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近況メモ(平成18[2006]年3月〜4月)

 

平成18(2006)年〜「薄氷も融け亀は甲羅干し」から「初夏の日差しを感じる朝」へ

 

3月5日(日)快晴

  先週東京は曇りや雨の日が多かったです。「春雨じゃ、濡れて参ろう」などとしゃれ込むにはまだ雨が冷たいですね。しかし昨日・土曜日は好天で、暖かさに誘われて我が家にほど近い武蔵台の雑木林や梅林を散策してみました。池の水もぬるみ、亀たちが思い切り首を伸ばして甲羅干ししたり、のんびりと泳いだりしていました。しばらく前まではまだ薄氷の張った池の底でじっとしていたので、亀たちも春を喜んでいるのでしょう。梅林にはいろいろな種類の梅が植えられていますが、まだ七分咲きといったところでしょうか。紅梅の方が白梅より先に咲いているようです。先週あたりから花粉症の症状もぼつぼつ出始めています。外出時には立体マスクを欠かせません。仕事で外出も多いのですが、先週はプライベートでも、火曜日に初台の東京オペラシティへベルリン・バロック・ゾリステンの演奏会に、土曜日は三鷹市公会堂へ「三鷹・弥生能」を見に、いずれも妻と出かけました。この季節、出かけて見たい催し物が多くて花粉症などと言っていられません。

    
武蔵野の面影を残す散歩道(1)        水ぬるむ頃。池の亀たちも日向ぼっこしたりのんびり泳いだり…       武蔵野の面影を残す散歩道(2)

    
武蔵台梅林にて。白い花(左)、紅い花(中)、中間の淡いピンクの花(右)と、梅花にもいろいろな色彩があるものですね。

 

3月19日(日)快晴、風強し

  今日は春のお彼岸、明後日は春分の日と、春色濃くなるこの頃です。ちょっと家の外を覗くと、お隣の家の庭の紅梅の花が見事に咲き誇っています。濃いピンク色が鮮烈で目に染みます。桜便りももうすぐです。さて、今年はじめの「近況メモ」に掲載した写真をご覧になったある方から、こんなメールをいただきました。

  「ご実家のお庭の赤い実と黄色い実の低木は、(私の実家にも同じ木があるのですが)センリョウではないでしょうか? 雪をかぶった赤い実の方は、葉の形がよく見えず自信はないのですが、ひょっとしたら、ピラカンサ(タチバナモドキ)では? 里に来る野鳥にも好き嫌いがあり、どの赤い実が美味しいのか気になるものですから、少々こだわりました。(^_^;」

  ありがとうございます。赤い実を付けた木を何でもナンテンにしてしまうようではいけませんね(^_^;。もっと自然に親しんで植物や鳥の名前を正確に知りたいものです。

  先週の週末は、家族三人で北陸旅行をしました。今回は、土曜日に富山県西部の町、高岡を観光してその夜は雨晴(あまはらし)海岸に一泊し、翌日曜日に金沢に入り、県立音楽堂で演奏会を見て帰りました(その演奏会の感想は「オーケストラと能の素晴らしき共演」と題して記しましたのでご覧ください)。さて、高岡という町は、一般的にはさほど観光地として名高いところではないようですが、古代には越中国の国府が置かれ、越中国分寺も建てられた歴史ある町です。大伴家持は五年ほど越中国司としてこの地で過ごし、万葉集に高岡近辺のことを歌った歌が二百首以上もあるそうです。戦国末期には加賀・前田家の領土に編入されますが、二代藩主利長の菩提を弔うためにこの地に建てられたのが、国宝・瑞龍寺です(写真左)。この寺の伽藍は規模が大きく姿も優美です。特に山門は見事なシンメトリー(左右対称)の美が印象的です。高岡は、金沢と同様に、大東亜戦争の際に空襲に遭わずに済んだため、古い町並みが何箇所か残っています。特に山町筋や金屋町のあたりは整備されていますが(写真中ふたつ)、それでも町並み整備がやや中途半端な感じが否めませんでした。もう少し手を入れて美観をレトロな感じに整えればもっと観光客を呼べるのではないかと思いました。

