オーケストラと能の素晴らしき共演
さる三月一二日(日)、石川県立音楽堂で催されたオーケストラ・アンサンブル金沢(以下OEK)の演奏会に、家族三人で出かけました。この日は、モーツァルトの交響曲第三九番変ホ長調K五四三、セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ト長調K五二五、それにこの日初演の高橋裕さん作曲「オーケストラと能のための葵上」が演奏されました。はじめの変ホ長調交響曲の冒頭のオーケストラの全奏が鳴り響いた途端、そこには知情意が健全に調和した十八世紀の美的世界が現出します。僕はこうした知的で清冽なモーツァルトの世界をこよなく愛していますが、この曲はハイドン風のウィットにも事欠きません。例えば、第四楽章の主題の再現では、ハイドンがよくやるように、弦楽器にファゴットがかぶせられるのですが、こんな単純な仕掛けがかくも音楽に潤いと暖かさをもたらすことに僕は驚きました。
二曲目は、今さら「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でもなかろうと思うのですが、この日は大変なサービスが付いていました。第二楽章ロマンツェにあわせて、能の仕舞(天女の舞)が舞われたのです。この日はオーケストラの後方に一段と高い能舞台が設えられていたのですが、そこに小生の師匠、藪俊彦師が紋付袴姿で登場し優美に舞われたのです。能の仕舞がロマンツェの優美な旋律にぴったりと合うのです。中間部のややテンポが速まるところも、まるでモーツァルトが「天女の舞」としてこの曲を書いたかのように、ぴったりと合います。藪師は能の仕舞として特段変わったことをされたのではなく、基本的な型を組み合わせて天女の舞を舞われたのですが、それがモーツァルトの曲に合うのですから不思議です。能の面(おもて)の表情中立ということはよく言われますが、この天女の舞いを見ていて僕が気づいたのは、能の仕舞も基本的には表情中立だということです。大半の仕舞の型は、それ自体、特定の感情や情調を現しているものではなく、それが曲の内容、前後の脈絡、囃子や地謡の調子によって喜ばしげにも悲しげにも舞われるわけです。表情中立で洗練された仕舞だからこそ、西洋のオーケストラが寄り添って天女に化してしまうこともできるのでしょう。
それにしても、藪師の舞の何という柔かさ、しなやかさ、均衡感、息を呑む「間」の絶妙さでしょう! ちょうど本屋で娘が、下懸宝生流ワキ方能楽師の安田登さんが書いた「能に学ぶ身体技法」(ベースボールマガジン社)という本を見つけ、僕も読もうとしていたところなのですが、その中では、能の謡や仕舞が普段の生活で使わない「深層筋肉」を鍛えるのに役立ち、これがスポーツにも生かせるということが科学的に書かれているようなのです。本当に楽々と舞うことを楽しんでいるかのように見える藪師の舞姿にも、こうした身体技法が隠されているに違いありません。しかしここに至るには、師のどれほどの修練が積み重ねられていることでしょう。その修練の成せる美しき舞姿を見ているうちに僕は自然に涙があふれてきました。
さて、この日の呼び物は、高橋裕さんの新作「オーケストラと能のための葵上」です(この曲の材料となっている源氏物語「葵」と能「葵上」については、「源氏物語読書メモ(二〇〇五年)」の「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の悲しみ」をご参照ください)。この曲は、能ではなく、あくまでオーケストラと能のための現代音楽ないし現代声楽曲です。能「葵上」は、源氏物語を敷衍した詞章の深さから言えば前場の方にむしろ重みがある曲だと思いますが、高橋裕さんのこの曲では、前場の六条御息所の苦しみの背景を深追いせず、彼女の怨念の深さとその浄化の過程をパフォーマンスとして示そうと意図されていたように思えました。従って、能の側も、「葵上」全曲を演じるのではなく、現代音楽家としての高橋裕さんの意図に調和する場面や所作や謡を慎重に選んで提供していたように思えました。能の台本の前場が相当カットされ、御息所の怨念の激しさとその浄化される過程を表象する後場のワキとシテの争いの比重が大きくなっていたようです。それゆえ、この曲は、演劇として見た場合、源氏物語を踏まえた深層心理劇ではなく、「見せ物」化、「オペラ」化した怨念劇になっていたと思います。能の原典と比べて深みはなくなったけれども、明快でわかりやすくなった印象でした。
