく、直感を磨くことである。そのためには、まず、実際の対象を鋭く観察することが重要。」

「清水幾太郎は問題外。知的生産の技術などという本もマヤカシもので、すぐ忘れられるだろう。」

学生たちの質問に対するこうした率直な答えは、僕が物事を考えるヒントになってくれる。

 

U

 

 湖西線沿線をめぐり、敦賀へ旅行に行った帰りの電車で、青果問屋を経営している方に会った。彼は、かつて近衛師団の一員として中国で七年間戦い、間組の社長とも知り合いである。彼曰く――

「今の君くらいの年の頃、遊ばずに勉強しておけ。何でもやっておいて損はない。自分もほかの仲間が東京で浮かれている間に、様々な資格を取り、後で役に立った。」

 彼の顔には、若い頃を、そして人生の全ての時期を精一杯生きたという爽やかな充実感が溢れていた。心の持ちようを、この人のように明るく外に向けていたいものだと思った。

 

V

 

 京都は「歩きがいのある町」である。歩いていると思わぬ発見をすることがある。今日は、粉雪の降る中、四条河原町の駸々堂へ歩いて行ったが、その時、賀茂大橋から北を見た景色の美しさに驚いた。古い山層に属し、馬の背のように丸くなった山々。やさしさと繊細さに満ちた山々。そうした山々がほんのりと雪をいただいている姿…。晴れた暖かな日にDD五一の引く列車に乗ってあの丹波の山々を訪ねてみたいと思った。

 駸々堂で、法制審議会の委員を務めているU氏の「法廷うちそと」なる随筆をかじり読みした。法律家のものの見方、法律家の人間観というのはこんなものなのだろうか?人間に対する暗い諦念、シニカルな見方が目に付いた。例えば、彼の堕胎賛成論の根拠が「どうせ現代は母性喪失の利己主義がはびこる時代であるから、反対しても仕方があるまい」という調子であった。高所からの人間への軽侮、諦念、それらがもたらす文章の暗さ、陰鬱さを感じた。

 人間に対する悲観的な考えは、古今東西いくらでもあるし、僕は真の悲観主義の思想家たちの感受性の強さに深いシンパシーを持ってさえいる。しかし、U氏の陰鬱、悲観主義には、荘子のような権威への徹底した反発、挑戦もないし、兼好法師のようなウィットや文学性もない。漱石に見られる明治の気骨ある人士の凛とした覚悟も伝わって来ないし、キルケゴールのような透徹した自己凝視もない。また、E・バークのような現実主義のたくましさも感じられない。読む人の心を励ましも慰めもしない、あの陰鬱な随筆を書こうという心がどうもよくわからない。ああいう形でしか自己を表現できないのだろうか。

(一九七六年六月二一日)