  さてこの日の夜は、高岡の北東、能登半島の東の付け根にある、雨晴(あまはらし)海岸で一泊しました(写真右)。雨晴の地名の由来は、兄頼朝に追われた源義経が奥州へ逃れる途中、この地で雨に遭った際に岩陰で晴れるのを待ったという伝説からだそうです。義経は安宅関を出てから能登半島をぐるりと回って日本海側を北上したことになっており、能登半島には数々の義経伝説が伝えられています。この雨晴海岸は、空気の澄んだ晴れた日には、海岸から直接立山連峰がそそり立っているような景色が見え、世界的にも珍しい景観だそうですが、この日はあいにくの雨模様でした。宿では、久々に、茹でた蟹(カニ)をはじめ、鰤(ブリ)や鯛(タイ)などの刺身や焼き魚などなど、美味しい日本海の海の幸を充分味わわせていただきました。小生は金沢に勤務していた頃、この高岡にも親しいお取引先がいくつかあり、毎週のように来ていましたが、ゆっくり観光する機会が無くて残念に思っていたので、今回家族でゆっくりと訪れてみようと思った次第です。

   
    瑞龍寺の山門       高岡・金屋町の格子造りの町並み  高岡・山町筋にある「菅野家住宅」  雨晴海岸。手前は氷見線の線路

 

3月25日(土)快晴

  春の気配がいよいよ濃くなってきました。近所の公園を散歩していると、コブシ(またはモクレン。小生には区別がわかりません。花が上を向いているのがモクレンでしょうか?)の白い花がいっせいに咲いて青空に照り映えています。桜のつぼみも膨らんで、一部は花が開いています。この季節、ゆっくりと散歩すると飽きが来ないほど発見がありますね。

           
咲き誇るコブシ(或いはモクレン)                        今年初めて見つけた桜の開花


  今週の火曜日(春分の日)に、千葉県の本八幡で開かれた「福田恆存を読む会」に初めて参加させていただきました(「福田恆存を探求す」もご参照ください)。この会は、毎回一作づつ福田恆存の作品を読み合わせて理解を深めることを目的とした、福田ファンの自発的な集いです。平成15(2003)年からほぼ毎月開かれており、この日も四人の参加者が熱心に議論を交わしました。今回取り上げられたのは福田恆存全集第五巻所収の「象徴を論ず」(初出は文藝春秋の昭和35(1960)年5月号)という文章です。折しも皇室典範の問題が話題になる中、私たちひとりひとりが皇室との関りを問われている今、福田が皇室をどのように考えていたのか、興味津々で読みました。

  福田の論点は三つほどあるように思います。まず、天皇の政治的位置づけ即ち憲法上の役割と、古代から続く文化的伝統としての天皇への国民感情は分けて考え、前者はできるだけ明確にすべきだという点です。現行憲法の「象徴」という天皇の位置づけは、政治的、法律的に極めて不明確であり、「元首」の方が政治上の性格・機能を明確に表わしていると述べています。曰く、「『象徴』といふものは無い。『元首』なら存在する。そして元首の性格も機能も歴史と共に変化する。その変化の要因を成すものは現実の政治であり、国民の政治意識である。」象徴などという政治的に不明確な言葉で天皇を憲法に位置づけると、戦前のような神格化や戦後のような皇室をスターやアイドルとして見る非人間化が起り、それらはいずれも「人間・天皇」と矛盾し、それを利用して政治権力を濫用する輩が出現しないとも限らないというわけです。小生はこの意見に賛成です。天皇は、政治的、法律的には、きちんと世界に通用する「元首」とすべきです。