一方、能を取り込んだ効果として得られるもうひとつの魅力は能の型の美しさですが、この曲では能の型によって舞踊音楽として曲を見せるのには完璧に成功していました。六条御息所を演じたシテ・藪師の平常心と気迫と芸への誇りが美しい型を作り出して舞台を引き締め(般若の面がこれほど不気味に見えたことはありませんでした)、後場で、横川小聖を演じたワキ・平木豊男さんと争う型も息詰まる緊迫感を感じさせてくれました。舞踊として見た場合、能が見事に自立し、自己確立していて、オーケストラはそれを支える役割に徹することで絶大な効果を生み出していたように思えました。
次に音楽の面から見るとどうでしょうか。原理の異なる西洋生まれのオーケストラと能囃子。これらはどう工夫しても「調和」させることは不可能でしょう。作曲家の苦労もここが一番大きいのではないかと思われます。この日の演奏では、能囃子とオーケストラの役割分担は自然で、特段奇妙さは感じませんでした。オーケストラのパートが能に敬意を表して相当程度自己抑制して書かれていたからで、音楽としてはもうそれで充分でしょう。前場と後場の間のオーボエの独奏や、御息所の怨霊が祈り伏せられその恨みが癒されたことを表象する穏やかな後奏の音楽もそれぞれの場面にふさわしく聞きやすいものでした。
全編を通じて、能をダシに使って特殊な音楽表現を作り出そうというような濁った意図は感じられず、御息所の怨念が晴らされ静謐な気分をもたらして曲は終わりました。この日の観客には、能楽ファンも西洋音楽ファンもいたことでしょうが、曲が終わってそのどちらも心から楽しんだことを示す盛大な拍手が鳴り止みませんでした。立ち方(シテ、ワキなどの役を演じる方々)の皆さんが拍手に呼ばれて何度も舞台に登場し、囃子方や地謡の皆さんもオーケストラの後方に高く設えられた能舞台上で拍手に応えてお辞儀をしていました。普段の能舞台では、立ち方も囃子方、地謡方も静かに舞台の袖へ退出するばかりで見所にお辞儀などしないのが能の流儀ですが、この日はオペラの終わったときのような華やかさです。能楽師の皆さんが慣れない華やかさに戸惑いながらも鳴り止まない観客の熱い拍手に精一杯応えておられたのがとても清々しく感じられ、またしても涙があふれてきました。この成功で、加賀宝生の二十一世紀の可能性がまたひとつ開かれたような気がしますし、OEKと加賀宝生というふたつの芸の宝を維持している金沢の品格の高さを改めて感じました。今まで金沢でOEKと加賀宝生の共演という企画が無かったのが不思議なくらいです。何と我が娘も、和洋の芸に生きる人たちの至純の協調に感激して涙していました。
能がこれからも日本人のみならず世界の人々に感動を与えるためには、固定化されたレパートリーを繰り返すばかりではなく、時代や場所に合わせた様々な工夫や試みが必要とされるでしょう。それは他ならぬ世阿弥自身が述べていることです。西洋音楽の末流としての現代日本音楽との接触で能に新たな霊感が吹き込まれるならば能楽界にとって素晴しいことですし、一方、日本の伝統芸能を代表する能が西洋音楽家に知恵と力を与えるならば、それもまた素晴しいことだと思います。しかし、この日のオーケストラと能の共演を拝見して僕が改めて感じたのは、逆説的にも、その幸福な関係を築くためには、能は伝統に徹しなければならないということです。伝統を徹底的に自らのものにしてこそ能が能たり得るのです。時代に合わせた工夫や試みはその上でのことなのです。今回のオーケストラと能の共作、いわば「能をはめ込んだ怨念昇華声楽劇」が生き生きと輝いて感じられ、観客から感動の拍手が浴びせられたのも、能の様式美が揺ぎ無い不易なものとして表現されたからだと思います。
平成一八(二〇〇六)年三月一九日