  では二番目の論点として、私たちは文化的伝統としての皇室とどう向き合うべきなのでしょうか。福田恆存はまず公平に自分自身の皇室体験、天皇への気持ちを表明しています。彼は、戦前の皇室神聖化の環境で育っていますが、「語義通りの君主に対する尊崇の気持ちは自分には無い」とはっきり述べています。大人になると共に、自然に皇室尊崇の念も臣下としての実感も失ったのは、「あたかも子どもの中で父母が父母としての権威を失ってゆくやうな全く自然な過程だった」のです。これは素朴な貴種尊崇の念を持ち得ないインテリの一般的な実感ではないでしょうか。一方、福田は、「といって天皇を憎む気持ちなど露ほども生じなかった」とも述べ、日本史に自虐的な或いは正義感ぶった左翼的な知識人とは一線を画しています。福田恆存のスタンスがもっとも良く現れているのは、「人々は神といふ言葉を『神のごときもの』の意に理解し、そのやうに天皇に感情移入してゐるのだ」「大衆が天皇に日本の神を求めているならそれはそれでよいではないか。もちろん私自身はさういふ感情を持ってゐないが、さうかといって、それを持ってゐる人が間違っているとは思はない。その人たちが私の感情や言動に干渉して来ない限り、何の支障も起らない。また天皇に対する感情や考へが違ふからといって、それだけで疎隔の感を抱いたり、同胞感や友情を失ったりはしない。相手も同様であらう。なぜなら、お互ひにとって天皇は排他的な絶対神ヤーヴェではないからだ。」といった一節です。ここに福田の日本文化の寛容性に対する理解と深い意味でのヒューマニズムがあります。インテリは大衆の英雄崇拝や貴種尊崇の感情を軽蔑しがちですが、人間が劇的なものであり、私たちは平板な日常に耐えるために英雄や貴種の演じる「演劇」や「儀式」を必要としていることをよく理解している福田は、英雄崇拝や貴種尊崇を決して否定しません。彼は、国民一般に、皇室とこう向き合うべきだとかこう考えるべきだとは言いません。しかし国民の皇室への尊敬を認め、その感情を尊重するのです(なお、日本人の皇室への尊崇の伝統について、神話や古代律令国家の人倫的理想から説き起こし、明治に至るまでの変遷について分析したものに、和辻哲郎の「日本倫理思想史(上・下)」(岩波書店)があります。皇室への尊敬だけでなく日本の倫理の伝統について頭の整理をするのに役立ちます)。

  「象徴を論ず」の三つ目の論点は、貴族階級を失った戦後の天皇のあり方の不自然さへの疑問です。「天皇の、或いは一般に君主の、個人的性格は、貴族階級によって形づくられる。天皇は個人になり個人として生きる場所を、いはば私たちの社会を、貴族との交際のうちに見出す。」「かつて貴族階級に擁せられなかった君主といふものは無かった。現在君主国は二十七あって、(中略)おそらく貴族階級の無いところはほとんど無いであらう。」現在のように、周囲に語り合える人のいない、孤独な皇室のありかたに福田は疑問を呈していますが、小生にはこの指摘は新鮮でかつ首肯できるものでした。天皇が国民から隔絶してしまい、単にスターとして見られるのは、天皇の非人間化であり、一人の人間として語り合える階層を周囲に持たないのは不幸なことだと感じます。雅子妃のご病気もこうした孤独が背景にあるのではないでしょうか。小生はこれと関連して、「開かれた皇室」という議論にも疑問を感じます。今のマスコミ世論の品位があまりに低いからです。あの醜悪な週刊誌の世界に直接皇室を晒すようなことが賢明とはとても思えません。やはり選ばれた然るべき人たちとのコミュニティを形成する方が自然でしょう。また、仮に、皇位継承とからんで旧皇族の復帰が議論されるのであれば、それは、こうした健全な皇室コミュニティ形成の観点からも検討してはどうかと思いました。その際重要なのは、皇室の文化的伝統を考えるにあたってはあまり経済的なあれこれを気にすべきではないということです。カネがかかるから皇族を増やすな、といった俗論は廃すべきです。

  さて、福田恆存に導かれて、皇室についてあれこれ考えてみましたが、「福田恆存を読む会」では、このように、今に生きる自分自身や日本人全体の問題を考える上での思考軸として福田を勉強したいという思いで皆さんが参加していました。単に趣味的、オタク的な読書会ではないことが小生には大変刺激になりました。

 

4月1日(土)快晴

  きょうは旧暦弥生(3月)の4日、東京は桜満開の季節を迎えました。ちょうど入学式や入社式にも間に合って、見事に季節感を演出してくれます。朝、乗っていた通勤電車が国分寺の日立研究所の緑地前を通ると、何本か植えられた柳の若葉の瑞々しい新緑も目に飛び込んできました。

  さて、今週の日曜日、妻と、世田谷の上野毛にある五島美術館へ「よみがえる源氏物語絵巻」展を見に行きました。五島美術館は、東急電鉄の創始者・五島慶太(1882年〜1959年)が半生をかけて収集した日本と東洋の古美術品を材料に、昭和35(1960)年に開館した私設美術館です。今回の「よみがえる源氏物語絵巻」展は、名古屋の徳川美術館とこの五島美術館が所蔵する国宝「源氏物語絵巻」の復元模写が完成したのを記念して、その復元模写作品すべてを集め、過去の模写作品とともに展示する企画です。国宝「源氏物語絵巻」は12世紀の平安時代に描かれたもので、さすがに色彩の剥落が進んだため、過去何回か、12世紀当時の絵巻を復元しようという模写が試みられてきたのです。今回の「平成復元模写」の展示会では、源氏物語のストーリーの順序に沿って、原画を写真撮影した画、平成の復元画、昭和30年代の復元画が並べられ、それらを比較して見られるようになっており、とても親切な展示の仕方だと思いました。展示会もこの日が最終日とあって入場制限するほどの人手でした。

  現存する源氏物語絵巻は、もともとあった源氏五十四帖すべての絵が残っているわけではなく、その四分の一程度しか残っていませんが、現存する絵は、大切な人が死んでしまう場面やそれがほのめかされる場面を描いたものが多く、源氏物語がいかに人の命のはかなさに思いを致した物語であることかを改めて感じました。特に、「御法(みのり)」の巻から採った、やがて死にゆく運命の重い病の紫の上を見舞う光源氏の後姿を描いた絵を見ていて、小生は涙があふれそうになりました。薫と匂宮を主人公にした最後の宇治十帖の物語は光源氏時代より暗い雰囲気の基調で書かれているようですが、絵にもそうした翳りが感じられました。絵師は物語の情調の変化を鋭敏に捉えているのですね。

  平成の復元画はそれは見事な色彩です。それらの絵は、最新の科学技術も駆使して正確な復元を期して描かれたとのことで、まさに平安のきらびやかな王朝生活が甦ったような華やかさを感じさせてくれます。ですが、十二世紀に書かれた当時、この絵巻はこんな陰翳の少ない原色に彩どられていたのだろうか、と疑問に感じる面もありました。原画が持つ色彩感覚とは相当差があるのが気になりました。その点では、昭和の復元画の比較的くすんだ色彩は原画の色彩感覚に近く、個人的には好きになりました。三つの絵を並べてみると、色彩は剥落していても、やはり原画は生きて呼吸しているのが感じられます。筆遣いから絵師の感情移入が伝わってくるのです。

  さて、展示会場を後にして、美術館の庭園を散歩すると、この庭園がまた素晴らしいのです。武蔵野の雑木林の台地が多摩川に向って深く傾斜する場所にあり、庭園内には茶室も設えられています。この日はちょうど枝垂れ桜が満開でした。枝の白さと花の淡いピンクが溶け合って、極楽に咲く花とはこのことか、と思わせるような景色でした。上野毛駅から美術館までの町並みの静けさや家々の風格も好もしいものでした。帰りに、二子玉川の高島屋に入っている「金沢まいもん寿司」で昼食をとりました。この店は、金沢で小生が愛用していた寿司屋が東京に進出したもので、北陸の海の幸を使った寿司や、五郎島金時芋や加賀れんこんや金時草といった加賀野菜のてんぷらを堪能しました。貴重な絵巻を拝見し、庭園を散策し、美味しい寿司をいただいて、と、心豊かな日曜の午後を過ごすことができました。

   
「よみがえる源氏物語絵巻展」ポスター     五島美術館庭園の入り口      庭園に咲き誇る枝垂桜         庭園に咲き誇る枝垂桜

 

4月8日(土)晴れ一時大雨、風強し

  今日の東京は好天でしたが、黄砂の影響でしょうか、埃っぽい風が強く吹き、昼ごろには一時的に激しい雨も降りました。さて、先日、渋谷から新宿まで歩く機会がありました。渋谷・新宿間は歩いて30分ほどですが、渋谷から山手線の外側を北上する間の大半が明治神宮の参道を通ることになります。小生は今回初めて明治神宮に入ったのですが、その広大なのに驚きました。約70万u(東京ドーム15個分)の境内には、365種類・約10万本の木々が生え、約50種類の野鳥が住んでいるそうです。東京都心に、自分の足音と鳥のさえずりしか聞こえないような、こんな森閑とした場所が広がっているとは、小生にとっては新鮮な発見でした。森の中を歩いていると、心までもが日常の些事を吐き出して新鮮な空気を吸ったような晴れ晴れした気分になります。明治神宮は、明治天皇とその后、昭憲皇太后を祭った神社ですが、境内に掲げてあった明治天皇と昭憲皇太后の和歌のいくつかがとても清々しくて印象に残りました。例えば、昭憲皇太后の、

    繁りたる うばらからたち 払ひても 踏むべき道は 行くべかりけり

という歌は、いかなる困難があろうとも、踏むべき道、正しい道を行こうという趣旨の歌ですが、力強いメッセージが、自然描写の爽やかな調子に乗って私たちの心に素直に入ってくる歌だと思います。小生が本殿を参拝し参道を歩いていて気づいたのは、アジア系と思われる人たちも含めて外国人の多さです。静かで清々しく私たちの心を洗い流してくれるようなこの場所の良さを、在日の外国人もよくわかっているのですね。もっともっと日本人も訪ねるべきところだと思いました。


明治神宮(神社のホームページより)

 

  さて、今週の前半、東京の桜が満開の中、靖国神社で「夜桜能」が催されました。小生の職場から程近い靖国神社や千鳥が淵のあたりは桜の名所です。夜ともなれば、ライトアップされた夜桜を愛でに、大変な行列と花見の宴でごった返します。千鳥が淵に咲き誇る桜の群れを見ていた外人が「like snow!」と驚嘆の声を上げています。確かに重なり合うように咲いている桜の群れは、雪か雲かといった風情です。靖国神社の「夜桜能」は、神社の境内にある能舞台で毎年行われているもので、三夜に渡って宝生流と観世流の能が演じられます。小生が出向いた夜は、宝生流の日で、舞囃子「高砂」、狂言「入間川」、能「七人猩々」が演じられました。「高砂」の舞は、宝生流宗家のご子息、宝生和英(かずふさ)さんが舞われました。この方は、小生の娘と同じ昭和61年生まれ。東京芸大邦楽科に在学中です。若者らしくメリハリの効いたきびきびした舞姿です。狂言「入間川」は、言葉遊びの面白さとお人よしの大名の滑稽さが楽しいお話です。大名を、マルチ・タレントとして活躍中の野村萬斎さんが、これもきびきびとした調子で演じられました。能「七人猩々」は、百薬の長である酒の徳を称え、酒の大好きな珍獣、猩々の舞を見せるのが眼目の能「猩々」のヴァリエーションのひとつです。通常の「猩々」と違い、舞台正面に台と大きな酒壷が置かれ、また、猩々が六人(六匹?)の眷属(?)を引き連れて、にぎやかに登場します。同じ猩々の赤い面(おもて)をつけ、同じ赤系統の装束を身に着けた七人(七匹?)の猩々は、酒壷の周りに集まって酒を酌み交わし、相舞(あいまい=連れ立って同じ動きの舞を舞うこと)を舞います。春風駘蕩とした七匹の猩々の相舞は、桜の夜にふさわしい見物でした。シテは田崎隆三さんが勤められました。この「夜桜能」、見事な満開の桜の下で、幻想的な雰囲気の能舞台を拝見でき、この春一番の幸せを味わわせていただきました。

         
靖国神社で行われた「夜桜能」(能舞台)                  同左(客席の頭上の桜の木)

 

4月15日(土)曇り時々晴れ

  今週、東京は雨の日が多く、気温も低くて不順な天候でした。しかし、数少なかった好天の日に近所の雑木林を散策すると、季節の移り変わりを感じさせてくれるものにいろいろと出会います。木々の若葉、紫色の木蓮の花、山吹の群れなどなど・・・(写真をご覧ください)。先日はある方から、「明石海峡セット」という贈り物をいただきました。それは、明石浦の漁業協同組合から直送された「いかなご」のくぎ煮と、「明石蛸(だこ)」のやわらか煮の詰め合わせです。潮流や海底の砂などのおかげで、明石海峡では美味しい魚が獲れるそうです。「いかなご」はめだかほどの小魚ですが、それが佃煮のように煮てあります。炊き立てのご飯に乗せて食べると食が進みます。明石蛸は小型の蛸で、独特のこりこりした食感が特色です。これら明石浦の海の幸も、磯の春を強く感じさせてくれる食べ物でした。

  今週は、久しぶりに会社の同期(昭和55年入社)を集めて昼食会をやりました。30人ほどの同期のうち、既にわが社を離れている人が増え、彼らもそれぞれの世界で活躍しています。職業人人生も、ひとつの職場で完結させる必要は無く、二毛作で考えた方がいいのでしょうね。一方、体調を崩して入院し最近になって職場に復帰した人もあり、健康が大切なテーマになる世代になってきました。それぞれ境涯は異なっていても、同世代で同じ会社である時期一緒に働いた経験を共有する仲間というのは、いくつになっても懐かしいものです。

  
若葉萌え出づる武蔵野の雑木林         紫の木蓮(モクレン)が満開(武蔵国分尼寺跡にて)           風にそよぐ山吹(ヤマブキ)の群生

 

4月22日(土)晴れ

  今週はやや体調不良です。天候が変わりやすいこともあるのでしょう、何となく風邪気味でおなかの調子も不調です。皆さんもお気をつけください。さて、東京の桜はもう散り果ててすっかり若葉の季節ですが、まだ全国的には桜満開のところもあります。金沢もちょうど見ごろのようで、金沢の方からいただいた桜の風味のするお茶をいただきながら、昨年見た卯辰山の桜の風景を思い出したりしました。また、妻が、今週前半に、彼女の実家の両親と一緒に京都に花見に出かけました。送られてきたメールはこんな具合です。
「大覚寺の枝垂桜、仁和寺の御室桜が満開で丁度見ごろでした。天竜寺のお庭もすばらしかったです。渡月橋からみた嵐山は山桜の薄ピンク色と新緑のみどりが融合して浮かび上がり絵画的でした。生湯葉御膳をいただき京都の春を満喫しました。」
  京都にもまだ見ごろのところがあるようですね。ちょうど先週の土曜日に、水道橋の宝生能楽堂で開かれた五雲会で、能「嵐山」が演じられ、後シテの蔵王権現が、華やかで気品のある装束と面を着けた男女二神を伴って勇壮に舞う姿に、満開の嵐山が重なって見えたところだったので、妻たちが嵐山に出かけたのも何かの縁なのでしょう。

  昨日は、家族三人に妻の学生時代の先輩をひとりお誘いして、四人で、神楽坂の矢来能楽堂で催された「のうのう講座特別公演」に出かけました。一月に「巴」が演じられた時もこの会で出かけました(私の能楽メモ(二〇〇六年)の「見所も参加する親密な能」をご参照ください)が、この解説付きの能の企画は初心者の方にぴったりということもあり、前回行けなかった娘と能に興味をお持ちの妻の先輩を伴って出かけたものです。今回は「葵上」が演じられましたが、前回と同じように、まずこの日シテを演ずる観世喜正さんが曲について解説し、「葵上」の詞章の一部を観客にも謡ってもらい、着付けや面付けの実際を見せてくれます。そして休憩の後、能「葵上」が演じられました。今回は横川小聖のワキが少し優しすぎる印象でしたが、若手で固めた地謡や囃子方の演奏は大変充実しており、観世喜正さんのシテ(六条御息所の生霊)もドラマチックに御息所の心理の内面を表出されていて見応えがありました。

 

4月30日(日)晴れ

  先週、東京は雨降りの日が多く気温も低くて天候不順でしたが、きょう目覚めて外へ出てみると、久々に晴れてしかも日差しが夏の強い日差しになっていました。旧暦では一昨日から卯月(うづき=四月)に入り、今週火曜日は、夏も近づく「八十八夜」、土曜日は「立夏」。旧暦の季節感の鋭敏さ、確かさには驚かされます。我が家の庭では何年か前から毎年咲いている「しゃが」が今満開です。白に紫の混じった可憐な花です(写真左)。街路樹の「はなみずき」の木々が淡いピンクや白の花をつけ、道端には赤、ピンク、白と色とりどりの「つつじ」が目に眩しいほど咲き誇っています。あちこちの神社では間もなく初夏の祭礼が始まります。我が勤務先から神保町、西神田方面を歩いていると、三崎神社の例大祭を知らせる幟(のぼり)やポスターをあちこちで見かけます(写真中央二枚)。三崎神社は、江戸時代に参勤交代の大名たちが旅の無事を祈るために必ず詣でた神社だそうです。

  さる4月26日は小生の満50歳の誕生日でした。昨晩、国立(くにたち)の「夏の家(なつのや)」という昔の洋館を改造した少しおしゃれなお店に行き、家族で食事をして祝ってもらいました。天命を知るべき歳になりましたが、まだその境地に達しているとはとてもいえません。ただ、目の前の諸課題にも増して、世の中に中長期的に役に立つ仕事をしたいという気持ちがますます強くなってきている今日この頃です。この気持ちを突き詰めていって、自分の天命を知る(というより切り開く)ことができれば、と念じております。

  昨日の午後は、妻と金沢時代の藪先生のお弟子さんのひとり・Kさんと三人で、千駄ヶ谷にある国立能楽堂で、宝生流の能「加茂」と観世流の能「摂待(せったい)」を拝見しました。国立能楽堂へ行ったのは初めてでしたが、苔や木々を美しく配した中庭(写真右)や木材を基調にした簡素で清潔感にあふれた建物など、気持ちのいい空間でした。この感想を私の能楽メモ(二〇〇六年)に、「国立能楽堂での『加茂』と『摂待』」と題して記しましたので、ご覧ください。


       
我が家の庭の「しゃが」の花      道端の「つつじ」と夏祭りの幟(のぼり)   三崎神社の祭りのポスター           国立能楽堂の中庭

 

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